大晦日の民放のテレビと言えば、格闘技というイメージがありました

日本テレビ系での「INOKI BOM-BA-YE(猪木祭り)」
TBS系での「K-1」
フジテレビ系での「PRIDE」(K-1ってフジから始まったのに??)

視聴率の差は分かりませんが、いくつかの試合はレンタルDVDで観ることができます(私もレンタルで観戦しています)

ネットで興味深い記事を読みました。
民放3局で総合格闘技を放映した2003年には、格闘技業界の足もとはぐらつき始めていたそうです

2003年始めにPRIDEを運営していたDSEの森下直人社長が亡くなり、K-1を立ち上げた石井和義館長が2月に法人税法違反容疑で逮捕されて表舞台から退きました。

2006年2月、PRIDE王者だったヒョードルの出場調整に便宜をはかったと、猪木祭り主催会社社長から約2億円を脅し取ろうとした恐喝未遂で指定暴力団山口組系暴力団幹部ら3人が逮捕

2006年6月、フジテレビがPRIDEを運営するDSEとの放映契約を解除

2007年、資金繰りが苦しくなったPRIDEが米国のUFCに買収され活動停止

テレビ局側にも事情はあるのでしょう・・・

15年以上も前に読んだ格闘技界全体の地盤沈下を予測する記事を思い出しました。

夢現舎代表の小島 一志氏により書かれた「21世紀格闘技論」です。
FBやこのブログで何度か取り上げたことがあります。
内容は実践する者に帰着する格闘技の本質を考え直す必要を訴えるものです。

実践者の視点に立った競技格闘技 
見る者の視点に立ったエンターテイメント格闘技  

格闘技の2つの側面は表裏一体で、ともに補完し合うべきと述べています。

しかし行き過ぎた観客への迎合、興業優先の商業主義、実践者不在の格闘技観。
これらが、格闘技界全体の地位低下をもたらすと警鐘を鳴らしていました。

格闘技の社会的地位や選手の立場が、雑誌やテレビなどのメディアに煽られることで低下しないことを期待します。

たとえテレビ中継などで観戦できなくても、素晴らしい試合は語り継がれると思うので。
2013年も中旬に入りました。
今さらの投稿ですが、2012年の大晦日に放送された「大晦日スポーツ祭り! KYOKUGEN 2012」で井岡選手と宮崎選手のダブルタイトルマッチを観戦しました(仕事なので録画ですが・・)。

宮崎選手の親孝行には感動しました
リング上での「ホンマ産んでくれてありがとう」のコメントに、もらい泣きをしてしまいそうになりました

日本人初の団体王座統一と日本最短の11戦目での2階級制覇した井岡選手は、2012年のプロ男子の最優秀選手賞と年間最高試合とのダブル受賞です。

ただ、翌日(元旦)にコンビニで購入したスポーツ新聞に井岡選手の試合の記事が見当たらなかったのが謎です・・・

知らなかったですが、、、昨年の大晦日には5大世界タイトルマッチが行なわれたようです。

WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチで河野選手が大番狂わせ(?)の大勝利 4RKO

WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチで佐藤選手が3-0の判定で防衛成功でプロ男子の最優秀選手賞

WBAスーパーフェザー級タイトルマッチで内山選手の8RKO勝利


10数年前までの大晦日の民放のテレビ欄は、K-1やPRIDEなどの中継で賑わっていました。今後しばらくは、バラエティ番組とボクシングの世界タイトルマッチが定番化していきそうです


まだ松の内ですが、年末・年始商戦はひと段落ついたように感じます(成人式を控えていますが・・)
もともと等閑だったフェイスブックやブログも拍車を掛けて休止状態でした

昨年のクリスマス商戦から、ゆっくり会えない(冬休み期間中の)子供たちが私に手紙を書いてくれていました

今度の休みから、また親子で練習を再開していきます

プロで世界王者を目指すより、日本初の2大会連続金メダルで伝説を残したい。」 
by村田諒太選手26歳。

数階級制覇連続防衛逆転KO
ボクシングには様々な記録が伝説として残っています
そして、多くのボクサーが新しい伝説に挑んでいます

そんなボクサーが大好きです

そんなボクサーの挑戦を応援し続けたいです

力道山に口説かれ来日し、ハンマー・パンチの藤猛(現在ではデンプシー・ロールで有名?)を筆頭に6人の世界王者を育てた名伯楽:エディ・タウンゼント氏。

竹刀で殴打する指導が当たり前の時代に、「アレ捨ててよ。アレあったら僕教えないよ! 牛や馬みたいに叩かなくてもいいの! 言いたいこと言えば分かるんだよ!?」と力道山に向かって言ったそうです

ボクサーを愛し、「ハートのラブ」の指導を貫いた名トレーナーでした

短期契約で日本中のジムを渡り歩き、チャンピオンを育てていたので、自らをジプシートレーナー」と称していました。
デビュー戦からセコンドに就いた唯一のボクサーは井岡弘樹選手です。
エディ氏は、最後の愛弟子のことを「ボーイ」と呼び育んでいきました。

日本のボクシング界は、エディ氏の功績を讃えて国内で活躍したプロボクシングのトレーナーを対象に「エディ・タウンゼント賞」を創設しました


先ほど井岡ボクシング・ジムのブログを見ていたら、井岡弘樹会長の実兄でプロモーター兼トレーナーの井岡一法氏(井岡 一翔選手の実父)がエディ・タウンゼント賞したそうです


エディ氏の魂は、しっかり受け継がれていますね
日本にムエタイが紹介されたのは昭和34年、37年に行われたエキジビジョンマッチです。
その後、プロモーターの野口修氏がラウンドのインターバルを1分(ムエタイは2分)とルール改変を行い、昭和41年にキックボクシングとして新興プロスポーツをスタートさせました。

キックはムエタイを基盤として生まれた競技なので、技術は似ています。
ただ、ムエタイは足技のほうがポイントが高いので、ムエタイ選手は蹴りを多用します。
そのためタイの選手は、日本人の身体より優れた柔軟性とバランス感覚を磨き続けました。

もしかしたら、キックでパンチを多用する傾向があるのは、キック選手とムエタイ選手の身体能力の差が原因かもしれません。

打倒ムエタイに燃える多くのキックボクサーがいます
藤原敏男選手は学生時代に四角いジャングルですっかりファンになった名選手です。

また私の学生時代に現役で活躍していたのは、9冠王のチャモアペットにフルラウンド戦い抜いた立嶋篤史選手です。
ちなみに立嶋選手のタイでのリングネームはアーシー・ゲオサムリットです。
キック選手ではなく、ムエタイ選手としてムエタイに挑戦していた人物です。
雑誌やテレビ(テレ東の生放送で携帯鳴らしたり)で頻繁に登場していました。言動に対していろいろ言われていたこともありましたが、選手としてだけでなく人間的にも尊敬していました。

しかし、、、多くのキックボクサーや空手家が挑戦してきたムエタイは、ギャンブルの1つです
バンコクの二大殿堂では、スポーツとしてではなく賭けの対象として観戦している観衆が大半を占めます
そして、ムエタイ選手の地位は低く、選手というよりは競走馬の様な扱いに近いそうです
競技が賭博の対象とされており、貧困層のスポーツと見なされているためです
中国武術の影響を受け発展してきた空手は、佐久川 寛賀を祖とするなら約200年の歴史です。
空手から派生したテコンドーは約60年の歴史ですか

約500年の伝統をもつ、立ち技最強とも呼ばれている格闘技があります。
タイの国技、ムエタイです。
日本の柔道や韓国のテコンドーのように、タイではムエタイのオリンピック種目化を国策にしているそうです。

ムエタイは、インド伝統武術のカラリパヤット(「カラリ」とは道場、「パヤット」とは戦いと言う意味)が伝わって形成されたといわれています。

また、身を護る手段として中国武術を学んだ原タイ民族(タイ民族は中国大陸から長い年月をかけて移動してきたようです)が、外敵との戦いを経て、その技術を洗練させていった説もあります。

他にも、タイにはタイ相撲という民族固有の闘技があり、ムエタイの原型になっているというものもあります。

日本で言うと、相撲から柔術・柔道への流れのようなものかもしれません

ちなみに、松濤館流から派生したテコンドーも、起源を朝鮮半島の古武術テッキョン(托肩)やスバクに求める時期もありました。
ただこれは、韓国の伝統武術として普及させるためだったようです

古式ムエタイは軍事教練の科目の1つに採用されていました
約180年前に編纂されたムエタイの教則本によると、喉をつかむ・肘関節を極める・担ぎ上げて投げ落す戦場格闘技としての技術が集約されています

当時から肘打ちと膝蹴りが重要な武器でしたが、隙・予備動作が大きい回し蹴りは使用されていなかったようです

また、ミャンマーのラウェイ(ビルマ拳法)のようにグローブは着用されませんでした。
ラウェイは、ムエタイに頭突きをプラスし、縄を巻いた拳で行われ、判定がなくKO勝ちしか認められないのが特徴です。
タイでは「ムアイカートチュアック(素手に紐(チュアック)を巻く(カート)1対1の格闘(ムアイ)という意味)」と呼ばれています。
タイでも時折この形式の試合が行われるようです。
古式ムエタイは、木綿か麻や皮の紐を巻いていたようですが、現在のラウェイはバンデージを使用します

古式ムエタイは、時代と共に競技としてのムエタイ変貌を遂げていきます

1921年、第一次世界大戦への参戦のために武器を購入する必要ができました。その資金捻出のために国王がサナーム・スアン・クラーブ(バラの庭園)でムエタイのトーナメントを開催しました。このトーナメントはスポーツとしてのムエタイの発祥となる大会です。

1929年、拳の保護のためにそれまで使われていた木綿のひもがグローブに改められます。

1936年、国名がシャムからタイへ。以降ムエタイの名称ができました。

1955年、競技ルール(投げ技、関節技を禁止、体重制、ラウンド制)ができました。

そして、タイ国技として厚い選手層を有し、女子ムエタイやアマチュアムエタイも行われるなどリングスポーツとして発展しています。

競技としてのムエタイは約90年の歴史です。
しかし、戦場格闘術である古式ムエタイを洗練してきた約500年の重みがある格闘技です。

海外のトップ選手に比べて日本選手が基礎鍛錬のウェイトトレーニングや縄跳びを軽視している

以前購入したテコンドーの雑誌に書いてあった警告です

もちろん、現在ではネットなどで海外の強豪選手のレベルを見る機会も増え、各道場でもそれぞれ改善がかなり進んでいると思います

なわとびの重要性について以下の点を挙げています。
心肺機能強化と全身持久力向上に最も適した運動

瞬発力、柔軟性、重心のバランス向上に欠かせない運動

そういえば、コンビニで買った雑誌にもなわとびに関する記事がありました。

省スペースで、効率よく全身の筋肉を使う有酸素運動

脂肪を燃焼させ、筋肉を鍛える

なわとびは他の有酸素運動に比べ、消費カロリーが高く、足への衝撃が比較的少ないです。
さらに筋トレ、バランストレーニング効果も期待できます

同記事では、毎日5分の縄跳びでも効果が大きいと指摘しています

30代70kgの男性が20分行った場合の消費カロリー比較が記載されていました。

縄跳び・・・233kcal
ランニング(時速8km)・・・186kcal
平泳ぎ・・・233kcal

ボクサーは、なわとびでバランスの練習もしています。
また、跳んで着地する動きの中で、常に姿勢をキープしようとするので、体幹の筋肉も鍛えられています。

ただ、注意点もあります。
飛ぶ場所は衝撃を吸収してくれる土の上がベストです。
コンクリートやアスファルトの上だとひざやかかとを痛めることがあります。
また、なわが傷つききれやすくなってしまいます。

これは、ロードワークでも同じことですね。
お勧めはやわらかくバネのあるスニーカーです。

また、跳ぶ前にふくらはぎにストレスをかけないために、準備運動でストレッチを行います。
そして、足腰をならしアキレス腱を伸ばしておきます。

テコンドーは、打撃系格闘技でも特に柔軟性を求められるので、毎日のストレッチングは欠かせません。

縄跳びの長さは、肘を曲げた状態で片足で縄を踏んで持ったとき、両手がみぞおちくらいまでくる長さに合わせます。
初心者は長めに調節し、慣れてきたら短くしていくのが良いそうです。

手首を返すタイミングと足でスキップするタイミング、お腹に力を入れるタイミング、全身の連鎖行動が整わないと一連の動作が成り立ちません。

息子も娘も腕の動きを大きく回転させながら、ロープをまたぐようなスキップをします。
小学生の息子はもちろん、これから入学する娘も、手首のスナップを使って腰のあたりで腕を小さくクルクル回していく跳び方ができたらカッコいいですね

ちなみに、テコンドーの縄跳びのメニューとして、以下の跳び方が紹介させていました。

両足とび・片足とび・交互とび・もも上げとび・2重とび

以前購入したテコンドーの雑誌に、世界大会に出場する選手の練習方法のサンプル例が紹介されていました

感じたことは、合理的と言うか、、、
試合に勝つための計算された内容(練習・鍛錬というより、トレーニングという表現が相応しい??)でした

もちろん、この強化トレーニング・メニューは試合において成果をだすものでしょう

同記事において、日本の選手がウェイトトレーニング縄跳びの基礎鍛錬を軽視していることに対して、激しく警鐘を鳴らしていました

練習内容を以下に書き記します。

1、体力の強化訓練
・基礎体力(パワー、スピード、柔軟性、瞬発力など)
・専門体力(敏捷性、持久力など)

空手家である柳川氏は、著書で空手の上達に基礎体力を専門的体力へ転化することを述べています。

そして、武道の専門的体力を腰から発する気力の養成で発現すること記しています。
専門的体力つけるために、木を押し揺らすトレーニングで腰を中心とする(1部の筋肉だけでなく)全身の力(気力)を鍛えられると書き記しています。

ちなみに、唐手と唐手の源流の中国武術では表現に違いがあります。
同じ東洋人の武術ですが、身体感覚に大きな違いがあるためです。

日本人は、人体を腰を境に上半身と下半身に分けて捉えます。
しかし、中国人は、上盤、中盤、下盤の3つに分けて捉えます。

なので、「腰」に対しても、日本人と中国人とでは、位置が変わってきます・・・
日本人の捉える腰の位置は、骨盤あたりです。
中国人では、骨盤と肋骨の間になります。

中国武術では、特に中盤と胯(股関節)の感覚が重要です。
私は以前通っていたボクシングジムでトレーナーから股関節を意識することを教えられました。
実際(連打や右の)パンチも劇的に変化したので、胯の感覚がおぼろげながら理解できます。

表現は変わりますが、那覇手が源流の沖縄剛柔流は、「腹」を意識します。
三戦での移動中でも常に「腹」の位置を守り、「腹」を効かせ突きを打ちます。

三戦は、剛柔流の背骨とも言える型で、那覇手の基本型です。
首里手・泊手の系統のナイファンチと同じく、那覇手ではもっとも重要な型の一つです。

2、意思の強化練習
・座禅、メンタルトレーニング

スポーツの世界では、「ゾーン」の状態に入るために「プレパフォーマンスルーチン(ルーチン)」としての準備行動を意図的に行うことがあります。
また、認知行動療法に基づくストレス対処法である「コーピング」を活用している選手も多いです(ある政治家も活用しているようです・・・)。

3、技術の強化練習
・技の正確さは威力とスピードの向上に欠かせない

4、戦略の強化練習
・攻撃用の蹴りとカウンター蹴りは、各ラウンドごとに、2種類ぐらいずつ、得意技として身につけておく。
・次のステップとして、競技相手の選手特性を覚え、試合運びなどをイメージ・トレーニングして戦略に工夫をこらす。

5、理論の強化練習
①競技規則やテクニックなどの戦術理論
②ポイントが負けている時の攻撃戦術
③ポイントが勝っている時の攻撃戦術

以上の内容を1日、週間、月間、年間を通じてトレーニングすることが重要です。

運動量の強弱、練習時間、練習方法などを状況に応じ、細かな配慮をして、組み立てていきます。

私は、自宅で子供たちと楽しみながら??練習内容を組み立てていきます
またまた、ネットから南派拳術からテコンドーまでの流れをまとめてみました。

首里士族の佐久川寛賀(あだ名は唐手佐久川)は、幼少の頃より学んだ沖縄固有の武術「(ティー)」に、北京で学んだ中国武術を融合させて独自の武術を創造したと考えられています

この「」と中国武術を融合した武術が空手の源流である唐手(トゥーディー)ではないかと考えられています。
しかし、がどのような武術か分からないため、、検証できません。

あだ名唐手佐久川の唐手を直訳すると「唐=中国、手=武術」を表します。
つまり中国武術の使い手の佐久川と言う意味です。

唐手を佐久川寛賀に学んだ松村宗棍は、示現流の免許皆伝も得た武人です。
琉球王府に仕えた首里士族のなかでも、武士松村と讃えられています

今日の首里手系統の空手流派のほとんどは松村の流れを汲んでいます。

安里安恒は、18歳の頃に首里手の大家・松村宗棍に入門したと言われています。
同じ松村門下には糸洲安恒がいました。

糸洲は頑強な体格をもち、力強い突き手として知られていたのに対し、安里は身が軽く、繰り出す技が素早かったといわれています。
「人の手足は剣と思え」という安里の言葉も伝えられています。

ちなみに、松村は糸洲のことを「糸洲の技はのろくて、実戦に間に合いますまい」と評し、嫌っていたそうです
耐えかねた糸洲は松村のもとを退き、自分より一歳年上の那覇手(東恩納寛量以前の那覇手)の長浜筑登之親雲上に師事するようになりました

糸洲は、首里手だけでなく泊手、那覇手なども幅広く修行していました。
糸洲の流儀は「那覇六分首里四分」という意見もあります。

なので、2人の稽古法には違いがあります。

松村宗棍は実戦(組手)と柔軟性を重視した稽古法だったとされています。
弟子の糸洲安恒は型稽古に主軸をおき、また那覇手の影響を受けて「身体を堅める稽古法」を重視したものでした。

冨名腰義珍は、16歳の時に那覇手の大家・湖城大禎に唐手を師事しますが、那覇手が合わず湖城の教授を三ヶ月でやめています
その後、首里手の大家・安里安恒に本格的に師事しました。

ちなみに安里の弟子は、冨名腰義珍一人だけでした。

冨名腰は、安里とは同じ松村宗棍門下で友人でもあった糸洲にも影響を受けています。
糸洲門下の摩文仁賢和(糸東流の開祖)からピンアン(糸洲の創作型)を学んでおり、後には「ピンアン先生」とあだ名されるほど、冨名腰得意の型の一つになりました。

糸洲の影響か、冨名腰も型稽古を重視し、組手はあまり知らなかったようです。

大正11年(1922年)6月に本土の講道館に招かれた冨名腰は、嘉納治五郎と200人の柔道有段者を前にして、唐手の演武と解説を行っています。

しかし、講道館での演武は型だけの単独演武で、乱取り稽古を重視する柔道家には、あまり強い印象を与えることができませんでした

唐手の稽古が型のみという問題は、その後も繰り返し柔道家の側から「乱取りに相当する稽古がないと本当の実力を計る物差しがない」と問題提起されています。

しかし、型を重視する冨名腰は、弟子からの自由組手を唐手に導入する提案に激しく反対しています

ちなみに、大正11年(1922年)11月、52歳の本部朝基がロシアのヘビー級ボクサーを1撃でKOした試合模様が、国民的雑誌「キング」に掲載されています
このことで、本部朝基の武名と唐手術が一躍全国に知られることになりました
その後も、本部は他流試合などでも実力を本土で証明しています

冨名腰の系統は一般に松濤館流と呼ばれ、全世界に広がり世界で一番多く人々に学ばれているそうです

そして、松涛館流を学んだ崔泓熙はテコンドーを創始しました。