私たちは日々、テレビや新聞の報道機関の報道を通し、民主主義社会における国政に関与する為の重要な判断資料の多くを得ている。この報道機関が、情報統制を行い、不公正なものや、特定の意思を表明するものを報道していたら、国民は気がつかないうちに偏向した判断資料の上に価値基準を置く事になる。


 ところで、今から約20年ほど前、中国の学生が民主化を求めて天安門広場に集まった。この時、中国人民解放軍は武力弾圧をし、広場にいた大勢の市民を戦車でひき殺したのである。死者数は数万人に上ると言われている。NHKは事件から数年後「クローズアップ現代」の中で、この時中国人民解放軍により殺害行為は行われておらず戦車によって威嚇をしただけであると報じている。

 そして現在、中国はチベット、ウィグル人への殺害行為や民族浄化行為を行い続けている。ネット上ではその映像までもが流れているが、テレビで具体的に報道することはない。

 今年の3月には、竹島領有権主張問題において民主党の議員であった土肥氏が、領有権主張を日本側が放棄するという内容の署名したことが発覚したが、各局「大変な問題」とは言いながら、主権問題について論じたりすることもなく数分の報道をした限りであった。

 先日は、「朝鮮王室儀軌」等の返還を含む日韓図書協定が衆議院会議を通過した。これは、戦時において日本が朝鮮から奪ったとされる本の返還を朝鮮側から求められたのであるが、先日この件に関しての国会審議において、総理談話によって返還が決定されたものの、返還対象の中には、日本が購入したものも入っていることや、総理談話の中では100冊程度であったにも関わらず、その後勝手に日本側は1000冊にまで、その対象を増やしていたことが発覚したことを、私はテレビで報道されているのを見ていない。


 民主党は、とかく中韓よりの開国を目指す党である。民主主義の観点からすれば、危険な中国や韓国に開国をするかどうかは、国民が判断すべきなのである。

 にも関わらず、国民が国政に関与するために必要な多くの情報を発信する報道機関自体が、既に民主党の関係企業、中国系・韓国系から多額の広告・宣伝費を得ている。これでは、身内に甘い報道がなされる結果、公平性は確保できないであろう。


 そもそも、放送法の目的規定においては、放送は公共の福祉に適合するように規律され、その健全な発達を図ること。放送が国民に最大限に普及され効用をもたらし、健全な民主主義の発達に資するようにすることとされる(第1条)。そして、放送番組の編集に当たっては、政治的公平であること、事実をまげないですること、意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から論点を明らかにすること(同法3条)とされる。


 はたして、日本の主要報道機関は放送法の目的や規制に対して尊守しているといえるのか。日々、刑事犯罪者などを表現の自由(憲法21条)の名の下に報道しているが、報道関係者の中に真に国民に対して胸を張って表現の自由の保障の伝達者であると言える者はどれだけいるのだろうか。

刑法の大原則である罪刑法定主義は、「犯罪と刑罰はあらかじめ明確に規定されていなければならなことを要するという原則である」

 ここには、民主主義的要請と自由主義的要請の二つの要請がある。前者においては、国民の代表機関の定める法律で犯罪と刑罰が規定されなければならないとする法律主義が導かれる。後者においては、いかなる犯罪が処罰されるのか明確に規定されることにより、基本的人権のうちの特に自由権である行動の予測可能性を確保することが要請される。


ところで、2002年、自公連立政権から「人権擁護法案」なるものが提出された。この人権擁護法案の目的は、

「人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適性かつ迅速な救済又はその実行的な予防並びに人権総合の理念を普及させ、およびそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずる・・・」(人権擁護法案・案1条)とされる。

 この法案の名目は、人権を擁護するというものであるが、内実は戦前の密告社会、監視社会を復活させるような内容なのである。なぜなら、人権擁護法案は人権を守る為に人権委員会を設置することとされているが、ここにいう人権委員会は、人権擁護委員を全国に約2万人設置することが出来、人権擁護委員は人権侵害に対する情報を日々収集し、人権委員会に報告する。人権委員会は報告を受けた中から人権侵害があると認めた場合に、当該事件の関係者に出頭を求め、また、家に立ち入ることも出来る。出頭も立ち入りも拒むことは出来るが

その場合、過料が科されるからである。

 この法案の危険性は、第一に、憲法上は、身体拘束に対しては、現行犯を除き裁判所の発する令状によらなければこれをしてはならないとされているにも関わらず、人権委員会は独自の判断で出頭命令や立ち入り、捜査押収まで出来るのである。

 第二に、人権委員会におかれる全国二万人以内の人権擁護委員においては、国籍条項がなく、日本国籍を有する者でなくとも就任できる。

 第三には、人権侵害を侵したとされる者の氏名や事件の内容を公表することも出来るのである。


 例えば、金正日の悪口をネットで書いただけで、人権擁護委員に密告されたり、そこに北朝鮮の人権擁護委員がいたら人権委員会に報告されることになるのである。要は人権委員会とは思想警察なのである。


私は、以上の人権擁護法案の正当性について罪刑法定主義の観点から考えてみたいと思う。

 この点、国民の代表機関である国会が発議した法律とはいえるから民主主義的要請は満たす。

しかし、司法から独立した機関が人権に対する侵害を科す事が出来るのは、国の最高法である憲法に違反する。

 更に、自由主義的要請からは、基本的人権の尊重の観点から行為の予測可能性が害されるような曖昧不明確な法律は、行為のいきすぎや、国民の萎縮効果を発生させる恐れを免れず許されない。

 人権擁護法案2条は、「不当な差別、虐待、その他人権を侵害する行為」を人権侵害と定義している。具体的判断基準が明記されておらず、抽象的文言にとどまっている。このような規定からも予測可能性は害されるといえる。


したがって人権擁護法案は、明確に違憲の法案なのである。


にも関わらず、今日において、廃案となった人権擁護法案がゾンビのよう浮上を繰り返す。一部の利権者が影で動いていることは明白である。

現在、管直人率いる民主党もこの法案を可決させるべく動いている。


これからの未来に、日本が真の民主主義の国であるために、自らの利権のみを追及する国会議員・官僚を洗い出さなければならない。

先日、政教分離(憲法20条3項)について書く機会があった。

あまりに抽象的テーマすぎて、私は焦りまくった。

具体的事案に即した論文ばかり書いていて、抽象的な論文に慣れていないのである。

いや、慣れていないというより勉強不足だ。

一つのテーマを自分で抽出して、原則から考えて論述をすれば良いのだから。。。


提出時間が迫る中で、私は慌てて津地鎮際訴訟の最大判が出した適用基準である、「目的効果基準」に対する批判的な論文を書いてしまった。


目的効果基準は、国と宗教の完全な分離は不可能に近く、20条3項により禁止される宗教的活動とは、国と宗教との関わりが相当とされる程度を超えるもの、「当該行為の目的が宗教に対する援助・助長・促進又は圧迫・干渉等になるような行為」とした適用基準である。


私は、政教分離を考えるにあたっては、国の歴史的背景やこの国独自の自然観からくる神社・仏閣等に対する信仰心などの考慮が不可欠なのではないかと思う。ともすれば、目的効果基準から判断するのは難しいのではないかと安易に考えてしまったのである。


しかしながら後で確認したら、目的効果基準は更に続いていた。「外形的側面にとらわれることなく、その行為の行われる場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、その行為者がその評価を行う際の意図・目的・宗教的意識の有無・程度、一般人に与える効果、影響など、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない」と。


ここに、あてはめれば、この国もつ独自の宗教観も抱合すると考えられるはず。


・・・もっと勉強しなければ。