揺れるお年頃
美容院でしか染めた事のなかった髪を、今は自宅で染めている。遺伝か体質か、まあ年齢相応か、悲しいかな白髪染めである。ここ、バンコクに来てからしばらくは夫の担当だった。手先の器用さは「お札おりがみアート」でも実証済みだ。さらに彼は職人気質な為、仕事は私よりずっと丁寧だ。だが、最初に染めたその日、あきらかに訓練された美容師さん達のその手さばき、髪の扱い、ブロッキング等とは比べようもないくらい酷かった。「比べてはいけない」白髪が染まりさえすればいい、とわかってはいても、ついついダメ出しをしてしまった。それ
にもかかわらず、夫は黙ってぎこちない手つきで染め続けてくれた。私なら、たぶんもっと早い段階で「じゃあ、自分でやりなよ」と投げていたに違いない。内心はそう思っていたかどうかはわからないが、根気良く最後までやり切ってくれ、お陰で私の白髪は黒く染まった。
それから数ヶ月。私は髪を自分で染めるようになった。夫にしてもらうのが気に入らないからではない。見よう見まねでやってみたくなったからだ。さらに、文句をいうくらいなら、自分でやれば?という自分の気持ちに従ってみた。
だが一番の理由は「老い」の兆候は出来るだけ隠したい女心だった。優しく髪を扱ってもらうのはありがたいし、ほっこりする。だが、染める範囲が年々広くなっていることは、出来るだけ知られたくない。舞台裏は隠しておきたいのだ。実際はバレているのだろうが…。
いつか、洗面所でお互いの入れ歯の取り間違えをする日が訪れるのかもしれない事を2人で話したことがあった。お互い笑ってはいたが、冗談じゃない。自分にはまだ全然入れ歯になる覚悟などない。そんな折、私の奥歯の歯茎が腫れた。過去に治療したブリッジの一本の歯に負担がかかり、根っこ部分が割れたというのだ。歯を抜くしかないと言われた。なんという事だろう…、当時「このブリッジがダメになった時は入れ歯になるよ」と冗談混じりに言った日本の歯科医師を思い出した。が、いよいよ現実味を帯びてきた「入れ歯宣告」を拒否し、高額でも「インプラント」治療を選んだのは言うまでもない。私達は若く見えると他人から言われるし、そのつもりでもいる。とは言え、まだ先だと思っていた「老い」の兆候を感じることが増えてきたのも事実。果たしてどれだけ、どこまで抗えるのだろうか。
抗いたい思いが強い私の言動を穏やかに受け止める夫。たぶん彼の方が老いに対しては潔いのか、既に出来ているのだろう、共に老いる覚悟が。同じ生年月日に生まれ、ようやく出逢った。老いて行くのはお互い様だ。1人ではなく、2人で一緒に老いていける事が救いで勇気になる。
なんて言ってないで、せっせと出来るエクササイズをこなし、美容液の力を借り、化粧を施し、髪を染めよう。そして希望と目標を持って前に進むのだ。大丈夫、抗えなくなった時、隣には受け止めてくれる強力な同志がいる。
50代、揺れるお年頃。年齢を重ねることへの不安より楽しみを増やしたい。幸せな時間は何でもない日常の中にちりばめられている。
人生は続く、共に輝こう!