学生のみなさんへ(5) それは痛みや悲しみを隠すこと | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  学生のみなさんへ(5) それは痛みや悲しみを隠すこと

 

 前回の記事の続きです。今回は例として、北原白秋の短歌について、考えてみましょう。

 

学生のみなさんへ (5)

 表現とは、痛みや悲しみを隠すこと

 

 悲しみの押し売りには気をつけなければなりません。押し売りされると、悲しくなくなるからです。

 

 悲しいな悲しい悲しい悲しいな悲しい悲しいああかなしいな

 

 この短歌を見てください。ただの感情の押し付けであって、磨き上げられた表現にはなっていません。あまり共感できないのです。悲しければ悲しいと言えば済むかというと、そうではありません。そこに表現の秘密があります。

 

 文学作品が作者の痛みから生まれるという時、そこには表現を磨き上げるという作業が入ってきます。磨き上げるということは、実は隠すということなのです。

 

  君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋

 

 この歌には悲しいというような言葉が書かれていません。

 リンゴは美しいですし、実際に「温かい気持ちで胸が満たされている」というような楽しい解釈も存在します。しかし、実はこの歌の背後には、大きな悲しみが隠されています。この悲しみを感じ取るには、当時の白秋の人生を細かく調べることが有効です。

 明治43年 (1910年) 、白秋が25歳のころ、原宿に住み始めます。隣の家には夫からいつも暴力を受けている松下俊子がいました。白秋は俊子と恋に落ちます。悲しい恋の一夜を明かして、朝になり、暴力をふるう夫の元へ俊子を送っていくとき、雪が降っています。雪がさわやかな林檎の香りとなって俊子を慰められるようにと願いながら、白秋は彼女を送っているのです。林檎には、アダムとエヴァの原罪のニュアンスも、ひそかに込められているかもしれません。

 結局、白秋は姦通罪で監獄に入ることになりました。白秋はのちに、俊子と結婚します。

 作家は悲しみや痛みを原動力にして作品を書きますが、その悲しみや痛みを隠すように、表現を磨き上げるのです。この矛盾した力学が、優れた文学表現の力学です。研究者はここを読み解かなければいけません。逆にえば、ここに着目すれば、卒論が書けるのです。

 

 表現は不思議です。隠すほうが、深く長く伝わるのです。もちろん完全に隠すのではなく、ベールに包んで透けて見えるようにするのです。

 すぐれた文学表現においては、痛みは隠されています。

 だからそれを読み解く読者が必要となるのです。

 

 サクサクという雪を踏む音、リンゴをかじる音の感覚に、どれだけの思いが込められているのか、深く探っていく必要が生じるのです。

 

 

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天天快樂、萬事如意

みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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