1968年はジャズの歴史にとって大転換点だったんだ。 | 【大阪市 平野区】山岡建設社長の幸福共創物語~みずから明るい未来へ~

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創業大正15年、会社設立昭和30年。大阪市平野区で水道工事業をメインに土木、リフォームと事業を広げています。代表の山岡建設社長が、ジャズやロックなどの音楽の話や下手なゴルフの話とほんのすこし仕事話を通じて日々歩み続ける物語です。

お元氣様です。

前から不思議に思ってたことがあって、、、

ジャズミュージシャンの服装って元々はきちっとスーツを着ていて演奏していたのが、いつのまにやらTシャツにジーンズみたいな感じになってます。

70年代に入ると、ジャズミュージシャンとロックアーティストの服装の違いなんてないような感じすら受けます。

ユーチューブで60年代後半から70年代のマイルスの服装の変化を見てみました。

実は1968年のマイルスのライブ映像があまりないのです。

私は、オンタイムで60年代の音楽を聴いていないのでよくわかりません。

1967年に『ネフェルティティ』が発表されています。
このアルバムは、マイルスの生涯において最後の、アコースティック楽器のみで演奏されたアルバムです。

そして1968年、『マイルス・イン・ザ・スカイ』が発表されます。

このアルバムは、マイルスが電子音楽を取り入れた最初の注目すべきアルバムです。
結果的にこれからの数年でフュージョン(最初はクロスオーバーと呼ばれていた)へと移行していきました。

1968年がジャズの転換点であり、ジャズミュージシャンの服装の転換点でもあるということがわかりますね。

でも不思議なのは、なぜマイルスがアコースティックからエレクトロニックへ移行したのか。

そして、もう一つ不思議なのが、マイルスがこれより後にアコースティックなサウンドを演奏しなかったのか。

タイムマシンがあれば1968年に戻りたい気分です。

この疑問にお答えできる人のコメントを募集中です。

1967年のマイルスのライブ映像


1968年のマイルスのライブ映像


1969年のマイルスのライブ映像


1970年のマイルスのライブ映像


1971年のマイルスのライブ映像