ひのきょうのブログ -36ページ目
先週金曜日の朝方、二番目の倅が荷づくろいしていた。
「どうしたんや?」と聞くと「サイパン」と言う。
「ええっ、裁判って何があったんや?」と聞く。
「違うがな、裁判やない、サイパンや!」ある教団の戦没者巡礼にサイパンまで取材について行くらしい。
まるで親子漫才だ。
そう、サイパンは旧日本軍とともに日系移民が玉砕した島である。
『捕虜になるくらいなら・・・』と万歳して崖に身を投じたバンザイクリフで有名な島だ。
三泊四日の取材らしいが、明かされていない史実に出遇えるかも知れない。
USAの見方が変わるかも知れない。
本日、無事に帰ってくることを念じている。
サンライズ
昨日は、久々に境内と庭畑の草むしりに勤しんだ。
放っておくと雑草が生い茂ってくるのだ。
ところで、雑草って何だ。
それぞれ名前の付いた草なのに、三つ葉、青葉、紫蘇、ニラ、蕗などが雑草に混じっているではないか。
考えてみれば、人間の都合で食せる草を食野菜と称し、食せない草を雑草と称してむしり取っているだけではないか。
昔は大根も蕪も元は雑草だった。
余計なお世話だろうが、これらすべてが草なのである。
人間の都合で護られる草は弱いけれど、そうでない草はとても強い。
むしり取られる行為がDNAにインプットされているのだろうか、繁殖力は食野菜の沙汰ではない。
今日も私は雑草の如く、逞しく、懸命に草むしりをする。
己の都合でな。
サンライズ
一昨日の朝方のことだった。
またもや、商品斡旋の電話かと思いきや違った。
現在のお住まいは大坂市とのこと。
佛眼寺HPを見て勤行の依頼があったのだ。
『ええっ、いくら何でも大阪は遠い!』が脳裏を過ぎった。
よく聞くと、ご先祖のお墓が野洲市にあるとのことで、ご遷佛(墓石移設)のため近隣の佛光寺派寺院を探しておられたようだ。
今後、野洲市に住む見込みが無いとのことで、『お墓を大阪に移設したい。』とのことである。
実は、ご門徒さんのためにHPを立ち上げたのだが、この種の依頼としては初めてのことである。
まったく知らない人とのご縁を現在の光信号が繋いでくれたのである。
昨今、ご先祖に手を合わすことが希薄になる中、いのちを粗末にする若者が多い。
大阪に移られても末代にお念仏が相続されていくことを願って止まないものである。
一期一会、さあ、今日もしっかりとお勤めをさせていただかねば。
サンライズ
山椒の実がたわわに結実した。
綺麗に洗って醤油だけで煮ると立派な保存香辛料となる。
毎年のことながら愚僧の仕事である。
冷蔵庫に保存しておくとほぼ永久的だ。
二年目以内では舌が痺れてお奨めできないが、五年目ぐらいが一番美味しい。
山椒は生臭さを取り除いてくれる。
先代は特に香辛料が好きだった。
鮎、モロコ、ゴリ、?などに最適だ。
つまり、川魚の煮物が好きだったのである。
ところで、山椒の木を育てようと種を撒いても殆ど発芽しない。
毎年、境内にまばらに山椒の芽が出るが、日当たりの少ない垣根の根っこなどが多い。
恐らく、小鳥などの糞に混じって発芽するのだろう。
今年もトゲに刺されながら採取する予定だ。
サンライズ
今や物置となっている本堂の後ろ堂廊下を整理している時だった。
包みには『戦時中配給』と記してある。
開けてみると真っ黒の瀬戸物仏具がゴロゴロと出てきた。
備前焼のようだが、よく見れば流し込みの量産造作である。
国家権力によって多くの寺院の荘厳(仏具等の煌びやかな飾り付けのこと)が没収された。
仏さまの仏具でもって人の命を奪おうと兵器に変貌させたのだ。
人間は何をやらかすか、想像するだけでもおぞましい。
拙寺は吊り鐘(梵鐘)までも没収された。
個人なら泥棒という立派な犯罪である。
やっていることは同じでも国家の泥棒は『没収』という都合の良い言葉に変貌する。
罰(バチ)が当たるとでも思ったのか、代替えに配給されたのがこの瀬戸物仏具である。
昭和20年に戦死した愚僧の叔父もこの瀬戸物法具で葬られたであろう。
まさに断腸の思いである。
さて、この黒ずんだ国家の配給遺品をどうさらけ出すべきか。
慚愧の念を刻み置くため、中庭の泉水の縁に陳列することに決めた。
サンライズ
娑婆(しゃば)とはサンスクリット語(梵語)サーハの音訳で、我々が住む三千大千世界の国土の名である。
簡単に申せば、『世間』あるいは『俗世』ということだ。
娑婆を慎ましく生きるために六道思想は民衆の中に文化として根付いてきた。
しかし、『生き地獄』という言葉があるように疑獄、極楽は来世のお話ではではないように思う。
かつて、紹介したが隠元(いんげん)和尚のお話が解り易い。
ある日、武士が和尚を訪ね、「和尚!、お浄土とか地獄は本当にあるのか?」と聞いたところ、和尚は、「そんなことも判らんお前は、へなちょこ侍だな。」と罵った。
罵られた武士は「おのれ!たとえ高僧でも今の言葉は聞き捨てならん!」と刀を振り回した。
和尚は黙って切られるわけにはいかず、敏捷にヒョイヒョイと身を躱した。
そして、刀を振りかざしてくる度に武士に向かってこう言った。
「ほれっ、そこが地獄じゃ、ほれっ、そこも地獄じゃい。」と。
そのうち、武士は疲れ果てて「地獄じゃー、地獄じゃー」の言葉で我に返り、殺意が萎えてしまった。
遂に武士は刀を終って、「申し訳、ございませんでした。」と和尚に謝ったのである。
和尚は、すかさず「ほれ、そこがお浄土だ!」と応えたという。
地獄や浄土は、死んだ後の世界とか遠い所にあるのではない。
私達は、生きながらにして地獄極楽に身を置くことができる。
仏法とは、『今の私』に気付かせていただくことなのである。
サンライズ
またしても、やっちまった。
本日、報恩講の準備をしている時だった。
すごい音が耳に入ってきた。
坊守が玄関の段差に蹴躓いて持ち物を放り投げたのだ。
『ガラガラ、ガッシーャン』
辺りには、持ち物の宮殿の花瓶(かひん)が散乱していた。
先週、ご門徒の仏教婦人会の方々お磨きしていただいたピカピカの花瓶が転げている。
出てきた言葉はこうだ。
悪気もなく、『花瓶、大丈夫かー?』だった。
勿論、坊守が花瓶を投げ散らかすぐらいだったので痛かったに違いない。
つまり、投げ散らかそうとして投げたのではない。
そこには悲痛極まりない坊守が横たわっていた。
『おい、大丈夫か?』と、怖々心遣いの言葉を添えたが、ちょっと遅かった。
『親指が紫に変色しているから、折れているかも知れないのに、私より花瓶の方が大切なんですねっ!』ときた。
気持としては、どちらも大切なんだけど、正直なところ、インパクトは花瓶にあった。
その後は申すまでもなく大変な沙汰となった。
いちいち説明しないがご想像におまかせしておく。
まあ、寺院を預かる住職ならご理解いただけると思うのだが、言葉を誤ったのだ。
花瓶はスペアーがあるけれど、坊守のスペアーはないということである。
後で、気がついても遅い。
くわばら、くわばら~。
サンライズ
昨年の秋、近江八幡市の『たねや本店』に立ち寄った。
ただ、呆然と坊守の買い物を待っている間のしばしだった。
よく見ると、店の前というか、日牟礼八幡宮の参道というか、まあ、どっちでも良いが、そんな感じの所に茶木の実がたくさん弾けていた。
もとより、坊守の買い物という所作は尋常じゃない。
凡そ四十分の間に、たくさんの茶木の実を拾わせていただいた。
そして、今年の春のお彼岸を機に何気なくプランターに埋めておいた。
勿論、ダメ元だった。
ところが、その殆どが見事に発芽しているではないか。
すごい、『いのち』の連鎖だ。もともと、植物が実を結ぶのは滅びることを察知したときから始まる。
日牟礼八幡宮の茶木も数十年後には絶えてしまうことだろう。
茶木の新芽は何も語らないが感謝しているに違いない。
ここからは、一足飛びの憶測だ。
つまり、坊守は愚僧を介して茶木の新芽を発芽させたの である。
茶木が坊守に頼んだかどうかわからないけどな。
サンライズ
昨日は、ブログ更新ができず申し訳なかった。
どうしてもアメーバサイトが立ち上がらなかったのである。
でも、本日は難なく立ち上がった。
どういうことかよくわからん。
さて、少し、時季外れだが阪神淡路大地震の記事が目に入ってきたので照会したい。
あの地震は、誰もが予想だにできない壮絶な直下型地震だった。
筆者が住んでいたのは神戸市内の小さな平屋だったとのこと。
一瞬、何が起きたのか判らない状況下で目が覚めた。
半壊した家の中を潜り抜け、一目散に妻と幼子の手を引いて家の外へ飛び出したという。
そして、ハタと気がついた。
「アッ、赤ちゃんがいない!」
余震の中、再び半壊した家の中に戻られた。
すると、赤ちゃんを寝かしておいた場所に大きなお仏壇が倒れていたのである。
「ああ、もうダメだ・・・」
やっとこさ、梁をよけながら恐る恐るお仏壇を起こしたところ元気な鳴き声が聞こえた。
筆者は、平素から朝夕欠かさずお仏壇に手を合わせていた。
偶然にも、前夜はお仏壇の扉が開いたままだったのだ。
頑丈なお仏壇はスッポリと赤ちゃんを包み込んでいた。
記事の最後に、「ご先祖がお護りくださった。」と締めくくられていたが、実はそうではない。
朝夕欠かさずお仏壇に手を合わせていた筆者が、そしてご家族が赤ちゃんのいのちを護ったのである。
埃がかかるからとお仏壇の扉を閉めて飾っておくものではない。
朝夕、お参りするものなのである。
しかも、扉は開けたままが良い。
埃がかかれば、喜んで掃除すればいいのである。
サンライズ
何遍も配信するが、今なお訳の解らん電話がかかってくる。
愚僧が現役時代、毎日、このような電話に父母が対応していてくれたのかと思うと申し訳ない気分になる。
例えば、
「お電気代が今よりお安くなりますよ。」
⇒今より高くなることもあるし、だいたい電気代に『お』なんか付けてくるなっ!
「瓦が割れてはいませんか。」
⇒長い年月を経過すればいずれは割れるー。
「消化器ありますか。」
⇒あんたから言われる筋合いはないわー。
「水栓がよく詰まりませんか。」
⇒詰まることもあるけど、それで死なへんわー。
どうせ言うならこのシーズン、「水虫の調子どうですか?」ぐらい気の利いたこと言えよ。
断りの返事をしても、まだ追い打ちをかけてきたので愚僧もついに切れてしまった。
今にも死にそうな掠れた震え声で、
「もう、生きるのがいやになったー。」
「あんた、何かしてくれるのやったら、わしの首の紐を外しに来てくれへんかー。」
と返してやった。
そうしたら向こう側から電話を切り、以後、何の音沙汰も無かった。
本来ならば、5分(心肺停止後の蘇生限界)後に、「その後、どうですか?」ぐらいの電話がほしいところだ。
実は、彼れはそんなもんなのである。
ユーザーに気遣っているよう装いながら、商品さえ売れれば他はどうでもよいのである。
もう、いらんよ。
サンライズ

