死に直面し、生を考える。タイでのお葬式。 | 台湾で着物を楽しむ♫ hirokoの海外ブログ 〜4度目の結婚生活と着物のこと〜

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4度結婚したオンナの、「幸せ」の追求と日々。
5年間のタイ、バンコク生活から2018年末に台湾、台北に移住し、海外生活続行中です。
日常着として「着物」を愛用、旅行含め「着物」に関するあれこれを綴っています。
ライター・ラジオD J は、しばらくおやすみです。

1月2日、
私達は初詣ではなく、大切な人が大切な人を送るタイの告別式のために、お寺に行ってきた。


涙とお花とお線香…
国を越え言葉を越え、ご冥福を祈り、人の限られた時間に思いを馳せる。

私も父を亡くして丸6年が経った。

当時書いたものを読み返してみた。


こんな時に 

何を 

どう 書けばよいのだろう。 


まだ、 
思い出すら つづれない。 


思いきり 泣くことも 

眠ることも 

できない。 



大丈夫。 
冷たくなった 父は、 
亡骸で、 

魂は、すでに そこにないはずだから。 

わかっている。 


わかっているけど、 


涙は頬をつたうけど、 


泣いてはいない。 


わかっている 
わかっている。 


彼の 父の  
修行が終わったのだから。 


この世は 
修行で、 
色んなものを学ぶために生きていて、 
喜びや悲しみや苦悩や… 
プログラミングされた、それが 終わったら 

極楽浄土?へいける。 
だから、死は 悲しいことではない。 


故人の心が残ってしまわないように、 
修行が終わったんですね、と 送るものだ、と。 

痛みからも解放され、 
魂になった と。 


そう 
思い 言い聞かせる。 


そのうち、私もいくのだから。 




カチカチ  カチ 


時計の音だけが響く。 ~
mixi過去日記より


時間は優しく過ぎ…。
一周忌を終える頃には、
生前より、身近に父を感じるようになっていた。

風がふく時はそこに父を感じるようになった。
今では、こういった機会以外では父を思い涙する事すらなくなった。

人は忘れていく。
忘れる、というのは故人を、という意味ではなく、
深い悲しみや、打ちひしがれた感情などの事だ。

だから生きて行けるのだろう。


人の死に直面すると、生を否応無しに意識する。
自分たちに残された時間を思う。
また、身内に残された時間を。


ちょうど1月で私達夫婦はまた歳を重ねる。
そんな中で、あと10年、20年をどんな風に生きたいか、を考える良い機会でもあった。


タイに住んで2年。
まさか、お互いをリスペクトし、心を通わせるタイ人の友人が出来、その身内の葬儀に出る事になるとは…考えてもいなかった。
喪服は次回の一時帰国の際に、念のためタイに持参しておくか、くらいの予定だった。

タイ在住の日本人の友人も、タイ人のタイ式の葬儀に出た事がある人も殆どいなかったため、戸惑った。

それでも、お寺で知った顔を見た時には、駆けつける事を選んで良かったと思った。


仏教国タイでは、お墓というものは無いらしい。
埋葬するのではなく"散骨"という形を取るという。
他にも、遺骨の一部または全部を、寺院の通路の壁や納骨堂の壁などに安置し、モルタルで塗り固めることもあると。

人間の本質とは魂であり、肉体はこの世を一時的に生きるための"器"に過ぎない、だから骨や墓に執着する事もなく、成仏出来ると。

また、タイ人は日本人以上に輪廻転生を深く信じていて、それを疑う者は少ないのだと。


今日、大切な友人である彼も、彼の亡き母親はきっと生まれ変わるだろうと言っていた。

ありがとう。
ありがとうございました。

言葉に出来ない、何故だかわからないけれど、遺影を前に、ただ感謝と、穏やかな感情が湧き上がった。


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※写真と本文は関係ありません