刑法の大原則である罪刑法定主義は、「犯罪と刑罰はあらかじめ明確に規定されていなければならなことを要するという原則である」
ここには、民主主義的要請と自由主義的要請の二つの要請がある。前者においては、国民の代表機関の定める法律で犯罪と刑罰が規定されなければならないとする法律主義が導かれる。後者においては、いかなる犯罪が処罰されるのか明確に規定されることにより、基本的人権のうちの特に自由権である行動の予測可能性を確保することが要請される。
ところで、2002年、自公連立政権から「人権擁護法案」なるものが提出された。この人権擁護法案の目的は、
「人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適性かつ迅速な救済又はその実行的な予防並びに人権総合の理念を普及させ、およびそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずる・・・」(人権擁護法案・案1条)とされる。
この法案の名目は、人権を擁護するというものであるが、内実は戦前の密告社会、監視社会を復活させるような内容なのである。なぜなら、人権擁護法案は人権を守る為に人権委員会を設置することとされているが、ここにいう人権委員会は、人権擁護委員を全国に約2万人設置することが出来、人権擁護委員は人権侵害に対する情報を日々収集し、人権委員会に報告する。人権委員会は報告を受けた中から人権侵害があると認めた場合に、当該事件の関係者に出頭を求め、また、家に立ち入ることも出来る。出頭も立ち入りも拒むことは出来るが
その場合、過料が科されるからである。
この法案の危険性は、第一に、憲法上は、身体拘束に対しては、現行犯を除き裁判所の発する令状によらなければこれをしてはならないとされているにも関わらず、人権委員会は独自の判断で出頭命令や立ち入り、捜査押収まで出来るのである。
第二に、人権委員会におかれる全国二万人以内の人権擁護委員においては、国籍条項がなく、日本国籍を有する者でなくとも就任できる。
第三には、人権侵害を侵したとされる者の氏名や事件の内容を公表することも出来るのである。
例えば、金正日の悪口をネットで書いただけで、人権擁護委員に密告されたり、そこに北朝鮮の人権擁護委員がいたら人権委員会に報告されることになるのである。要は人権委員会とは思想警察なのである。
私は、以上の人権擁護法案の正当性について罪刑法定主義の観点から考えてみたいと思う。
この点、国民の代表機関である国会が発議した法律とはいえるから民主主義的要請は満たす。
しかし、司法から独立した機関が人権に対する侵害を科す事が出来るのは、国の最高法である憲法に違反する。
更に、自由主義的要請からは、基本的人権の尊重の観点から行為の予測可能性が害されるような曖昧不明確な法律は、行為のいきすぎや、国民の萎縮効果を発生させる恐れを免れず許されない。
人権擁護法案2条は、「不当な差別、虐待、その他人権を侵害する行為」を人権侵害と定義している。具体的判断基準が明記されておらず、抽象的文言にとどまっている。このような規定からも予測可能性は害されるといえる。
したがって人権擁護法案は、明確に違憲の法案なのである。
にも関わらず、今日において、廃案となった人権擁護法案がゾンビのよう浮上を繰り返す。一部の利権者が影で動いていることは明白である。
現在、管直人率いる民主党もこの法案を可決させるべく動いている。
これからの未来に、日本が真の民主主義の国であるために、自らの利権のみを追及する国会議員・官僚を洗い出さなければならない。