『ノートル・ダムの椅子』 日置俊次歌集 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  『ノートル・ダムの椅子』 日置俊次歌集

 

 私は第1歌集の『ノートル・ダムの椅子』で現代歌人協会賞を受賞しました。

 第1歌集で最高の賞をいただいたので、ありがたいことだと思います。

 ただ、歌が難しいとよく言われました。説明がないとわからないと言われました。

 

 一矢もむくひずをはると見えしイラクよりひそかに散りてゆく火の卵

 

 たとえばこれはイラク戦争のときに詠んだ「火の卵」という一連の歌ですが、歴史をよく考えていただければ、理解できるのではないかと思います。

 私の歌は考えないで、何もしないですぐに楽にわかるという歌ではありません。

 修行の中から生み出されていますので、考えないとその奥にあるものがわからないと思います。

 世界が舞台になっており、「おいしいキャラメル」とか「よく落ちる洗剤」といった、コマーシャルのようなわかりやすい宣伝文句とは違います。短歌というものには、よく考えて作られた、読むのに時間がかかる哲学的な歌もあるのです。

 以前の記事を再録します。

 

 私の短歌の原点は、やはり最初の歌集にあります。前にも触れていますが、少し歌を引用しておきましょう。歌集は小説の芥川賞に相当する、現代歌人協会賞を受賞しました。

『ノートル・ダムの椅子』角川書店 平成17年9月25日刊


この留学より〈われ〉が始まる 原点をノートル・ダムのかたき椅子とす

ノートル・ダムは聖母のからだその胎(はら)の闇に木椅子を軋ませてゐる

破傷風の接種を受けしよりパリの路地には馬のにほひ満ちたり

「日本館」とふパリの学寮に伝はりし雪平鍋をかぷかぷ洗ふ

「非常識(アンサンセ)」「毒(ポワゾン)」「エゴイスト」調教をしきれぬ魔ものの香るフランス

スーパーのレジにて配る鈴蘭(ミュゲ)一輪 ひとりわが黄なる肌にはくれず

どの神でもいいとつぶやく 薔薇窓へくねりつつのぼる鬱の塵埃

木の椅子に結跏趺坐せし半日を背にして去らう ミサが始まる

乾きかけしバゲットちぎり鴨にまくいつしか噛みてをりたりわれも

鬼蜻蜒(オニヤンマ)いつでも空(くう)に静止するあのみなそこに鏡あるはず

ひらくまで八年かかつたかたくりの澄みきるほのほ何もいはない

みのもにあるものみのもになきもの顔だしてまたしづむものおちてゆくもの

一矢もむくひずをはると見えしイラクよりひそかに散りてゆく火の卵

日に百人自殺する国 春の日をくだき鉄橋轟(な)りつづけたり

宮益坂上の古書店ぼろぼろのシャガールと出でて晩夏光浴ぶ

きちきちばつたが齧る黄菊のあかるくて生前どほり庭めぐる父

剥落の月のかけらを踏むごとくぎんなんを踏む 父の亡き街

脚二本もげて動けぬ蟷螂のふかき疲れを薔薇にのせし児

クレヨンの散るテーブルにあをあをと未完の海が熟睡(うまい)してをり

ノートル・ダムの椅子に座りてわれだけを見てゐたおまへ 小さきまなこよ

 

 

 

    

 

 フランスに何年も留学していた経験があるので、台湾でも一人で生活できたのだと思います。留学というのはまさに修行の日々でした。

 

 

天天快樂、萬事如意

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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