ひのきょうのブログ -21ページ目

ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


愚僧が地元の病院に就職した頃、いつも診察に来る度に、総合受付で愚僧に向かって手を合わせてくださるお婆さんがおられた。

その方は、佛光寺派の元ご住職で、戦争未亡人として苦労なさった女性僧侶(尼さん)である。

当時、診察に来られる度に、愚僧に向かって『なまんだぶつ』と拝まれるので、素直に『ありがたい』というよりも、恥ずかしいやら、照れ臭いやら、正直『お婆ちゃん、勘弁して!』と、一刻も早くその場から離れたい、逃げたいという思いだった。

親鸞聖人のご和讃に
  十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
  摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
とある。

慈悲と智恵の光明は、ひとたび摂め取ったならば、決して捨てることがないというはたらきを意味する。

しかも、その光明は、真実の世界を求める者だけではなく、むしろ、真実に背いている者こそ救わずにはおれないという大慈悲心なのである。

思い起こせば、親鸞聖人のご注釈にもあるように、逃げようとする愚僧を追いかけ、つかまえようとする”はたらき”だったのではないかといただいている。

このお婆さんは、誰にでもそのような仕草を振りまいていた訳けではなく、また、いつも愚僧のことを考えていてくださった訳でもなかったであろう。

ある心優しい念仏者が、たまたま、かかり付けの病院で受付をしていた愚僧を佛眼寺の若僧と知り、将来、同じ道を歩む者同志として、自ずと手が合わさっていたのだろうな。

サンライズ


師走から正月へと慌ただしい中で日々が過ぎ行こうとしている。

成道会から始まり、年度末役員会、前住職壱周忌、除夜、修正会、八日講、お茶所布教、税務申告そして先日の24日には門徒総会を終えることができた。

門徒総会では大きな案件を無理を承知で提起したが、難なく承認を得ることができた。

少ない門徒数だが、決断力の速さと寺を護る意識の強さを見せていただいた。

このご時世に手持ち金がなくても、借金してでも遂行するという決意には頭が下がる。

かたじけなさの中に改めて住職としての責任を感じ得た次第である。

近々に大事業を企画する予定だ。


また、当家では、目下、庫裏を2BY4に変更すべくビフォーアフター工事を行っている。

『何ということでしょう。』

天井裏にはアライグマの巣が蔓延っているではないか。

今日は鼻をつまみながら、4tトラックでゴミ捨てだ。


サンライズ

すべての病気は治って当たり前、己のふしだらを棚にあげて、『治らないのは病院の責任』というモンスターペイシェントが過去にもいた。

そもそもこの概念が病気なのであって、最近、この種のモンスターはどこにでも出没する。


現在、ピカピカの孫が小学校に通っており、次学年は二年生だ。

小学校にもモンスターベアレントというのがいて、すべて学校に責任を被せてくる保護者の代名詞である。

教育は学校だけで形成されるものではない。

教育は、あらゆる環境が一体となって形成されていくと思うのだが・・・。

こうした親達の子供さん方への通信簿を表現するのに、学校は学校で一苦労されているとのこと。

正直に書くと怒鳴り込んでくる親がいるとのこと。

かといって、でたらめのお上手も書けない。

そこで、言い換え表があるようなので、次に紹介してみたい。

 騒がしい→ 明るい・活発な
 頑固な→ 意志が強い
 無口・感性鈍い→ 落ち着いた・穏やか
 暗い → 大人しい・控え目
 短気 → 感受性が豊か
 落ち着きがない → 好奇心が旺盛
 いいかげん → こだわらない
 威張る → 自信に満ち溢れ
 口が悪い → 意見が言える
 反抗的 → 自立している
 不親切 → 他に干渉しない
 無責任 → とらわれない
 しつこい → 粘り強い
 面倒くさがり → 他に影響されない
 おっちょこちょい → ユーモアがある
 冷たい → 冷静 

まあ、いろいろとあって面白い。

正直な評価ならばそれで良いのだが、もし、これが生徒や親を意識してこういう表現になったのなら、誤魔化しの上の誤魔化しでしかない。

親達の自覚は愚か、子供達の教育にもマイナスになりかねない。


『仏説阿弥陀経』の中に、お浄土に咲いている蓮華の花を象徴的に表現している箇所がある。

 池中蓮華、大如車輪、青色青光、黄色黄光、 赤色赤光、
 白色白光、微妙香潔

「池の中の蓮華、その大きさは車輪のごとし。青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、 赤き色には赤き光、白き色には白き光あり。これみな微妙で香潔なり」と表現されている。

『香潔』とは、それぞれがそのままで素晴らしいという絶対評価である。

つまり、他と比べる必要がなく、あるがままの姿をあるがままに捉えていくことが絶対評価だといただいている。

競争したり、比較すること自体は、決して悪いことではない。

ただ、子供の尻を叩き、追いかけ回しているようでは子供が子供でなくなってしまう。

今は、『お前はアホやな!』と言えても、いずれは『こんな子を産んだのは誰や!』としっぺ返しを喰らうだろう。

子供達は大人達の道具であってはならないのである。


サンライズ


本山からの帰りに昼食をいただいて、湖西道路を返ったのだが、道中で5件のスリップ事故に遭遇した。

そして、救急車が通る度に渋滞が起きる。

朝食後、お昼に本山を出たのだが、家に着いたのは実に午後三時前だった。

スタッドレスタイヤを装着していてもツルツルだった。

車は滑りまくっていたが、10日間、お話しがすべらなかったのは幸いである。


サンライズ

無事、本山お茶所布教が満了した。

千秋楽20日の雪降りは泊まって正解だった。

予報を聞いて前日から宿泊所に泊まらせていただいた。

最終日は昨年と同様、茶話会を開催してくださり、また、御縁を深めさせていただくことができた。

聞くところによると佛光寺門徒さんはたった一人だけとのこと。

殆どのお同行は他宗派の方々ばかりだ。

毎日、お説教が聞けるとのことで通ってくださっているのである。

おまけに、お土産にお酒や玉露饅頭までいただいた。

ありがたいことである。


サンライズ

悩みぬいた後、ある方が職場を去ったという。

理解しがたい苦しみがあっただろうに。

それは、あくまで憶測の域であって当人でしか解らない。


よくある会話に、『あんた、その場にいたの?』というのがある。

仮にその場にいても、当人でない限り計り知れないものがある。

無闇に解ったような振りをするのは禁物である。


そんな時、大切なのは『あなた一人じゃないですよ!』という寄り添いの心だ。

中味が解らなくても、傍に寄り添うだけで充分なのである。

『どうの、こうの』の会話はいらない。

身体の痛みはいずれ消え行くが、孤独という痛みだけはそう簡単には消え失せない。

そんな時、『ごめんね。すまなかったね。』の慚愧(ざんぎ)の心が欲しいものである。

人間と動物の違いを考える時、①言葉が話せる、②道具が使える。③二本足で立つなどと豪語するも、涅槃経(ねはんぎょう)には、ちゃーんと『無慚愧は名付けて人とせず』と記されている。

慚愧を簡単に訳せば『こんな私であったと自らを恥じること』である。

これが無ければ畜生と同じ類(たぐい)なのである。

実は、これらを根こそぎ覆してくれるのが『南無阿弥陀佛』なのだが、肝心な時になかなか出て来ないのである。

これこそ、慚愧なことではあるまいか。


サンライズ

御本山のお茶所布教も余すところ二日となってしまった。

この辺で注意すべきは、やはり『慣れ』である。

今回の『お念仏のこころ』という講題は奥が深い。

また、お同行の皆さんはとても耳が肥えてらっしゃる。

一方通行を控え目に、いくばくか問題提起を挟んでみた。

おかげさまで、多くのご縁をいただいた。

むしろ、布教後の何気ない会話に花が咲く。

お話しは最後まで手抜きできないな。

加えて、道中の安全運転もだ。

残り20%、しっかりお勤めする所存である。


サンライズ

先週、白鼻芯が檻にかかった。

先日から熟し柿を喰い漁っていた窃盗犯である。

過去にアライグマ5匹、白鼻芯2匹を捕獲した。

前回と同様、すぐさま市役所環境課に電話するも『どこの檻ですか?』ときた。

『自治会から借りた檻ですが・・・』と言うと『貴方は狩猟免許をお持ちですか?』と怒られた。

勿論、狩猟免許など持ち得ていない。

今まで市は、気持ちよく引き取りに来てくれていたが、制度が変わって市の免許所有者が仕掛けた檻でないと引き取れないことを主張。

たとえ、害獣と言えども狩猟免許のない者が捕まえた獣は対処しないという方針なのだ。

しかも、檻の設置は市役所まで『申請に来い。』とのこと。

市の制度が変わったなんてことは一度も聞いたことはなく、制度が変わったのなら市民に周知するべきだがこれもできていない。

実態を知らない自治会は檻を数個所有しているが、今後は手の打ちようがないという結末だ。

市全体で檻は20個ほど所有していると豪語しているが、ピントはずれも甚だしい。

無駄な時間のやり取りの結果、今回に限り引き取るとのこと。

狩猟免許のない者の捕獲は法律違反であり、法律違反者に市は協力できないという見解だ。

わからんでもないが、法律や制度ばかりを立前を主張されても、市民としては困り果ててしまう。

今まで、地域のためと考えて愚僧自ら手を汚してきたのだが、法律違反をしていたということだ。

害獣退治によらず、今まで行政が困った時には都合良く市民に協力を求めてきたのは一体何だったのかしっくりこないものがある。

市も、もう少し気の利いた採択をして欲しいものだが、害獣と決めつけているのは人間の都合であって、彼等は一所懸命に生きようとしているのである。

とにかく、害獣退治はアホらしくてもう止めた。

今後は訴えだけを市に主張することに徹したい。


サンライズ

すでに、お茶所布教も五日目に入った。

毎朝、朝5時に起床し、冷たい水で目を覚ます。

暗闇の中、45分には家を出る。

早朝の湖西道路はとても走りやすい。

本山に到着する頃にはうっすらと明るくなっている。

到着後、控え室にてすぐさま本日の法話のおさらいだ。

今回の講題は、当たり外れがなかろうということで『お念仏のこころ』とさせていただいた。

愚僧の話しは、どうしても福祉・保健・医療に纏わるお話しが中心となる。

7時には晨朝(じんちょう)勤行がはじまるので阿弥陀堂と御影堂に参拝。

7時30分から御茶所布教をはじめさせていただく。

参詣者はリピーターが殆どなので同じ話はできない。

いくつかご質問もいただいた。

お話しを聞いて下さっているということの証である。

ありがたい限りである。

残すはあと五日、ご縁を深めて参る所存である。


サンライズ
明日からご本山のお茶所布教を担当させていただきます。

今年も通いの予定です

時間があれば呟きますが、誠に勝手ながら、くだらないブログを10日間ほど休ませていただきます。

どんなお話しであったかは、また、ブログで語ってまいりますのでよろしく。


サンライス