滋賀県野洲市の中学校でアホすぎる決定が行われた。
なんと、トランスジェンダーの生徒を考慮して、制服は
スラックス、スカートの選択が自由になるらしい。
(12月12日 京都新聞)
最近はポリティカルコレクトネスで、ジェンダーについて
言いたいことが自由に、言えない世論形成がされつつあるが
やはり、おかしいことはおかしいと主張する必要がある。
野洲市の教育委員会は、一体何を考えているのだろうか?
「我々は、子供の人権を最大限に考えている進歩的な教育者だ」
とでも思っているのだろうか。
こういうことを、書いたり、言ったりすると
「差別主義者だ!」というレッテルを貼られるのだが、
そういう人に聞きたい、男性でありながらスカートをはいて
女子トイレ入る生徒を、他の女子は許容出来るのか?
(小学校でも既に、性別が関係なくなっている)
そういうのが嫌でトイレに行きにくくなる、女子の人権は
どのように守るのか?
多感な学生達に与える影響をどのようにフォローするのか?
私はLGBTの人を差別するつもりは毛頭ないが、少数派を標準に
組み込むことには反対だ。
何事にも、例外があるのは皆さんも理解出来るだろう。
その例外は、限定的な処置で対応するべきであって、標準に
してしまうと社会や大勢の人が混乱することになる。
トランスジェンダーの基準は既にいろんな問題が発生している。
例えば、オリンピックなどのスポーツの枠組みなどである。
この場合だと修学旅行のお風呂はどうするのか?
とか、部屋割りはどうするのか?などの問題がある。
(東京オリンピックで話題になったトランスジェンダー選手)
そして、もっと基本的な問題は、日本は少子化で出生率が低下していることだ、行政が少子化を推進するようなことを行って
未来の日本は大丈夫なのか?と言いたい。
教育者であるなら、まず
『先祖が命のバトンを繋いできたから君たちが存在する』
と教えるべきだろう。
近年、性別の差をなくすことが、普通に語られているが
それは平等でもなんでもない、また時代の流れでもない、
これは作られたものであり、日本の破壊そのものである。
滋賀県野洲市のバカな大人の考えが、他の地方に拡がらないことを
願うばかりだが、地元の地方議員はもっと問題意識を持て対応してもらいたい。こんなことは、子供のためにもならない。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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