WEBエンジニア社長のブログ -33ページ目

倖田來未さんの35歳羊水発言を主体的に捉えると、

倖田來未さんの35歳羊水発言についてのフジテレビのインタビュー を見た。その後、オールナイトニッポンでの実際の音声 を聞いた。
フジテレビのインタビューする人の立場は一貫して、他人事、失言しちゃった人はどう考えているのか、ということに終始していた。そうではなく、主体的に捉えた方が、社会の発展につながると思う。


ニュースのタイトルだけを見て、最初は私も非難する気持ちが湧いたが、実際の音声や映像を見てみると、これは非難している場合ではないな、少子高齢化が問題として取り上げられて久しいが、それとの関連性を明らかにする必要があるな、と思った。


彼女は「羊水が腐る」と発言し、非難され始めてから羊水についてインターネットで調べたという。彼女は無知であったと言える。また、35歳を超えて妊娠する人に対する差別や侮蔑といったものは、私には感じられなかった。彼女の発言は現在の日本の状況を露呈したものと言える。


なぜならば、

第1に、妊娠に対して無知である。妊娠という出来事の関係者でさえも、妊娠やそれにまつわる問題について理解しているとは思えない。その関係者ではない人の理解は皆無に等しい。
第2に、妊娠を援助するシステムがない。少子化対策の観点からも、第1の問題を改善しようという動きまたは社会的システムが不備または未成熟である。

「妊娠という出来事の関係者」とは、妊婦、その夫、家族、親、友人、知り合い、同僚など、妊娠する人がいてその出来事によって何らかの影響を受ける人々のことである。当然、医者や助産婦も含まれるが、ここでは含めないでおく。
この問題提起は、彼女の発言を主体化して、私自身の問題として捉えたものである。非難するだけの場合、客体的にしか捉えない場合には生起されない。
これらは根本的な問題である。妊婦が産科をたらい回しにされ、死産してしまうシステムもここから派生している。


第1の問題について、妊娠・出産・育児といった、将来をつなぐ大仕事のことをどの程度理解しているだろうか。
たとえば、次のような基本的なことを理解しているか確認してみて欲しい。
・高齢出産とは何歳からの出産をさすのか。
・なぜ、高齢出産はリスクが高いと言われるのか。
・男児と女児で、どちらが障害を持って生まれる可能性が高いか。
・切迫早産とはどのような症状か。その対処法は。
・妊娠高血圧症候群とはどのような症状か。その対処法は。


次に、第2の問題について、妊娠を援助するシステムは、無知を減らす努力と、知識を得た人々が妊婦を援助する動きが伴わければならない。お金や仕事の維持だけではなく、社会が考えて行動するようなものではければならない。
たとえば、マタニティマーク をどれほどの人が知っているだろうか。また電車の中で気をつけて見ているだろうか。
妊娠の総合的な理解を促進する機能がない。実は、「健やか親子21 」というものがあるが、これに触れたことのある人はどれほどいるだろうか。
社会的に妊娠を理解したい、という動きが重要である。
産科の数、医者が減少しているというが、妊婦と子どもが命の危険にさらされることのないようにしなければならない。


これら2つの根本的問題の解決を促進するエネルギーは、妊娠にまつわる諸問題を深く知りたいと多くの人が思うことから生じる。

私自身、妻が妊娠し、トラブルを経験してもなお、まだ十分理解しているとは言えない。解決は容易ではないが、生命に対する深い愛情を伴った社会システムの構築を使命と考え、それに向けた行動が継続的に伴えば、必ずいつか実現するものと信じている。

情報伝播において弱い紐帯が利点を持つ

1月26日に修士論文の提出をしましたが、ちょうどその1ヶ月半くらい前は、常時からだが緊張状態にあったのを覚えています。無意識のうちに修論をどうしようかと考えてしまっているようでした。心拍数がいつもより高く、手先が冷たくなっていました。常に、です。

なぜなら、当時は、テーマは決まっていましたが、具体的に書く内容がまだ決まっていなかったからです。それというのも、私の仮説を証明する強い材料がなかったためです。


そんなときに、先生に1時間もアドバイスをしていただきました。中でも、後になって非常に身になったことは、「個人的な知り合いにあたって5~10社くらいインタビューをしてみたらどうか」ということでした。

このときは締め切りまであと1ヶ月くらいでしたから、崖っぷちに立たされているという心境で、手当たり次第コンタクトを取りました。


ゴールまでの道筋が見えたのは、12月26日に行ったインタビューの後でした。

実は、その前にも何人かインタビューらしきものはしていましたが、「これだ」というものは得られませんでした。ですので、このときもあまり期待はしていませんでした。ただ、その方は私の知り合いの知り合いで、せっかく時間をとってインタビューに応じてくれるのでベストは尽くしました。

帰りの電車の中で、インタビューの内容を何度も思い返しながら考えました。そのときに「これだ」というものを得られたのです。


グラノヴェターの『転職』と同じでしょうか。それまでの知り合いのインタビューよりも有益な知識を獲得することができたのです。実はこの後でもう一波乱あるのですが、ここでのこの1歩は非常に大きなものでした。

Mark Granovetter (1995) "Getting a Job: A Study of Contacts and Careers," University Of Chicago Press. ( 渡辺深訳 (1998) 『転職―ネットワークとキャリアの研究』 MINERVA社会学叢書 )



修士論文チャート


修士論文進捗チャート
これは、株価のチャートではありません。

修士論文の進捗をファイルのサイズで表したものです。


毎日バージョン管理の為に、コピーしてとっておきました。

そのサイズをグラフにしてみたら、見事にその時々の状況を表していました。


今日の午後提出してきて終わりです。

クレジットカードが知らぬ間に使われた

突然、クレジットカードの会社から電話があった。

クレジットカードの利用状況を尋ねる質問だった。

ここにそのやり取りを細かく書こうと思ったが、悪用されるといけないので詳しくは書かない。


私はクレジットカードを使った覚えがないのでその旨言うと、不正利用されたことが明かされた。

即クレジットカードは使用停止になった。少しの不便はあったがそれよりも不正利用されたことに驚いた。


確かに手元にカードはあるし、落としたこともない。

どこかでカードをスキャンされたのだ。


ただ、それが起こりうる状況はあった。一昨年暮れから頻繁に、アジアを中心出張が多かった。行ったり着たりと、合計3分の1は国外に滞在していた時期がある。残念なことだが中国が怪しい。

中国はホテルであっても危ないらしい。絶対にカードは目の前で照合させ、奥のほうへ一度でも持ってかれないようにしなければならない。ただ、今回そのようなことはなかったので、不思議だ。


同僚の中国人は、中国ではクレジットカードが悪用されるからクレジットカードを持っていても使わないという。何のためのクレジットカードか。

さらに、その人は不幸なことに、そのためたくさんの現金を持ち歩いていたが、マレーシアで車上荒らしにあって全部盗まれた。これもまた何のためか。。。


国外に出るたびに思うが、日本は本当に治安がよすぎるくらいだ。

確かに、最近変な事件、事故が多いが、それでもまだまだ住みやすい。


世界に希少な優良国家として、ますます信頼関係が保てる国であって欲しい。

修士論文提出まであと2週間

修士論文提出まであと2週間。ここで、構成を少し変えることにしました。結論を一歩前進させたところに持っていくためです。構成を変えたため前後関係のつなぎ合わせに苦労しております。


たった2年の勉強でオリジナリティを出せといわれても、そう簡単に出るものではありません。先人の多大なる研究の少し先を行けばよいといいますが、1つの先行研究を理解するだけでも大変です。


正直に申しまして、私の結論がオリジナリティがあると判断されるのかどうかわかりませんが、もう時間もないので、やれるだけやろうと思い、変更したところです。今13ページ。50枚くらいでまとめようと思ってます。

大学時代の恩師に再会

僕は今日、大学時代の恩師に偶然再会した。
あれからもう10年以上経っているが、少しも変わっていなかった。

むしろ変わったのは僕の方であると実感した。しかも、良い方向にではない。


ちょうど今、修士論文の追い込み中で、ようやく靄の向こうにゴールが見えてきたところだ。
渾身の、私の持てる力のすべてを出し切った論文。もうこれ以上のものは当分書けない。そう思っていたところだ。
そして時々、「学部の時にも卒業論文を書いたな。」と思い返し、「少なくともあの時よりも随分と良い出来のはずだ。学部時代の僕よりも劣っているはずはない。社会経験だって積んだ。」、と。


恩師と再会したのは、パソコンのデータを整理していたときだ。
かの卒論がでてきたのである。私は自分の成長を確かめるべく、10年ぶりに読み返したのだ。
すぐに、今書いている修論より優れていることがわかり愕然とした。
明らかに学部生の僕のほうが勝っている。
何度も読み返しながら、これは私の文章とは思えない。我ながらすばらしい、と思ったほどだ。


次に思い出した。恩師の厳しい指導があったことを。
つまり、卒論は恩師の指導の賜物だったのである。
僕は卒論を何度も読み、その向こうに見える恩師の姿を、はっきりと見た。


もう80歳を超えているはずだ。修論を書き終えたらお礼をしに行こう。

労務管理論の関口功先生。


柔軟性があるのは子どもか老人か

フードコートでの出来事。
お母さんが「サブウェイでフライドポテトを買ってきたよ。」と言うと、
フライドポテトを見た子どもは「えー?フライドポテトじゃないよー。」と言った。
サブウェイのフライドポテトは、よく見かけるマクドナルドにあるようなものとは形が違う。じゃがいもの形が残っているのだ。


こういった子どもの固定的な考えが表れる例はよく見かけないだろうか。転校生がいじめられるのはこれと同じだと思う。
ものの見方が固定的で違うものは差別するのだ。

だから、大人は子どもに多種多様なことを教えないといけない。
それに応えるかのように、子どもは吸収力があるので、どんどん新しいものを受け入れていける。
さらに、考える力、柔軟な思考もできるように教えられる。
知識を吸収し、考えることで、人は年を追うごとに柔軟になってくる。


そう考えると、実は老人がもっとも柔軟な思考の持ち主ということになるのだろうか。
「そうは思えない」という人がいるかもしれない。それはなぜか。
頑固な老人に対するイメージは、多くの経験から生じる確固たる考えとゆるぎない自らの基準を持っている、というものである。


では、柔軟性があるのは誰か。

自分の考えや行動に問いを投げかけられる人、他人を否定しない人ではないだろうか。


論文のロジック

これはフローチャートです。プログラムを書いたことがある人なら見たことがあると思います。

何のフローチャートかというと、私の論文のフローチャートです。

ほとんど論文初心者なので、ここまでたどり着くのにずいぶんと時間がかかりました。


論文のロジック

(1) 開始

「はじめに」で論文のコンテクストを示し、言葉の定義をします。


(2) データ入力

現在の状況を明らかにします。


(3) データの処理

現在の状況をどう解決したらよいか先行研究を紐解いて処理します。


(4) データベースアクセス

事例を紹介します。


(5) 出力

結論を書きます。ここが私の論文のオリジナリティになります。


(6) 終了

まとめです。

修士論文があぶない-緊張の毎日

思い返せば、昨年11月から12月は毎日緊張状態でした。


昨年の10月くらいまでは既に仮説は持っていましたので、あとは調査すれば何とかなるだろうと高をくくっていました。しかし、調査をすればするほど仮説どおりの結果が得られないばかりか、何か結論らしきものも見えるかというとそれもありませんでした。

さらにやればやるほど、仮説さえも理論的ではないことが明らかになり、11月以降はホワイトアウトした状態でした。緊張が始まったのはこのときからです。


論文は提出しないと卒業するかどうかの判定にも持ち込めないので、とりあえず盲目的に部分的に書いていましたが、自分でもどこへ進んでいるのかわからないので、常に体が緊張しており、フトしたときに冷たいものが体の中を走るのを何度も感じていました。

一応指導教授を決めておりましたが、時間がないので、機会があれば手当たり次第に相談できる先生方に、とりあえずの論文の目次を見せ、自分の考えを話し、相談しておりました。


もやが晴れたのは、調査のためのインタビューを行った後でした。帰り道、インタビューをする限りあまりその組織はうまくいっているとは思えませんでしたが、当人はうまくいっているというのです。なぜ私はうまくいっていないと思うのか、なぜ彼はうまくいっていると思うのか考えをめぐらしました。インタビューではそれがつかめなかったのです。

考えているとき、なぜだかわかりませんが、ひらめきがありました。「あっ、これが私が大事に思っている2つだ」と。あとは簡単です。2軸で説明するだけです。


そうして、昨年12月29日にようやく結論を見出し、論を立てる構成ができました。


わかりきっていると思っていることでも、人と話し、なぜか?、を問い続けることが答えを導きだす方法かもしれません。

修士論文があぶない

1月26日の提出に向けて修士論文を書いています。

この正月休みは家族の協力を得て、親族への年始挨拶以外はどこへも出かけずに毎日朝から深夜、早朝まで書き続けています。

40字40行を1ページとして、おそらく70枚くらいになる見込みです。ただ今ようやく20枚が終わったところ。リサーチしながら書いているので、途中で「気づき」が多々あり、何度も構成を組み替えました。昨年末にその構成をfixし、ゴールに向けて書いているところです。

ただ、まだリサーチ途中で、それは1月12日に終わる予定です。


1日に書ける量は、がんばって3ページ、書きためてある部分を利用して5ページくらいです。

それで計算すると、これから平日2枚、休日5枚書いてぎりぎり間に合うかどうか、というところですね。


どこかで会社休まないと十分な論文は書けそうにないですね。がんばらないと!