京都に行ってきました。
京都で出会った全ての人に感謝します。
高校の修学旅行で行って以来の2度目の京都。
京都で昔と今で感じたことは全然違った。
木屋町に行き付けの飲み屋ができました。
本当に親切にしていただきました。大将気前良すぎです。

↑京都舞鶴から上がったばかりのハマチ
この店に行けたのは、本当に縁です。

↑鯖(さば)の生寿司(きずし)
酢か柚子に付けて食べる。
京都と言えば、鯖
全ての始まりは、ある外人と京都の地下鉄で会ったからです。
出勤時に、嵐山に行きたいのだがと道を尋ねられ(人生で京都2度目の私に)、地図を見ながら答
えたら、今日の夜、飯一緒に食わない?と誘われ(完全に外人のノリ)、
…行ってみました。
彼は、イスラエル生まれのシドニー在住の方でした。
行ってみると、案の定、彼がその日初めて会った人達もいました(完全に外人のノリ)。

そんなわけで、たまたま入ったのが大将のお店。
大将は片言の英語を使えるけど、僕がいて助かったと言われました。
ちなみに最初、外人グループの中の僕を見た時、韓国人か英語ができる京大生かと思ったそうです。京大生に申し訳ないお言葉(笑)
店では、京都人の話、今の日本の話、舞妓さんの話、色々と聞いて、意見交換することができました。
興味深かったのは、
・京都は台風が直撃しても、毎回ほとんど無傷。
洪水になったとかいう話は聞いたことない。盆地だからとよく言われるけど、それだけで説明は付かない。ちなみに京都ば京都水盆と言われるくらい地下水が豊か。
水が付く地名が多い。
知れば知るほど面白い京都。
・京都は夏が物凄く暑く、冬は物凄く寒い。
インド人でも夏倒れた。
こんな厳しい環境でも人々は京都に住み続ける。実際、京都は寒かったです。
京都を知ると京都へ戻ってきたくなる。京都人は最後には京都へ戻ってくる。
・舞妓さんと芸者は違う。
舞妓になる人は、15才から修業を始め(高校には通わない)、見習いが終わると舞妓になるが、二十歳で芸者となる。
舞妓は地毛だけど、芸者はカツラ。
舞妓も芸者も恋人、夫を持てない。ご法度
ちなみに舞妓を育てる学校の経営者の女将さんと奇跡的に会えて、この話を聞くことができました。
15才で入校してから6年間で卒業なのだが、それまでに固定客を作っていないと芸者の生活は厳しい。
お花代は5万円と高し、私は3万円にまけてくれるらしいです(笑)

色々と質問をした私に、女将さんが、舞妓になる前の修業中の娘さんに会わせてくれました。
本当に礼儀正しい娘さんでした。
椅子に座る時は、背中を背もたれに付けない。
皿に手を添える場所も常に一定。
言葉遣いも上品な京都言葉。
あんなにイカを上品に食べる娘さんが世の中に存在することに感動しました。
本当に上品オーラが凄かったです。感動しました。
上品な女性、素敵でした。
来年、舞妓デビューするので、ポスターが来月出来上がるそうです。
女将さんに、舞妓の見習いさんに会うという経験なんてめったに出来ないです。
ちなみに、舞妓になるための修業中は、土日の休日はない。
とはいえ年頃の女の子なので、嵐の誰が好き?と聞いたら、
嵐のメンバー名を知らないと驚きの回答が帰ってきました。
夢に向かってまっしぐら、輝いていました。
舞妓・芸者の世界を垣間見ることができました。
唐突ですが、京都の地名読めません。
・先斗町(ぽんとちょう)
↑外人と待ち合わせた時に、Pontochoとか言うから、そんなふざけた名前ないしょ。
何を読み間違っているんだと思いました。昔、異人がいた時代のポルトガル語が始まりだとか。
・西院(さい)
・中京区(なかぎょうく、濁る)
・太秦(うずまさ)
ところで、帰りの新幹線で買った弁当が隣の席の人が激突して上下逆になりました。
京都充実してたから別に気にしなかったです。

↑大将が作ってくれたスタミナ飯。
俺も自炊力付けなくては。
京都へ来るときは寄れよとか、いついつに舞妓やるから見に来なさいとか言われて、凄い嬉しかった。
世界遺産の宝庫、京都。
まだまだ日本を知らなければいかんな。
自分の目で見て、自分の肌で感じる。
辛いこと楽しいこと、全てが自分の経験になる。
忙しすぎると一日一日雑に生きてしまうが、一日一日もっと考える時間を持つべきだなと思った。
八橋うまい!(八橋食べるのも人生2度目)

↑湯豆腐定食