タイの歴史的な一日と、私の記憶の中の父 | 台湾で着物を楽しむ♫ hirokoの海外ブログ 〜4度目の結婚生活と着物のこと〜

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4度結婚したオンナの、「幸せ」の追求と日々。
5年間のタイ、バンコク生活から2018年末に台湾、台北に移住し、海外生活続行中です。
日常着として「着物」を愛用、旅行含め「着物」に関するあれこれを綴っています。
ライター・ラジオD J は、しばらくおやすみです。

私の父は、8年前に亡くなっている。

思い出す父は家では着物を着ていた。


昭和ひと桁生まれの、頑固で強い人だった。黙っていると怖いのだが、垣間見せる優しさやひょうきんさが大好きだった。


14歳で予科練に志願し、まさに特攻の飛行機に乗る直前に戦争が終わった。もう、乗れる飛行機もなかったそうだ。

多感な時期に受けた教育、国の為に弾になる…。戦後生きている事に心乱されたと語った。

そして、教育者となった。
二度と間違った戦争に向かわないように…。
小学校の校長までの出世街道を真面目に歩いた人だった。


昭和ひと桁にしては珍しく、背が高く、ガタイの良い人で、私はいつも首を思い切り後ろに曲げて、父を見上げていた。
スーツもよく似合ったのだが、
家では着物だった。

あれは、ウールかポリだったのだろうか?



帯付き、長着を着流し、という姿は記憶になく、

常に羽織りを着ていたから、冬にしか着ていなかったのかな?!


夏目漱石の写真のイメージ

(と思ったらスーツだった!)

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(父に)ヒゲはない。



私の記憶の中の漱石、何で着物着ていると思い込んでいたんだろう??


あ、こっちに近い…


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諭吉じゃん?!(≧∀≦)



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これでいいか。
いや、これでは着物写真だ。




顔は…


王貞治と宇津井健を足して2で割ったみたいな(≧∀≦)


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写真お借りしましたが、まあ昭和のお父さん、てこうだったわよね?!





自宅に戻ると、スーツから着物に着替え、

寝る時は寝巻き、パジャマでなく、ゆかただった。

これは母もだ。(寝る時)



晩年入院するまで、(病院からパジャマを指定されるまで)寝巻きだった。



でもそのうち、入院先の病院でもパジャマをやめて、ゆかた(寝巻き)にしていたなぁ〜。





寒くなると、母が

「丹前を出しましょう」と言っていたので、私は男の人が家で着る着物の事を丹前と言うのだと思っていた(≧∀≦)




お正月には、いつもの丹前ではなく、シュッとしたよそいきの着物と羽織をさっぱりと着こなし、いつものリビング(居間)ではなく、神棚のある和室か、床の間のある部屋に御膳が用意された。

(来客の有無で変わった?!)



私と姉も晴れ着を着せられ、お屠蘇を頂き、それぞれが一年の目標を発表させられた(笑)

それが終わらないと、おせちに手を付けられなかった…。




父の和服姿の印象は

冬のものだった。




もうすぐやってくる…11月11日が命日。





タイでは、まさに故前国王様の火葬の義が行われ、数日前から、タイ全土から最後のお別れに国民が王宮前に集まってきている。


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街から人は消え、コンビニまでもが営業を停止し、皆で追悼する。

この一枚岩となれる、皆んなで共有する哀しみと尊敬の念は、羨ましく厳かで、

言葉を失う。




タイの前国王様は、タイ国民にとって、偉大なる父のようだったと聞く。


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私も、今日は自宅で静かに亡き父を偲ぶ。

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