季節の不思議 前に進む
1年前の記事です。
これは大した話をしているわけではないのですが、何度でも繰り返し、指摘したい話であります。
風景の味わいということです。
同じ場所の四季の変化を見続けていると、その深い味わいがわかってくるのです。
これは理屈ではなくて、毎日同じ森と池を朝晩散歩してきて、炎天下でも、雨の中でも、雪の積もる日でも、ルメと歩き続けてきた記憶が、私に様々なことを教えてくれるのです。
そして私はその散歩を記録し続けてきました。
インスタグラムやブログです。
長く書き続けていると、わかってくることがあります。
何でもそうですが、長く続けていると、わかってくることがあるのです。
インスタグラムに写真を載せていますが、いい写真がたくさんあります。
ブログでは、とにかく私は書き続けています。修行だと思っているのです。
すると、鼻で笑って、続くはずがないと嘲笑していた人たちが、だんだん消えていきます。
自分はなにもしないでおいて、誠実に努力したり挑戦する人を笑う人間は、最後に自分が笑われることになるのかもしれませんね。
季節の移り変わりは、いろいろなことを明らかにしていきます。同じことを繰り返しているようで、同じではないのです。
継続がもたらすものがあり、例えば長く書き続けていると、書く訓練になるはずです。
このブログの記事も、選べばエッセイ集ができるような、まとまった記事が多いです。誤字は少なく、文章の質は高いです。
小説も、原稿用紙にすると何千枚も書いていますが、このぐらい書くと、上達するはずです。進歩というものがあるはずです。
短歌はもう何千首詠んだかわかりません。歌集が11冊あります。
こういう修業は別々のものではなく、すべて加算されていきます。
ユーチューブには、すでに25番組の文学講義を並べました。そのほか、これまで発表してきた研究論文の数も膨大です。ここに確かに存在している「継続」を否定できる人はいません。
季節が巡っていっても、私は全く同じではありません。
前に進んでいます。
季節の不思議
季節というものは不思議なものです。
風景がどんどん変化していきます。
当たり前だと言われそうですが、とても不思議に思えます。まったく別世界になるからです。
その場所に住んで、何度も変化を見つめつつ生活していると、いろいろな季節の風景が重なって見えてきます。
そうすると初めて、その風景の深い味わいが分かってくるのです。
例えば、桜が咲いているときだけ桜を愛でるのではなく、葉桜や、紅葉や、落葉やはだか木まで含めて、その桜の花を愛でることができるようになります。
私の短歌もそういう歌を詠んでいるはずですし、そういう歌であってほしいと、いつも願っています。
写真は昨年12月の池の辺と、現在の5月の池の辺です。同じ場所です。
みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。
いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。