ソウルの路地裏のぞいてみれば -41ページ目

城内(ソンネ)市場で一枚

地下鉄5号線の千戸駅6番出口を出て、路地をまっすぐ進んでいくと、やがて城内(ソンネ)市場に出る。


何の変哲もない下町の市場であるが、土地の人々の生活を垣間見れる気がする。



ソウルの路地裏のぞいてみれば


行き当たりばったりの町歩きで、こういう場所を見つけられた時は、やっぱりうれしい。



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哀愁の千戸(チョノ)

昨日ご紹介した千戸はまた、世の男性諸氏の間で別の意味で有名な街である。


韓国には俗に5大風俗街と呼ばれる街がある。


清凉里(チョンニャンニ)、永登浦(ヨンドゥンポ)、弥阿里(ミアリ)、龍山(ヨンサン)そして千戸(チョノ)である。


中でも千戸は、未成年売春で全国にその名を知られた街だ。




韓国では売春はもちろん犯罪だ。


最近は警察の取り締まりが厳しく、上記の風俗街も年々その勢いを失いつつあるという。


ソウル最大の風俗街とされる清涼里オーパルパルも、営業している店は全体の3分の1程度になった。


(注:女性のみなさんには不快な話題かもしれませんが、「清涼里オーパルパル」は有名なミュージカル「地下鉄1号線」にも登場する、韓国人なら誰でも知っている常識の一つです)


そしてさらに驚くのは、それら風俗街はデパートのすぐ隣にあるという事実だ。


日本の場合、風俗店はまがりなりにもビルの中に入っているが、韓国では映画に出てくる吉原の遊郭のような状態で、ショッピング施設のすぐ隣にあったりする。


これはけっこうキョーレツだ。



ここ千戸は、売春の中でも特に悪質な「未成年売春」が行われていたとあって、警察が徹底的に摘発した。


風俗街は風前の灯だと聞く。


ここで働いていた未成年たちにはどんな事情があったのか。



大方の想像はつくが、一人一人の人生の悲哀が交錯した街。

それが千戸なのである。



千戸については↓の書籍に詳しい。


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千戸の文具玩具卸売市場

地下鉄5号線の千戸(チョノ)駅1番出口を出てすぐのところに、千戸文具・玩具卸売市場がある。



ソウルの路地裏のぞいてみれば

おもちゃ・文具・雑貨の小さな卸売商が集まる市場である。


子供向けのシールやスーパーボール、ロボットのおもちゃ、ビニールのポーチなど、大小雑多な商品が無造作に並べられていた。



ソウルの路地裏のぞいてみれば





千戸はソウルの東の端、江東区(カンドング)最大の繁華街だ。


その立地から、ちょうど東京の江東区(お~、字が一緒だ!)や葛飾区を連想させる、どこか下町の雰囲気が漂う街だ。


市場の入り口の看板がユニークだったので、思わず一枚。




ソウルの路地裏のぞいてみれば

↑鉛筆と定規の看板、そして本?のマスコット。




消えゆく「ピマッコル」(下)

そんな歴史の面影を残すピマッコルだが、現在、都市再開発の波に飲まれ、徐々にその姿を消しつつある。



ソウルの路地裏のぞいてみれば

すでに教保文庫裏の「清進洞(チョンジンドン)」では、建物の取り壊しが行われ、大規模な高層ビル建築が進んでいた。


僕の行きつけだったプルコギ食堂(1人前5,000ウォン)も、別の場所へ移転してしまった。


残念なことである。



確かに大都市ソウルのど真ん中に、このような田舎くさ~い路地が残っているのは、近代都市計画にとって支障があるのだろう。


しかし、悠久の歴史を今に伝える路地には、歴史的・文化的価値があると僕は思う。


たとえるなら、京都の中京(なかぎょう)の、室町時代から続く商家街を取り壊すようなものだ。


現に清進洞の工事現場からは、李氏朝鮮時代の貴重な遺構が見つかったという。



都市計画と文化遺産の保存の両立がなんとかできないものか・・・・



お気に入りのプルコギ食堂がベニヤ板で閉鎖されているのを見て、ふーっとため息をついてしまった。


消えゆく「ピマッコル」(上)

ソウルに詳しい方なら、鐘路(チョンノ)に「ピマッコル」という小路があるのをご存じだろう。


大通りに面したビルの裏側、建物一棟隔てた裏側に、人がやっとすれ違えるくらいの狭~い路地がある。


それが「ピマッコル」である。



ソウルの路地裏のぞいてみれば

漢字では「避馬ッコル」と書く。「コル」は「小路」という意味だ。


李氏朝鮮時代、大通りは当時の特権階級「両班」がわがもの顔に馬で通っていた。


両班の馬が通り過ぎる間、庶民は道端によけ、土下座で待っていなければならなかった。


その両班の馬があまりにもひんぱんに、たくさん通るので、庶民は普段の生活にも支障が出てしまった。


そこで考えついたのが、建物の裏に秘密の(?)抜け道を作ること。


これが「両班の馬を避けるために作られた小路」=「避馬ッコル」の起源である。



李氏朝鮮時代、このピマッコルは庶民の貴重な生活の場であり、また庶民がその独自の生活文化をはぐくんだ舞台だった。


(つづく)