私は着物を売った事がある。
一度も袖を通していない、嫁入りの時に持たせてもらった、訪問着一式、色無地一式と、喪服一式だ。
一式とは、長襦袢、着物、帯、帯揚げ
帯締め、草履、バックが、それぞれの着物に合わせて誂えたものだった。
訪問着は伯母からの結婚祝いだった。
それ以外は、それらを入れる桐ダンスの婚礼家具一式(ここでも一式💦)両親が揃えてくれた。
もう1人の叔母からは、小紋などの普段着物数枚と、ゆかた、をいただいた。
黄八丈だけは、中古だったが、何故か嫁ぎ先で数回着た。(多分自己流で、自宅で良い奥さんを演じたくて着たように記憶している)
かれこれ、30年近く前の話になる。
(遠い目…)
一度目の結婚の時の話だ。
3年前に、ここタイにきてから、
youtubeで習い、自分で着物を着れるようになったのだが、
そんな過去にも…本を見たりしたのだろう…忘れてしまった過去だが、
「ゆかただけは毎年自分で着ていた」のは、その頃からきているのかもしれない。
その一度目の結婚生活を終わらせる時には、多分持って出た…はず。
昔は、今のように着物を売っても二足三文という認識はなく、万が一嫁ぎ先で困った時には質屋に…という事なのだと勝手に理解していた。
(いつの時代だ?(笑) 本当に世間知らずで嫁に出たんだなぁと、今さらながらつくづく…)
本当のところは、嫁ぎ先で恥をかかないように?ハレの日に着るものとして持たされたのかな?
で、まさかの二度目の離婚の際に、現金化しようと、それらを箪笥ごと売ったのでした(>人<;)
まさかの二足三文( ̄◇ ̄;)
その場で査定してくれた方と喧嘩になるところでした。
特に着物好きな伯母が選んでくれた訪問着は、当時の私にはわからないなりにも、良いものだと言われて持たされたので、その着物の美しさが、申し訳なさと哀しさとでより際立ち、涙が出ました。
でも当時、新品の着物を箪笥ごと持っていても、この先も着ないだろう、と判断したんです。
だからなのか、
今になって、着物にハマり、
アンティークや中古や、新古の美品を手にすると、
あの時の気持ちがふと蘇る…
これは、どんな人がどんな思いで仕立てたものだろう。
どんなシーンで着ようと、誂えたんだろう。
嫁入り道具として実家から持ってきたものかもしれない。
人生の門出だからと奮発して用意されたものなのかも。
着た回数が少なかったとしても、袖を通さなかったとしても、着物には持ち主だけが知っているストーリーがある
そんな風に感じるようになり、
今は、タンスの肥やしにはしないからね、と
着倒す気持ちで購入している…。
きっと、日本全国、箪笥の肥やしの着物たっくさんあるんだろうな~~。
で、着物あるある、都市伝説に、
着物を着ていたら、好きだと周知されたら、
友人知人などから
着物が譲られて集まってくるという、
都市伝説?!
本当だった❗️
何と
私のところにも
「譲りたい」
「着て欲しい」
「捨てるのも売るのも出来ない…」
と、少しずつお話がくるようになった。
都市伝説ではなかった!!!
そうなんだよ、そう!
売ったところで、100万したものが、1000円になれば良い方。
酷いと500円にすらならない。
どうなっているんだろう??
価値って(>人<;)
リサイクルや何たら市で、ものすごく安く着物を買った、という自慢をたまに聞く。
私はまだそういう場所で買ったことはないのだが…
タイ、バンコクにもそんな場所はある。
3000円くらいで売っているのだ。まとめて買うと更に安くなる。
買い物上手な方は是非とも利用したらよいだろう。
私は、どうやらひと山いくら、という中からはうまく探す事が出来ない…。
だいたいお店が決まっているのだが、
アンティーク着物を購入する時は、多少高くても、その着物のストーリーの値段なのだと思うようにしている。
とにかく、着ても着ても、着ても、まだ眠っているんだと思う。
私は、着物を素敵に着こなしている人を見ると、
「ああ、素敵だなぁ」
「着物って、いいなぁ」
と思う。
だから、私もそれを目指して着ている。
私を見て、
「いい感じだなぁ」
「着物着たいなぁ」
と、思う人が増え、箪笥の着物を着始めたり、
買ったり、誂えたり、という人が増えたら嬉しい。
それは、
あの時、
あの着物の持つストーリーごと、
あの着物に込めた思いごと、
二足三文で、売ってしまった自分への
償いのようなものなのかもしれない。
きっと、私の袖を通さなかった着物は、誰かのハレの日を華やかに彩っている、と信じたい。