映画ドラマの字幕にモノ申す(下)
言語は言語それ自体で存在しているのではなく、その国の文化や社会と一体となって存在している。
翻訳をするときは、韓国と日本の文化や社会の違い、それぞれの話者のバックグラウンドを考慮に入れて訳さなければならないと思う。
僕は仕事柄、アメリカやヨーロッパの金融機関の契約書の翻訳を頼まれることがある。
日本と欧米ではその文化・思想が全く違うので、微妙な英語の言い回しをどう自然な日本語に置き換えるか、いつも頭を悩ませる。
そして時にはその金融機関(HSBCとかUBSとか)の沿革や経営理念まで遡って、たった一行の文章を訳すこともある。
本来、翻訳というのはとても厳しく苦しい仕事なのだ。
韓国ドラマの翻訳はここ10年くらいで急増したから、質が需要に追いついていないと思うのは僕だけだろうか。
なまじ文法が似ているから、安きに流れている感は否めない。
字幕付きのドラマを見ていると、ときどき
「今の訳し方はないんじゃないの?」
と突っ込みたくなる時がある。
そして考えているうちに、次の場面に行ってしまって、頭がごちゃごちゃになる。
今アメブロの利用者でも、たくさんの方が韓国語を勉強している。
この中から、「なるほど」と唸らせるような「名翻訳者」が出てきてくれたら、すばらしいことだと思う。
映画ドラマの字幕にモノ申す(上)
韓国語は日本語と文法がいっしょなので、日本人にとっては比較的覚えやすい外国語と言えるだろう。
それでもちがう言語である以上、まったく同じに翻訳できるとは限らない。
最近は日本でも韓国映画やドラマが放送されたり、DVDが出たりして、韓国の作品に接する機会が多くなった。
字幕を見ていてときどき気になるのが、「呼称」の訳し方である。
韓国では女性が年上の男性のことを呼ぶとき「オッパ」という呼称を使う。
これは「お兄さん」という意味だが、女性が男性を「オッパ」と呼ぶときは、二人の関係が仲が良い、または恋人同士の場合であるのはみなさん御存じだと思う。
日本では親しい男性に「お兄さん」と呼びかける習慣はないので、この訳し方がちょっと問題になる。
たとえば女子二人が男子の噂話をしていて
「ノ ク オッパ チョアヘ?」
と言ったとする。 手を抜いている字幕だと、訳は
「アンタ、あのお兄さん好きなの?」となる。
しかしこれでは日本語として不自然だし、調子が狂ってしまう。 日本語で「お兄さん」とは言わないからだ。
ここはきちんと
「アンタ、あの人のこと好きなの?」
とか
「アンタ、彼のこと好きなの?」
と日本風に訳すべきだと僕は思う。
(つづく)
韓国のジャンヌ・ダルク 柳寛順(ユ・グァンスン)
タプコル公園に並ぶレリーフの中に、民衆を先導する女子学生を描いたものがある。
この女子学生こそ、「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれた柳寛順(ユ・グァンスン)である。
韓国人で彼女を知らない人はいない。
独立運動の象徴的な人物である。
当時17歳の高校生だった柳寛順は、1919年の三・一運動に参加。
官憲に捕えられ、拷問の末に獄中死したとされる。
彼女の人生はやや誇張され伝説化されたところがあり、近年の研究では、拷問されたのではなく、病死だったということが分かっている。
また、彼女があたかもジャンヌダルクのように民衆の先頭に立ち、日本の官憲に抵抗したという話も、後に伝説化されたものであるというのが通説である。
ただ、17歳の女子学生が独立デモに参加し、逮捕され獄中死したというのは事実であり、その特殊性が「独立運動家伝説」を生んだといえる。
歴史へのまなざしは常に冷静な態度が求められるが、三・一運動と柳寛順の名は、われわれ日本人も記憶にとどめておく必要はあるだろう。
そのような意味から、僕は初めて韓国を訪れる人を案内するとき、必ずタプコル公園へ行き柳寛順のレリーフを見てもらう。
「歴史」について考えてもらいたいからである。
タプコル公園逍遥
仁寺洞の南の出発点はタプコル公園だ。
明洞から歩いて10分ほど、付近には鐘路や清渓川(チョンゲチョン)などもあり、散策のついでに僕はよくこのタプコル公園に立ち寄る。
ここはかつて「パゴダ公園」と呼ばれていた。公園内に仏塔(パゴダ)があったからだ。
僕は20年前から韓国と付き合っていたので、僕にとっては「パゴダ公園」の呼び名の方がなじみがある。
ここタプコル公園は、韓国近代史最大の出来事である「三・一運動」が起きた場所だ。
1919年3月1日、日本からの独立を求めるデモ隊がここで独立宣言書を読み上げ、市内へ出発した。
その数は数万人になったと言われる。
公園内には独立宣言書が刻まれた記念碑と、独立運動の様子が刻まれたレリーフが立っている
そんな激動の歴史の舞台になったタプコル公園だが、現在では老人たちの憩いの場となっており、まったりとした空気が漂っている。
とても国を揺るがすような出来事が起きた場所とは思えない。
ただ、都会の喧騒をしばし離れ、この国のたどった複雑な歴史に思いを馳せるには手頃な場所なのである。



