おまえは馬鹿だ 確かに馬鹿ですが | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  おまえは馬鹿だ 確かに馬鹿ですが

 

 これは1年前に掲載した記事ですが、今読んでみると、私の考えは全く変化していません。

 それで、自分自身の参考になりますので、リブログして再掲します。

 間違ったことは何も言っていないように見えます。

 昨年の12月にも、ネズミモチの実を収穫し、リキュールに漬けました。1年以上たって飲めるようになります。いま一昨年のネズミモチ酒を飲んでいます。

 何事も、種を植えておくことが必要ですね。すぐには収穫できませんが、たとえば1年たつと、宝ものが生まれることがあります。いまだけを考えるのではなく、常に向上しようと努力し、種をまいて育てていくという作業が、大切だと思います。

 

 子供のころから、お前は馬鹿だとよく言われてきました。

 最近もそうです。確かに馬鹿なのは事実ですから、仕方がありません。

 短歌をやっているなんて馬鹿だなあとか、お能を習うなんて馬鹿だなあとか、空手を鍛錬するなんて馬鹿だなあとか、アニメを研究するなんて馬鹿だなあとか、龍神と話をするなんて馬鹿だなあとか、犬と話をするなんて馬鹿だなあ、薬用酒を作るなんて馬鹿だなあといわれます。

 いわれなくても私は馬鹿なので、仕方がないことと思います。

 馬鹿ですが、誰にも迷惑をかけていないので、偉いみなさま方はそんなちいさなことを批判しないでいただければと思います。

 どうしても私に対して、マウントを取りたいひとがいて、そういう人はみんな「おれのほうがうえだ」「一円にもならないことをおれはやらない」「おれは、そんなことはしないから」と言います。

 そのひとはとても利口で、短歌も作らないし、犬と話もしないし、薬用酒も作らないし、能も舞わないし、何もしないので、すごいのだそうです。

 私は馬鹿なので理解できないのですが、何もしないという行為は、そんなに高度な話なのでしょうか。いままで、何もしないたくさんの人を見てきました。私にはどうも、彼らが幸せそうには見えませんでした。

 馬鹿にされるたびに私には、そういう疑問が生まれてくるのですが、それは私がそれほど馬鹿だからだと考えられますので、すべて聞き流していただければと思います。

 忙しい生活の中で、私は自分で木を育ててネズミモチの実を収穫し、それを薬用酒に漬け込みましたが、それはとても幸せな時間でした。一本の短編小説になると思います。

 もし私がそういう小説を完成させたとすると、それは私が馬鹿だからであり、そういう馬鹿であることは幸せなのだと思います。

 それから、私に、卒業大学名でマウントを取りに来る人がいて、自分は山国県海川大学卒だぞと言ってくる人がいます。その土地では有名な大学なのだと思いますが、私は馬鹿ですから、そういう名前の大学を知りません。それで、称賛する声をあげることができません。ただ知らないだけで、不器用で、演技ができないので、申しわけないと思います。何も知らないのです。

 学歴は人間の価値にあまり関係がないのではないかと思います。そういうとまた笑われますが、日本人は個人を個人として認めず、属している組織でしか判断しないので、とても困ります。組織と個人とは違います。私は馬鹿なので、自分がどこの大学卒なのかすら、よくわかっていません。

 若い時にフランスに4年半もいたので、日本的な発想が希薄になってしまいました。例えば歌会に出て正確な発言をしても、正確過ぎるので、誰も信じてくれませんし、ほかの方のあまりに狭すぎる批評や、その発想がよくわかりません。それほど馬鹿なので、私には古い常識が通じません。

 修行と勉強がたりないのでいつまでも馬鹿なのだと思いますが、とにかく誠実に生きていますので、お許しいただければと思います。馬鹿は馬鹿なりに、これからも毎日、修行と思って努力を続けます。毎日毎日、少しずつ種を植えていきます。いつか木が茂り、美しい実が実る日が来ると思います。

 

   

 みなさまの幸せと健康をお祈りしています。

 いつもブログを訪れてくれてありがとうございます。