デイサービスの見学から戻った45歳の
佐藤健太は、75歳の母親と自宅の応接間
でくつろいでいた。
「おふくろ、疲れなかったか?」
健太が聞くと、母親の君江は首を横に
振った。
「デイサービスって、楽しそうなところ
だろう。あんなところに週に2回通えば、
おふくろも若返りそうだな」
健太が明るく言うと、君江も笑った。
「ところで、おふくろ、最初に行った
「ぽかぽか」さんと、後で行った
「プレジール」さんと、どっちに行きたい
と思った?」
健太が単刀直入に聞くと、君江は全然
違う話をした。
「健太、いくらぐらいかかるのかねえ。
高いんじゃないの?」
健太は面食らった。君江は費用のことを
心配しているのだ。さすが、女手一つで
子供二人を育て上げた苦労人だ。
目の付け所が違うと健太は感心した。
そう言えば、母親に費用のことは何も説明
してないなあ、と健太は思った。そこで、
介護保険のしおりを開いて、要介護状態
区分ごとの支給限度額の表を見せた。
「おふくろ、これはみどりからもらった
パンフレットだけど、ここに要支援2って
書いてあるだろう」
健太は、表の中の要支援2の欄を指で示した。
「まあ、10万5千円とか書いてあるじゃ
ないの。そんなに高いところには、もったい
なくて行けないわよ」
君江が驚いていると、健太が今度は負担
割合証を出して見せた。
「おふくろ、大丈夫だよ。安心しろよ。
ここに1割負担って書いてあるだろう。
つまり、10万円の1割、1万円だけを
おふくろが払って、あとは市役所が
払ってくれるんだよ」
「まあ、市役所ってそんなに親切なの?」
君江が言うと、健太はうなづきながら言った。
「年寄りは大事にしないといけないからさ。
だから、わざわざ家庭訪問もしてくれただろう。
1か月に1万円ちょっとなら、年金でも払える
だろう?」
健太は、俺が払う!と言うと、母親がまた遠慮
しそうなので、わざと年金で払う!と言った。
「そうね、それなら払えるわ。あんな風に歌を
歌ったのは久しぶりで、楽しかったわ」
君江は、プレジールで歌ったことを思い出して
いる様子だった。
「それじゃあ、後から行った「プレジール」
さんに決まりだな」
健太は、ホッとした。これで、来週から母親が
一人で過ごす時間も減って、良い刺激を受けて
くれれば、認知症の進行も遅くなるに違いない
と思った。
母親が疲れた顔をしているので、健太は
夕食用の弁当を買いに出かけた。
母親がいつも買い物している近くのスーパー
安西に歩いて行った。
ちょうど夕飯時になるので、お弁当を色々と
並べている真っ最中だった。
「安西のおじさん、こんちわ」
「おお、健太か。珍しいじゃないか、一人で。
おふくろさんは?」
スーパー安西の店長をしているおじさんは、
健太が子供の頃からの顔見知りだった。
「うん、たまには俺が買い物しようと思って」
「そうか、おふくろさん、毎日来てくれる
からな。お得意様だよ」
健太が小学生の頃はまだ八百屋だったこの店を、
スーパーに改装したのが安西のおじさんだった。
高校生の頃は、よく学校帰りのおやつにスーパー
のコロッケを買い食いしたのを覚えている。
車に乗るようになってからは、少し離れた大きい
スーパーやショッピングモールに行くように
なって、あまり顔を出していなかった。
「健太、お前まだあの建設会社に勤めているのか?
たしか富岡建設だったよな」
安西さんが健太に聞いた。
「うん、そうだよ、おじさん。今じゃあ現場
監督だ」
「そうかあ、健太は真面目だなあ。今時の奴は
すぐに仕事を代わるやつが多いからなあ」
安西のおじさんに褒められて、健太は照れ
臭かった。
「おじさん、そうじゃないよ。俺はこの仕事
しかできないんだよ。転職できる奴は、それ
だけ能力があるってことだよ」
「そんなもんか・・・」
健太は弁当を二つ買って家に帰った。
夕食までの間に、健太はみどりにLINEで無事
に見学が終わったことと、プレジールに決めた
こと、来週から母親を行かせたいことを報告
した。
すると、早速みどりから電話が入った。
「健太、お疲れ様。無事に終わって良かったね。
でも、来週からすぐには無理だと思うよ」
「えっ、どういうことだよ」
健太は出鼻をくじかれた気がした。
「あのね、中央包括は、まだおばさんとの面談
もしてないでしょう。それに、プレジールとの
契約書も書かなきゃいけないし」
「おいおい、そんな面倒くさいものなのか?
建設業なんて、電話一本で契約成立だぞ」
健太の言葉にみどりはあきれながら言った。
「ちょっと健太、大切なご家族をお預かり
するのよ!それに高齢者は体調が急変したり
して大変なことも多いから、事業所も本人や
家族も、お互いにしっかり納得してからで
ないとダメなのよ。
ご本人やご家族にきちんと説明をして、
契約書も作成しておかないと、公費負担分
を自治体やお国からもらえないのよ。
自分の会社と一緒にしないの!」
みどりに言われて、健太はそれもそうだと
思った。公費負担分とは本を正せば国の税金、
つまり俺たちが汗水たらして払ったお金、
それを電話一本で良いように使われては
確かに困るだろうなあ、と。
みどりは、健太を軽くたしなめると、ここ
からの手続きの流れを説明してくれた。
まずは、中央包括の担当者が君江と面談を
して、アセスメントを行う。アセスメント
というのは、利用者本人や家族の状況を
観察したり聞き取ったりして、ケアプラン
を作成するための基本情報を集めて準備を
すること。
次に、利用者や家族の要望を聞き取って、
ケアプランを作成する。週に2回利用する
と言っても、何曜日が良いとか、送迎の
時間帯は何時ごろが良いとかを、包括が
事業所側と調整をしてくれる。
次に、事業所と利用者本人または家族と
契約をする。契約書や重要事項説明書
などの説明を受けて、両者が納得した
うえで、サービス利用が始まる。
「おい、それじゃあ、いつになるんだよ。
俺は土日しか休めないし、包括は平日か
土曜日の昼間だけで、みどりみたいに
夜来てくれるわけじゃないだろう」
「まずは、早川さんに結果を報告して
相談したら。
今日なら、まだ間に合うわよ。それと、
契約の時は楓さんに来てもらえば?」
「また姉貴に来てもらうのか。なんだか
頼みにくいなあ」
健太が困ったように言った。
「でも、健太、包括の人にもプレジールの
人にも、楓さんは一度会っておいた方が
いいと思うよ。
急に何かあった時で、健太が動けない時は
楓さんに頼むわけだから、楓さんだって
そう言うと思うよ」
みどりは、緊急事態も想定していた。
「わかったよ、みどり。とりあえず中央
包括の早川さんに電話するよ」
健太! 急げ!
TO BE CONTINUED・・・