浜松市にあるエステ&リラクゼーションサロン店長による美容と育児のブログ -6ページ目

月刊ポピーお試し版

サロンで使用の化粧品会社さんから送られてきた。

私に子供がいるのが分かって、わざわざ送っていただいたのだ。

一冊700円と、内容の割にはかなりお得!

幼児教材って成長に合わせてくれてるから親は助かりますね。

昨日、保育園からの帰りの車内で娘が一生懸命貼ってたシール。

朝初めて見たら上手に貼ってあった。

娘の成長を、しみじみと感じる母なのです。

エステティシャンになったきっかけ2

短大2年の秋、髪の生え際のニキビがひどかった私は、お正月過ぎの成人式の写真写りを気にして、たかの友梨のエステに通った。

当時の料金で、10回10万だったかな?

親からの仕送りが毎月10万で済んでいた私は、アルバイトをしなくても良いと言われていたので、当然お小遣いもなく、エステ代も親に出してもらった。

通っているうちに、完璧ではなかったがニキビも治まってきた。

それとエステティシャンは、人のためにお世話をする、とてもやりがいのある仕事。

当然性格的にも穏やかで、人に優しくなければ出来ない仕事。

それが、世話好きな私の性格に合っていた。

まだ就職先の決まっていなかった私は、当時のリクルートの雑誌を買って、あるエステの会社を見つけた。

「ソシエ・ワールド」?

全く聞いたことのない会社だったが、真っ白なユニフォームとスパッツを着用したスタッフさんがズラリと並んだ写真…

とても格好良かった。

何故たかの友梨に応募しなかったかって?

お客さんとして通っていると、逆に恥ずかしくて聞けなかった。

それで早速ソシエに応募して、面接に望んだ。

当時は短大卒以上の学歴が必要だった。

今でも面接の時のことを覚えている。

4名一組での面接。

私は一番右側。

一番最後に聞かれた。

当時の女性専務(現在ソシエ社長)は、私のメイクについてのアドバイスをしてくださった。

はっきり言うとメイクの仕方が不自然…

だから私は、てっきり入社試験はダメだったと思い込んでいた。

…が、しかし採用通知が…チョキ

何人受けたのかは不明だが、最終的に受かったのは40人だけ…ニコニコ

そこから、私の今までの人生の中で一番成長する機会を与えてくれた、ソシエでのエステティシャン生活が始まった…

エステティシャンになったきっかけ

私がエステ業界に飛び込んだのは今から19年前のこと。

地元浜松の高校(以前は女子高でしたが今や共学…時代は変わるのね。)を卒業し、周りが進学するから何となくで短大に入った。

初めは大学に行こうとしたんだけど、3歳下に弟がいたから、もしも弟が大学進学したら1年生と4年生で学費が1年ダブることに気付き、学費と仕送りのダブルは大変だよな~と思いながら、親に言われなくても自分で直前に進路を変えた。

それに2年早く就職すれば、その分お金が貯まるって思ったしね。

当時、母方の祖母が東京で独り暮らしをしていたので、居候させてもらうことになった。

だが祖母は、とても面倒見のよい人で、お気楽な独り暮らしから急に私の世話で気を焼きすぎて倒れてしまい、
「悪いけど出て行ってちょうだい…」
と言われてしまい、5月の初めには、そこを出ていく羽目になってしまった。

私にしてみれば、そんなに気を遣わなくても良いのに~何て思ったのだが、本当に世話好きな人だったから性格上、今更直せるわけでもなかった。

そんな所は、娘である母も、孫である私も似たところがある。

そんなわけで新しい住みかを短大の学生課で探した。

家賃14,000円で賄い付き(1ヶ月25,000円)、水道代3,000円だったかな?

しめて、ひと月42,000円の二子玉の下宿。(ただしお風呂なし=銭湯通い)

当時銭湯代が1回270円で、途中で300円に値上がりしたのね。

だから、ひと月で9,000円近くかかってた。

夜行くのが面倒な時は、講義の帰りに寄ったりして、5時からお風呂に入ってた日もあった。

でも、それはそれで楽しかったよ。

今では考えられないけど。

お風呂がないなんて不便だもんね~。

まぁ若かったから出来たことだよね。

下宿先は、一軒家に学生さん用の4畳半のお部屋が4部屋。

そこのおばさんは若い時に膝を怪我されて片足が不自由で身体障害になってしまい、結婚もしないと決めて、親御様の残されたお家を下宿屋さんにして生計を立てていた。

当時50歳位だったかな~?

今は、どうされてるかな~?

親切にしてくれたから今でも時々気になるの。

今度お電話してみようかな~?

最近妙にノスタルジックな私です。

続く…