「山椒魚」における「母」
1年前の記事を再録します。
大学の授業で、井伏鱒二「山椒魚」の世界を論じています。
その読解の補助線のようなものを示しています。
私は常に「母」の問題を取り上げます。
「山椒魚」における「母」の問題とは何なのでしょうか。
「山椒魚」における「母」
大学で作品「山椒魚」を論じています。
「山椒魚」における母のイメージを考えてみましょう。
もちろんそこには妊娠や出産の問題が絡んでおり、エロス的要素が存在します。
岩屋は母胎ですね。温かくぬるぬるしています。
羊水に山椒魚が浮かんでいるイメージです。
出入口は産道です。
山椒魚はこの産道を通れなくなってしまいました。
ここに隠花植物である杉苔が花粉を散らすというのです。
隠花植物にはもちろん花も花粉もありません。
隠花植物が花を咲かせ、実を結び、種子を散布したがその種子は花粉であると書かれています。
これは全くの嘘です。でたらめですね。
カビは繁殖する意志がないようなので、愚かだと言います。
それでは山椒魚はどうなのでしょうか。
山椒魚は、生殖の環から外れてしまっています。
それでは杉苔は愚かではないことになるのでしょうか。
そこに卵を抱えたエビがやってきます。
エビはお腹で抱卵して卵を孵しますので、岩壁に産卵はしません。
しかしエビは岩壁に産卵しに来たと書かれています。
ここにも嘘が描かれます。
このエビも母そのものです。
それから、岩屋にあるという杉苔の花ことばは母性愛です。杉苔だけではなく、苔全般に、花言葉は母性愛です。花はありませんが、柔らかく包み込む感じがあります。花ではないのですが、花のようなものはあり、苔の花という季語にもなっています。
だんだん、この世界の深層が見えてきました。
みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。
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