『昼下がりのルビー』を読んで リブログ | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  『昼下がりのルビー』を読んで リブログ

 

  昨年、青山学院大学の学生が私の小説『昼下がりのルビー』を読んだ感想を書いてくれたので、それをもう一度リブログして掲載します。作者の私のほうから見ても、感想は参考になります。

 「知っている人が書いた小説を読む」という経験は、ある特別な、別次元の経験であることにみんなが気づいてくれると、うれしいです。短歌の受容や批評というものは、ふつうそういう形で行われています。それを知ると、文学作品に対する態度が、一変すると思います。

 

 

 私の小説『昼下がりのルビー』を読んで、学生が感想を寄せてくれました。

 『昼下がりのルビー』は、『エメラルドの夜』、『サファイアの夜明け』に続く続編ですが、全部読んでくれた学生もおり、昼下がりのルビーだけを読んだ学生もいます。

 この長い作品を三作ともすべて読了してくれた学生には、特に御礼申し上げます。

 いただいた感想は、どれもとても参考になります。今後の創作に生かしていきます。

 学生の皆さんにはご許可をお願いしてありますが、下にいくつか、匿名で感想を掲載します。感謝しています。

 

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 小説『昼下がりのルビー』は2日ほどかけて読んだが、読んでいる時間があっという間に感じるほど面白かった。授業の初めの方からこの作品を読むよう指示されていたものの、日置先生の価値観や考え方をなるべく多く知ってから読みたかったので、先週まで読むのを我慢していた。いざ読んでみると、物語全体に日置先生の考え方が反映されているのが実感として分かり鳥肌が立った。普段接している人が書く小説を読んだことは無かったが、その人の性格が反映されているようで面白かった。自分でも小説を書いてみようと今まで何回も思ったものの、書けて2.30ページだった。構成もキャラクターも考えず、ただ綺麗な文章になるようにとばかり考えて書いた文章は自分でも気持ちが悪かったが、授業を受けてから小説を読むことで、このようにして書いていくのだとその背景や段階の理解の一歩目を踏み出せたような気がする。

 

 

 小説『昼下がりのルビー』は、まず『エメラルドの夜』を読み、『サファイアの夜明け』を読んで読了した。作中で、龍や亡くなっているはずの芥川龍之介が登場するなどのかなりファンタジー要素があったので少し意外だと思った。舞台である台湾の文化、観光地、食べ物、気候、宗教などについて詳しく描かれており、初めて知ることが多かったので読んでいて面白かった。ヒナタや芥川龍之介との会話では多くの文学者が登場し、それぞれの作品についてはもちろんのこと、作家たちの交流について知ることができ、勉強になった。また、小説の至るところに、日置先生のエッセンスが散りばめられていると感じた。文学論、主人公の苗字について、学校で先生から否定されたこと、クリスマスとリンゴの話、能や短歌についての描写などから、この小説を書いたのは紛れもなく日置先生なのだと感じた。小説を読んでいる時に、授業で聞いたことのある内容が出てくると、元ネタを知っているようでなんだか嬉しかった。また、主人公の苗字の意味について書かれている部分を読んだ時は、だからこの名前にしたのかと納得した。しかし、亞圖木正雄には、日置先生の授業を受けている時には想像もつかないような暗い過去があると描かれていた。私には日置先生が自分の考えに常に自信を持ち、生き生きと授業をしているように見えるので、アームカットなどとは結びつかず、どこからがフィクションなのだろうかと少し混乱してしまった。それだけ小説の世界に引き込まれていたということなのだと思う。

 

 

 モスからMOTHERを連想させたり、母に関する記述があったりしたのが印象的で、やはり創作活動をするうえで母親という存在は大きくかかわっているのだということを改めて感じた。自分が台湾やパリ、イギリスへ訪れた経験が何度かあったため、自分の記憶と照らし合わせながら小説を読むことができて新鮮な気持ちだった。自分が行ったことのある場所が舞台になると天気や街の匂いも小説から感じ取ることができるからその分読み取れることも広く、一方でよりうがった見方をしてしまうとも感じた。普段講義をしている先生の文学作品を読むのは初めてでなんだか身内の内面を覗いているような恥ずかしい気持ちになったが、作品が小説としてだけでなく文学史としての側面も備えているようで学びも多く読むことができてよかった。また、講義内で述べていたことが小説内にも書かれていたが、講義と違って小説には先生自身の経験なども投影されていたように感じたため日置先生の考えをより理解することができると考えた。

 

 

 小説「昼下がりのルビー」をはじめ宝石シリーズはKindleで読んだ。まず抱いた感想として、タイトルが美しいと思った。ルビー、エメラルド、サファイアという赤緑青の鮮やかな色を彷彿させる上にそれぞれ昼下がり、夜、夜明けと別の時間帯を指す単語が並べられており、興味をそそられた。時間帯は太陽の出方による空の色を表しているのではないかと考えたが、それぞれの宝石の色との共通点が分からずこの謎を解きたいと考えた。「色」については日置先生の授業の中で何度も取り扱われた題材であり、自分自身が一番興味をもって考えた部分でもある。その色と登場する文豪たちとの描かれ方は今回の授業を通してより深く理解できるようになったのではないかと思う。台湾という舞台も新鮮だと感じたが細かな描写や表現が美しく目の前に鮮やかな景色が見えるようで、台湾に旅行に行きたくなるような作品であった。

 

 

 主人公の亞圖木正雄は日置先生の分身として描かれているのだと思いますが、自分の知っている人が本の主人公となることは今までも、そしてこれからもないと思うので、貴重な読書体験をすることができました。今まで取り扱ってきた作家たちの作品や、授業内でお話ししてくださった理不尽な教師についての話などが出てくるたびに「あ、ここ知ってる!」となって嬉しい気持ちになりました。そして、そんな先生のリアルな実体験の中にファンタジーの要素がうまく組み込まれているからこそ、どこまでが本当にあった出来事でどこからが物語の世界なんだろう、ヒナタは本当に実在する人物なのだろうか、と探りながら読み進めていくのがとても面白かったです。

 物語の終盤では、ついに正雄が日本へ帰らなければならないときがやってきますが、ヒナタを台湾に置き去りにしてしまったらなんだか消えて居なくなってしまいそうな感じがして不安だったので、一緒に日本へ行くことになってよかったです。

 

 

 まずこの物語は、一般的に見たらフィクションな物語に感じると思うが、私は作者の日置俊次が台湾に行った時の記憶をもとに書かれたノンフィクションな話だと考える。この書籍の中に出てくる「羅生門」や「走れメロス」、「やまなし」に対する考察や、幼いころに学校で味わったつらい過去は、作者である日置瞬次の授業を受けていると授業中に何度も話されているものだし、台湾やフランスで研究に従事したという経験も作者にはある。だから、この物語はフィクションではなく、ノンフィクションではないかと感じた。この物語は前半は主人公の亞圖木正雄とヒロインであるヒナタの会話の中に出てきたことから、正雄が過去や日本の文学を回想するというシーンが多くある。作者はここで日本の文学や短歌の偉い人たちに認められない自分の説や歌を披露している。これは今の日本の偉い人が行ったことがすべて正しく、それ以外の説が認められないという日本に異議を唱えると同時に、色眼鏡を通さない批評を読み手に求めたのではないかと感じた。

 この話序盤にはヒナタが切れ長の目だという描写が何回も出てきた。おそらく正雄はヒナタのここに魅了を感じているのではないかと思った。また、kindle版で48ページに「ヒナタがいつもナイフを持っている」と書いているが、「切れ長の目」というのがこの部分と合わさって、ヒナタの本当にいつでも自殺してしまうような不安定性のようなものを表しているように感じた。さらに日本では受け入れてくれない自分の短歌をヒナタは受け入れてくれるというとこにもほれ込み、正雄の心の穴をヒナタが埋めているというような関係性も見いだせる。そして、143ページでは過去の実験の結果をもとに「言葉は命をはぐくむ」ということも書いてあった。私はこの言葉に感銘を受けた。今、インターネットなどで誹謗中傷が絶えない中、この言葉にすごい共感できた。

 「昼下がりのルビー」はとても面白かったので、前作である「エメラルドの夜」やサファイアの夜明け」も読んでみたいと感じた。

 

 

 亞圖木正雄のプロフィールや、私が今まで何も考えずに受け入れてきた物事を新たな視点で教えてくれるところなど、どこか日置先生に似ていると感じました。物語のはじめは話が淡々と進んでいったので非常に読み進めやすかったです。モスバーガーの名称から蝶と蛾の違い、そして『モスラ』の話へ。小学校のクラスの呼び名から「八犬伝」、そして『ドラゴンボール』へ。1つの話題からいくつものテーマを通じて話が展開されていくのが面白かったです。また、ヒナタとの恋愛模様を描きながらも、森鷗外や芥川龍之介、太宰治や井伏鱒二などの近代文学作品の問題について、普段受けている日置先生の講義の延長線上のような感じで小説を読み進めるとともに、また新たな視点を得られたような気がします。台湾を舞台にした小説を読んだのは今回が初めてだったのでとても新鮮であり、面白く読ませていただきました。

 

 

 『昼下がりのルビー』を拝読したが、話の途中途中で、講義で扱っていた作品が出てきておもしろかった。また、講義の『羅生門』の回で日置先生が赤色に着目していたからか、作品内の色の描写が非常に目に入ってきた。ヒナタの赤いケチャップがついた赤色の唇からはじまり、エメラルドグリーン色の湖、私の緑色のハンカチ、ヒナタのバックの赤いリボン、途中には赤いメガネで赤い髪の女の子も登場した。そして物語の後半では白色の龍の描写が多くなり、最後はやはり、ヒナタのルビーのような赤色の唇で締め括られた。私のお気に入りのシーンは、二人がスパゲティを食べるところである。ヒナタは緑色のバジルソースで、私は赤色のミートソースを選んでいた。それまでは、ヒナタは赤色で私は緑色で書かれていたので、ここで色が逆になったのが印象に残った。私は、画を想像しながら本を読むのだが、多くの色の描写によって私の『昼下がりのルビー』の世界は鮮やかに色づいた。

 

 

 小説『昼下がりのルビー』は日置氏の「この作品で、これまで存在しない形の小説世界を作り出そうとしました。」という言葉の通り、今までに読んだことのないタイプの小説であると感じ、これまでに存在しない形の小説世界を作り出すことに成功している作品であると思った。この作品は正雄とヒナタの会話を中心としたラブストーリーがメインになっているが、ヒナタが出てこない正雄が自分の考えていることを漱石や森鴎外などの作家の名をだしつつひたすら述べている場面が何度も登場する。やや難解な部分もあり、ラブストーリーを読みたい人にとっては読むのが億劫に感じてしまうかもしれないと思ったが、ただのラブストーリーではなくそういった場面があることで、今までにない形の小説世界が作り上げられているため、一見ヒナタとは関係ないように思える場面も読むことでしか得られないものがあり、読む価値のあるものであると思った。また、日置氏の授業を受講した上でこの小説を読んだが、小説の主人公である正雄は著者である日置氏を小説に落とし込んで投影したまさに日置氏そのものであると感じ、正雄が小説の中で話している言葉がまるで日置氏の授業を聞いているときのような感覚で頭に入ってきた。どこか論文を読んでいる時に近いような感覚になったが、小説であるため普段論文を飛んでいる時よりも頭に入ってきやすかった。芥川龍之介にこれまで以上に興味を持ったとともに、作品内で触れられている森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』にも興味を持った。

 

 

 日置教授の小説『昼下がりのルビー』では、主人公の苦悶や思想、人生のありようがひしひしと伝わってきた。

 私はこの小説を読みながら、なるほどと思った点や心に刺さった部分、そして、ぜひ心に留めておきたいと思った部分にハイライトを付していった。

 まず印象的なのは、「モスラには女性の感覚をまとわせたことや、MOTHRAという名前はMOTHERを意識したものであることを、スタッフが語っている」というエピソードである。主人公によって語られる文学論は、「歪んだエロス」と「母親の不在」を主たるテーマとしている。「モスラ」のエピソードは、このような論のテーマに光を当てるための伏線のような役割を果たしているように思う。

 また、サン=テグジュペリの「愛とはお互いを見つめ合うことではない。ともに前を見つめることだ」という言葉も心に残った。これは、主人公と「ヒナタ」の持ちつ持たれつの関係を最もよく言い表した言葉だと思う。この言葉は、ぜひとも心に留めておきたい部分の一つでもある。

 この小説は、「亞圖木正雄」という架空の主人公を登場させているが、井伏鱒二の「山椒魚」を論じるあたりから、徐々に架空の主人公を設定する必要性を感じなくなっていった。授業を通して、日置教授から同じことを聞いている私としては、「亞圖木正雄」である以前に、これを論じている人物は「日置俊次」なのである。それゆえ、私はこの小説を、日置教授の「自叙伝」として読むことにしたのである。

 しかし、33章あたりから、徐々に小説らしさが強まってきたように思う。この小説は、短歌、文学論、ラブストーリー、そして人生論が、ゆるやかに関連性を持ちながらつながっていく、非常に周到な流れを持つ。そして、最後のほうに、「影山流士」による小説『さかさまのルビー』が掲載される。私は、この小説の後半の内容が、苦しくて読めなかった。私もかつて、腎結石を発症したからである。私も、便器が赤く染まるのを見たことがあるからである。その記憶が一気に呼び覚まされ、吐き気のようなものを感じた。

 『昼下がりのルビー』は、決して明るい小説ではない。

 

 

 小説『昼下がりのルビー』は日本近代文学作品がとてもわかりやすく解説されていた。また作家一人一人についても丁寧な説明がされていて、作家の個人的な背景と作品が結びつけて説明されており、他の解説書などでは知り得ない深い部分まで理解することができた。また文学作品や作家の話だけでなく、植物や動物の詳しい説明がされていたことから、文学作品と実際の動植物の生態を紐付けて考えることがいかに大切なことかということがよくわかった。このような解説と話がとてもリンクしていて物語の内容を楽しみながら近代文学を理解することができた。さらに、亞圖木正雄とヒナタの心情がよく表されており二人の複雑な心情や過去がよく伝わってくる繊細な物語でもあったように感じた。

 

 

 小説『昼下りのルビー』は、『エメラルドの夜』と『サファイアの夜明け』を読んでから全て読了した。電子書籍を読むことが初めてであったためか、読み始めは少し違和感もあったが、気が付くと物語の世界に没頭していて、あっという間にシリーズを全て読み終えた。

 三作品とも、冒頭が短歌で始まっており、短歌作家でもある日置先生らしいと感じた。また、日置先生の声で聞こえてくる短歌の響きをきっかけに物語の世界に誘われたかと思うと、それ以降、全編を通して日置先生の存在がそこはかとなく感じられ、不思議な感覚になった。例えば、シリーズを通して登場する「地獄谷」を見て、同じ名前をもつ日置先生の歌集を想像した者は私だけではないだろう。

 物語は、主人公・正雄の視点で展開していくため、正雄による語りは正雄の声として私の脳内に響くが、時折そこに日置先生の声が重なって二重に響くことがあった。それは、授業で聞いたことのあるフランスでの生活の話の時や、冥婚の話の時、お能の話の時もあったが、文学論などの学術的な内容の時もあった。特に、『山椒魚』や『走れメロス』『やまなし』『羅生門』などについての文学論が書かれた部分では、教室で心を込めて「日本文学史」の授業を行っていた日置先生の姿や声が、鮮明なものとして脳内で再生された。それは恐らく、物語を読んでいる私自身が、「この小説はフィクションであり、実在する人物や団体とは関係がありません」ということを十分に理解はしているものの、今まで見てきた日置先生の姿を、作中の正雄にどこか重ねていたためであろう。

 しかし、授業時と違う点があるとすれば、小説を読んで響いて来たその声が、授業時と比べて、より繊細な心情の吐露に聞こえたという点である。痛みまでもが文字として形を持ち、こちらに語りかけてくるような感覚は、「嘘」の盛り込まれた小説という文学表現ならではのものであると感じた。

 また、それは作中に登場する芥川龍之介や、窓から見える白い少女についても同じことが言えるだろう。ラストシーンは、『千と千尋の神隠し』のハク龍が空に昇っていく姿を彷彿とさせ、物語がファンタジーへ移行していき正雄やヒナタなどを含めた彼らの生きる世界そのものが永遠性を手に入れていくように感じた。

 作品全体を通して、正雄とヒナタの愛が描かれるという点では、恋愛小説的な面もある一方、台湾が舞台での出来事という点では旅行記のようにも感じられ、文学論も取り入れられているという点では、論文や学術書的な面も持ち合わせていると感じた。また、小説・短歌・文学論などが複合的に組み合わさっており、まず間違いなく今までに読んだことのない物語であった。そして、それは、小説・短歌・文学論、全てに精通している日置先生だからこそ書けるものであると、約一年半に渡って先生の授業を受けた私は解釈している。

 しかし、まだ二十歳にもなっていない私にとって未知の感覚なども描かれており、作品の全てを理解できたとは言い難い。けれども、比較的年の近いヒナタに自身を重ねて、胸に込み上げて来る感情から涙ぐんでしまう場面があったのも事実である。このようなことを踏まえて、人生の節目ごとに自分を見つめ直すために読み返したい作品であると思った。まるで日置先生に語りかけられているような、そんな感覚を抱かせてくれる、優しく、そしてどこか憂いを帯びたこの物語は、家族や友人から「大学で誰にどんなことを学んでいるの?」と聞かれた時に、ぜひ読むようにすすめたいものであった。

 

 

 『昼下がりのルビー』の感想について述べたい。この小説は主人公亞圖木正雄と台湾人であるヒナタによって話が展開されていく。亞圖木は終始自分の考えを誰にも受け入れられない人物なのかと思いきや、大学で恩師に出会い認めてもらっていたり、詩人である知人の影山の小説によれば、亞圖木のことを馬鹿にしていた人も本当は嫉妬していたりと周りとは頭一つ抜けている存在であったことがうかがえる。そんな亞圖木はヒナタと出会い、彼女に惹かれていった。亞圖木とヒナタの関係性は対等であり、信頼しあっていたことが伝わるものだった。お互いに似ている部分があり、共感しあい、共鳴しあっていることが読んでいて心地よかった。ヒナタにとって亞圖木は心の支えで、亞圖木の言葉一つ一つに救われていた部分があったのだと思う。同様に、亞圖木の中でヒナタは大きな存在で、大切だからこそ一歩踏み切ることができなかったのだろう。ラブストーリーの要素もありつつも近代文学の作品について丁寧に触れており、勉強にもなったうえにとても展開も面白かった。この小説を読むことで授業の解説を思い出すことができ、また読み返したいと思う。

 

 

 小説『昼下がりのルビー』を読んで、台北の街並みを見ながら、日本の小説、文豪の世界に展開していくという設定が面白いと感じた。台北をよく知るヒナタと、日本文学を知り尽くす主人公が合わさると、全く別の世界でも二つに共通点があるということがわかる。初めは、日本文学を説明する主人公と、台北で文学を学ぶヒナタが単に、教師と生徒のような関係に見えたが、ヒナタの容姿について美しく詳細に描かれており、二人の関係には愛が含まれていることが読み取れた。授業に出てきた「赤」がここにも多く登場し、「愛」や「死」と深く結びついていることがわかった。また、国境を超えた恋愛に『舞姫』が登場していたため、舞姫の世界と森鴎外の心情と物語を重ね合わせ、二人の心情についてよく考えることができた。

 

 

 大学の授業で見受けられたつながりが、『エメラルドの夜』や『サファイアの夜明け』、『昼下がりのルビー』をすべて読んで再確認できた。特にそれは『エメラルドの夜』では途中の主人公である亞圖木が台湾の大学院生たちに行っている授業の箇所で、『サファイアの夜明け』では亞圖木と芥川との、『昼下がりのルビー』ではヒナタとの会話の場面で、小説に限らず詩なども扱っており、文学史の勉強になった(また主人公が文学部の教授ということで作品自体が文学史一辺倒のものかと言うとそうではなく、台湾の観光の話(第一作の『エメラルドの夜』では特に)や主にヒナタとの会話でアニメの話も盛り込んである濃い内容のものであった)。また、ストーリーものみならず語りが亞圖木中心で(『昼下がりのルビー』の最後では友人の影山の語りもあったが)、登場人物も三作含めてそれほど多く登場せず、主観的ではあるが読みやすい文章であった。また小説を読んでいる中で、『エメラルドの夜』の冒頭の空港で主人公が言った姿が印象に残ったという黒いポニーテールの少女が気になった。さらに亞圖木の中のヒロイン、ヒナタと影山の中のヒロイン、ヒカゲと両方、日(ヒ)が名前に入っているのが、授業で扱った宮沢賢治の『やまなし』の「クラムボン」が太陽の意味を持っている、また太陽の化身であるという内容から気になるところであった。

 

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みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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