学生のみなさんへ(4) 痛みや悲しみをどう読み取るのか
連続している記事です。また少し編集しながら再掲します。
今回は短歌の話をしましょう。短歌は短い世界なので、想像力を膨らませて読み解くことが必要となります。読者の「参加」がとても重要なのです。
宮沢賢治という作家は、いつも苦しんでいた作家です。そのようすは、例えば、次のような表現からも分かりますね。こういう表現は、作家が苦しんでいないと、なかなか生まれてきません。
ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだらう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。
(宮沢賢治「よだかの星」)
賢治の書くものは、いつも、読んでいてこちらがつらくなります。ここにある痛みを感じ取ることはそんなに難しくありません。
大正2年 (1913年) に発刊された、北原白秋の第一歌集『桐の花』にこう言う歌があります。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋
愛する人が家へ帰る朝、見送っている。道は敷石になっており、雪が降っていて積もっている。その雪をサクサクと踏む音がする。ああ雪よリンゴの香りのように降りつづいておくれ。
こんな短歌作品があります。
皆さんはどう思いますか。百年以上前の歌ですが、とてもいい歌ですね。
雪よ林檎の香のごとくふれ
これは楽しい恋の歌なのでしょうか。
それともどこかに、かすかな悲しみが流れていると感じられるでしょうか。
解説は次の文章に続きます。
みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。
いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。