神嘗祭(かんなめさい) | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

神嘗祭(かんなめさい)

10月17日に行われる大祭。

第11代の垂仁天皇(すいにんてんのう)の時から行われている。

それまで、天照大神(あまてらすおおみかみ)は皇居に鎮座しておりました。

 

第10代崇神天皇(すじんてんのう)が、百姓の流離や背叛などが起きた際、その原因が天照大神を同じ皇居に祀っているからだと考え、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのミコト)に命じて、皇居に祀られていた天照大神を笠縫邑(かさぬいむら)に移して祀りました。

 

その後、天照大神(あまてらすおおみかみ)の神霊を込めた鏡(八咫鏡)を鎮魂する場所を探すため、垂仁天皇の第4皇女である倭姫命が全国各地を巡っていました。(元伊勢伝説)

 

そして、垂仁天皇25年(紀元前5年)(皇紀656年)に伊勢の地に鎮魂されました。この地は、現在の伊勢神宮の内宮(五十鈴の宮)となります。

 

現在の皇居の賢所には、伊勢神宮と同じく天照大神(あまてらすおおみかみ)の八咫鏡(やたのカガミ)が鎮座されています。

 

壇ノ浦の戦いで、源氏に敗れた平家は滅亡します。

その時、二位の尼(平時子)が、まだ満6歳の安徳天皇を抱いあげました。

安徳天皇は尼に問いかけました。

「尼、今からどこへ行くの?」

二位の尼は答えました。

「君は前世の修行により、天使様としてお生まれになられましたが、悪因縁に引っかかり、ご恩は尽きてしまわれました。

この世は辛く嘆かわしいところですから、極楽浄土へお連れいたします。」

それを聞いた安徳天皇は、小さな手を合わせて、東を向いて伊勢神宮を拝みました。

二位の尼は、そのまま安徳天皇を抱いて、海中に身を投じて自害をしました。

その際、八咫鏡(やたのカガミ)と八尺瓊勾玉(やさかにのマガタマ)と天叢雲剣(あめのむらくものツルギ)も一緒に壇ノ浦に沈めました。それを源義経が回収したものが、現在の皇居の賢所に安置されていると言われています。

 

神嘗祭は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が初めて鎮座された、伊勢神宮の起源となった大祭中の大祭です。

 

天皇陛下は、神嘗祭に先立ち神嘉殿にて伊勢神宮を拝礼され、

午前10時、天皇陛下が、宮中三殿の賢所で初穂を天照大神に奉納、拝礼し御告文を奉上します。そして、産業の振興と国家の繁栄を祈願されます。

 

伊勢神宮へは、天皇陛下が作られた稲穂を根のついたまま、勅使が持っていきます。

 

昭和22年5月、日本国憲法の施行に伴い廃止された、宮中祭祀令では大祭の指定であり、また、10月17日は「神嘗祭」という国民の祝祭日でした。

 

昭和天皇のお歌(昭和31年)

「我が庭の 初穂ささげて来む年の 田の実りいのりつ 五十鈴の宮に」