フローレンス・ナイチンゲールという人がいました。

 そんなの知っている。そうですね。「白衣の天使」(「クリミアの天使」)、誰でも知っていますね。

 

・Florence Nightingale with her lamp at a patient's bedside,1891,Henrietta Emma Ratcliffe Rae,Public Domain.

 

 看護師さんになられた方や、身内の方が看護師さんになられた方なら継灯式(昔は戴帽式と呼ばれました)で唱和される「ナイチンゲール誓詞」を知っていたり、耳にしたりがあったと思います。

 ナイチンゲールの生まれた19世紀、誰もが医療を受けることは叶いませんでした。

 

 そもそもこの時代、世界中の女性に選挙権がありません。ナイチンゲールの母国イギリスも女性参政権は1918年(ただし資産の多寡による制限選挙)まで待たなければなりません。

 

 ナイチンゲールは1910年に亡くなっていますので、彼女のような偉大な女性でも生涯にわたって選挙権がなかったということですね。本当にひどい話です。世界中たくさんの人々が勝ち取ったこの権利、選挙には必ず行きましょう。

 ところでナイチンゲールの代名詞である「看護」という言葉は比較的新しく、19世紀半ばまでは「誰かが面倒を見る」といった感じで看護という仕事は『看護覚え書』という、これまた看護師になられた方やその関係者は一度は通る本を彼女が書くまで公には存在しませんでした。

 

 ナイチンゲールは〈人類史上初めて、この本の中で「看護とは何か」という定義を明らかにした〉とされていますが(※1)、現代における医療とはナイチンゲールの思想哲学から始まったと言って過言ではありません。

 しかし彼女が看護師として現場にいたのは、彼女を一躍有名にしたクリミア戦争への従軍看護を含め2年ほどとされています。多くの伝記、とくに子ども向けに書かれたたくさんのナイチンゲールの物語のほとんどは彼女の若き日の一部、ということになります。

 


・Florence Nightingale(1820 - 1910),Public Domain.

 ナイチンゲールは看護師であり、思想家でした。37歳で心臓をやって以来、ものを書くことしかできなくなったのもあるのでしょうが、天命だったのでしょう。保健看護学の理論形成に生涯を捧げることになります。

 

 彼女の現場を離れてからの看護理論、とくに環境論の構築はそれまでの医療の考え方とはまったく違う「患者目線」という考え方でした。看護医療に統計学を持ち込んだのも彼女ですし、看護教育として看護を学問にしたのも彼女です。

 現代では「ケア」とも呼ばれますね。若くして現場を離れざるをえなくなったナイチンゲールは看護についての理論書を150点以上も執筆しました(※2)。

 ナイチンゲールについてはすでに伝説と化した面もあり、とくに名言などは時代に合わせて変わっています。研究者の間でも、あれは彼女が言った言葉の通りではない、彼女の行動とは違う、などいまも論争の絶えない人物でもあります。

 しかし、私が言いたいのはそういうことではないのです。

 ナイチンゲールのたった2年余の献身、それでも命を賭した献身という「愛他」こそ大事に思うのです。

 ここでは「利他」とは書きません。「利」ではなく「愛」なのです。やさしい言葉なら「思いやり」でしょうか。

 

 別に利他の言葉が悪いとは言っていませんよ。私も羽生結弦について書くときには「利他」としています。

 

 メディアには統一表記というものがあって「利他」にせざるを得ない事情もあるのですが。そもそも「愛他」という言葉は古い言葉で「利他」に置き換わったのですね。

 この思想の提唱者とされる哲学者オーギュスト・コントの「altruism」は当初「愛他主義」と訳されました。古い文献もだいたい「愛他主義」です。

 


・Auguste Comte portrait(1798 - 1857),Portrait by Johan Hendrick Hoffmeister,Public Domain.

1:人間を「個」から共同体、さらには人類へと開くはたらき

2:他者への共感を促すはたらき

3:他者との共存に幸福を見出すはたらき (※3)

 ひとりの愛他の心が、はたらきが共同体から人類全体へ、それが多くの人たちの共感を促し、共存することへの幸福を見出す希望につながるということ、ナイチンゲールの「はたらき」もまたそうでしょう。遠い昔のその「はたらき」が何百億もの人を救った、偉人とはそうした人のことです。

 ナイチンゲールは愛他を広めることに力を注ぎましたが、自身を広められることは好みませんでした。とくにナイチンゲール自身を戦意高揚や母国(イギリス)の宣伝に利用されることには嫌悪したとされています。写真嫌いで本稿にある写真と数点しかないのもよく知られた話です。

 

 いっぽう、ナイチンゲールを心よく思わない人々や当時の敵国からは目立ちたがり、天使きどりといった誹謗中傷に晒されました。いつの時代もそういう連中はいますが、この時代に声を上げた人々がいたからこそ、いまのナイチンゲールがあると考えれば、やはり声を上げるのは大切なことです。

 誹謗中傷ーーそれでも、ナイチンゲールは人々のため、前に進み続けました。まさに愛他の精神ですね。

 この「愛他」について、コントと違った意味で提唱したのがピティリム・ソローキンというロシアの哲学者です。彼は愛他の人を「超意識」であるとしました。

 


・Pitirim Alexandrowitsch Sorokin(1889-1968),1917,Public Domain.

 この人の思想、とてつもなく難解なのですが、ものすごく簡単にこの「超意識」を書くとするなら「愛他の心は無私無欲の心から沸き起こる、自我の底にある他者を中心に据えた発想と行動という自我」とでもしましょうか。

〈人間には、可変的な肉体とは別に、不変の「私」ないし「霊」がある。それに気づくと、今度は、他者の中に「私」を発見し、手を差し伸べることとなる。はじめは近しいものから、しだいに縁遠いと思われる人たちに対してまで、差し出される。その働きを端的にいうと「愛」ということになろう〉※4

 つまり自然とそうした他者に手を差し伸べる、愛他の行動ができる人の発心が「超意識」ということになります。

 で、「どうして彼は、彼女はそこまで多くの人々のために行動できるんだろう」は、実のところ「超意識」の愛他に聞いたところで「したいからしたのです」に終始するのではないでしょうか。

 

 もちろん理由はいくらでも言うことはできますが、そうした愛他の人からすれば「したいからした」、まさに崇高な精神と言うべきですが、この精神の持ち主はそう多くありません。私だってそうです。

 しかしその精神がそんな私たちに「愛他」の輪を広げてくれます。まさに先の「ひとりの愛他の心が、はたらきが共同体から人類全体へ、それが多くの人たちの共感を促し、共存することへの幸福を見出す希望につながる」ですね。

 ナイチンゲールの「超意識」がいまもたくさんの看護師さんのみならず、たくさんのエッセンシャルワーカーの方々に引き継がれています。だから私たちは19世紀の劣悪な環境よりはずっと良い生活ができています。たった2年余のナイチンゲール、あのランプを持ってずっと患者さんのために献身を続けた彼女の姿が100年、150年経ったいまもたくさんの人々に受け継がれている。

 冒頭に継灯式のことを書きましたが、これはナイチンゲールの灯とその愛他の魂を受け継ぐという儀式でもあるんですね、たくさんの灯が受け継がれる、なんだか『羽生結弦 notte stellata』を思い出します。羽生結弦の見た震災の星々、真っ暗な被災地に見た希望、それを私たちもまた「愛他」の輪になって受け継ぐ。

 やっと羽生結弦の話になります。

 長かったですか?

 でも、どうしてもナイチンゲールの話が必要だったのです。男とか女でなく人として、愛他の人として語りたいのです。

 

 それくらいに尊いはたらき、ナイチンゲールと羽生結弦、それは比べるでなく、等しく尊いはたらきに思うのです。

 宮城・ベルサンピアみやぎ泉スケートリンク、今回の5420万5800円の寄付。私は愛他の人として語りたかった。

 報道についてはすでに知るところなので割愛します。私もかつて著書発売の際にはお世話になった報知新聞社さんがしっかりと取材報道されてますので。

 


 そしてこれまでの数億円、10億円はいったのではとされる羽生結弦の愛他、

〈活動費も少ない時代から私財を投げ打ち、誰に言うでもなく、何の贅沢をするでもないジャージ姿の偉人、それが羽生結弦〉

 拙筆で恐縮ですが私もこの文、とても気に入っています。ライブドアニュースに掲載したものなので誰でも読めます。

 


 他にもこんなことを書いています。

〈何度でも言うが、こうした行為を10代で、それも自身にとって一番大切な時期に行う羽生結弦という人物は、やはり「歴史上の人物」になるべき運命にあるのだろう。そういう青年なのだと思う。我が事の大事とともに多くの人々の大事を思い、自身の出来得る限りの滑りと活動の中でそれらを表現し、具現化する。まさしく羽生結弦という存在には「社会性」がある〉

〈この事実は本当に尊く、私は2011年から2012年、震災に苦しみながらも大好きなスケートに打ち込み、私欲もなく、人々のために尽くした尊い10代の青年がいたこと、そんな彼がいま、フィギュアスケートの歴史にとどまらない偉人として歩み続けていること、そして多くのプログラムでプロになったあとも人々を楽しませ、驚かせ、そして幸せにし続けていること、このすべてをたまらなく尊く思うし、その羽生結弦の思いと行いは多くの人を救い続けてきたと確信している〉

〈思えば羽生結弦の寄付――これまでどれだけの年月、続けられてきた厚志なのだろう。その億を超える総額のこと、自分の将来すらわからない時代にもそれを実践してきたことなども書いてきたが、その「優しさ」がもっともっと世界中に知られたらいいなと願う。羽生結弦自身はその厚志に見返りなど考えてなく、ましてやそれが目的でも、望みでもないことはわかるが、私は伝えたい。羽生結弦と共にある人々もまた、そうだろう。こうした「優しさ」の伝播が人の世を変える。変わらなくともその努力は大切で、私たちはだからこそ人間であり結局、行き着く先は優しさなんだ。それを羽生結弦は教えてくれる。羽生結弦の時代とは、そういう「優しさ」の時代でもあり、そうした世界の希望と祈りにある。彼の作品も、彼の行為も、その象徴にある〉

 まあ、こうして大事なことは長々と書くことも大切ですが、〈端的にジャージ姿の偉人〉でいいようにも思います。ナイチンゲールになぞらえるなら「ジャージの天使」でしょうか。

 

 プログラムでは白衣の天使、あるいは黒衣の天使のように変貌する羽生結弦という存在ですが、根本にあるのはジャージ、シェイクスピアの『ハムレット』に知られる言葉「たいてい着るもので人柄がわかる」(※5)は、使う人それぞれに曲解されることの多くあまり好きではないのですが、良い意味で人をとらえるならばありのようにも思います。

 もちろんグッチの羽生結弦も好きですよ。むしろ大好物です。以前から言っている通りに私、芸術としてファッションも好きですからね。ジャージだって高いものは高いです。グッチなら上下で50万円くらいします。さすが世界のグッチ。

 でもやはりそういうことでなく、羽生結弦という人の愛他と真っ直ぐな生き方の、アスリートとしての象徴が「ジャージ」であるように思うのです。

 羽生結弦という存在の灯が後輩のスケーターたちに受け継がれ、その愛他のはたらきが私たちに広がり、社会に広がり、世界に広がる。こうして善き時代が創られてゆく。

 

 ナイチンゲールがそうであったように。

 

 ソローキンはそうした人々を「善き隣人」としました。羽生結弦の願う希望そのものと思います。

 繰り返しますが、何ものでもないうちから、先がどうなるかわからない被災者の立場の高校生のころから愛他の心で実践し、それを誇るでなくひけらかすのでもなく、ただひたすらに氷上で自分との闘いを続けてきた羽生結弦。

 

 本当に同じ時代にあって、「善き隣人」として共に前に歩み続けることは僥倖でしかありません。みなさんもきっとそうでしょう。いや、そうでしょう!

 本来はいつもの連載で出すつもりでしたがどうしても多くに読んでもらいたく綴りました。羽生結弦と愛他、そして私たちについてはもっと書きたいのですがそれはまた、後日。

 

日野百草


■参考文献
※1『看護の歴史』東京有明医療大学編
https://www.tau.ac.jp/department/nursing/content/history-k
※2『ナイチンゲール看護論』ナイチンゲール看護研究所編
https://nightingale-a.jp/nightingales-nursing-theory
※3 若松英輔著『利他とは何か 利と他の現象学』東京科学大学未来社会創成研究院、東京科学大学リベラルアーツ研究教育院
https://www.fhrc.ila.titech.ac.jp/report/about-rita-vol1
※4 吉野浩司著『利他主義社会学の創造』昭和堂,2020年初版,78頁.
※5 シェイクスピア著、福田恆存訳『ハムレット』新潮文庫,新潮社,1994年60刷,31頁.

 

※最後に元いた会社の宣伝ではないのですが、ナイチンゲールの伝記漫画は角川(KADOKAWA)の『ナイチンゲール 看護に生きた戦場の天使』が一番「いま」にふさわしい仕上がりで出来栄えがよいです。看護師志望のお子さん、お孫さんにおすすめです。ちなみに女医さん志望のお子さんお孫さんには『エリザベス・ブラックウェル 世界で初めての女性医師』です。いろいろある会社ですが「角川まんが学習シリーズ」はがんばっているなと思います。教えの仕事をしていたときもここの「日本の歴史」、「世界の歴史」は鉄板でしたから教室に揃えていました。全体像を掴むのとまず興味を引かせることがうまいなあと。「いま」の人気漫画家をたくさん使える角川ならではの強みですね。

 

 

 

 

 

 

 

「一所懸命」という言葉が好きです。

 

この「一所」がいい。

転じて「一生懸命」という言葉になりましたが、それはいいでしょう。

 

語源は「一所」懸命です。

 

どちらでも構いませんが、ここでは「一所懸命」とします。

 

1月26日放送のテレビ朝日『「Echoes of Life」羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー』もまた

 

その「一所懸命」にふさわしいドキュメンタリーでした。
 

 

まずこの番組のスタッフに敬意を。

 

非常に優れたドキュメンタリーでした。

 

『Echoes of Life』は平易な物語ですが、

深淵を覗くなら難しい作品です。

 

多種多様な構成要素が羽生結弦という存在の頭の中を

余すことなく芸術として昇華したものです。

それがアイスストーリーです。

 

聞き手の松岡修造氏もとてもよかった。

面白くて品がある。

彼も「一所懸命」の人でした。

というかこの通り、そのまんまの人です。

 

 

だからこそわかるのでしょう。


「羽生結弦さん、それ以上、命を削んないで」

 

この言葉が重かった。

現役時代を知る人からすれば

「それこそ命を削ってきた松岡が言うか」ですが

そんな松岡氏だからこそわかるものがある。

だから、重い。

 

その他

「平昌五輪の構成じゃないと駄目」

「この世界だからこそ伝えたいこと」

「逃げたら生きる意味がわからなくなる」
そして

「正義」。

 

羽生結弦の氷上の表現とはまた別の

ディアロゴス(プラトン)=対話について

正義についての考察を2月1日から綴ります。

 

 

埼玉の衝撃、

広島の感動、

そして千葉。

 

もういてもたってもいられなくて

フライングでブログに書きました。

ご容赦を。

 

最後にディック・バトン氏に神の眠りを

シシコワ・ナウモフ組の無事を祈ります。

(もちろん一人でも多くの奇跡も)

 

日野百草

FaOI2024

私個人の意見をもう少し

いちスケートファンとして

突っ込んで補足しようと思います。

ブログなら「完全な個人の自由意見」の

場ですので。

 

 

羽生結弦はもはや「別格」です。

記事に書いた通りの「別格」

誰に比べるでなく、歴史の上での「別格」です。

 

基本みな平等に、等しく演じる

FaOIのような場ゆえに

これほどの「別格」に進化してしまった

羽生結弦という存在の扱いが

難しかったように思うのです。

これまでの経験値では図れない「別格」

羽生結弦というただ一つの存在価値が

増しているのです。

 

不思議なことにバレエなら

例えば古くバレエ・リュスもその時々の

人気者を最大限活用しています。

フォーキンも、パブロワも、ニジンスキーも

バランシンもその時々にそうでした。

たいていの興行では当たり前ですよね。

でもフィギュアスケートはアマチュアの

場という立ち位置をプロの興行も請け負って

きましたから、私見ですが「不思議な状態」

にあったと思います。

 

今回のFaOI2024はこれまでを踏まえて

そうとうに羽生結弦を意識した構成でした。

だから私は「やればできるじゃないか」と

率直に評価しました。

一般的な演劇集団と違い劇団が育てた

わけでもない全員「客演」ゆえの難しさは

わかりますが……。

 

いまや興行、特にフィギュアスケートは

世界的にも厳しい状況にあります。

「羽生結弦とそれ以外」が興行という

現実から「数字」という結果に表れています。

今後のFaOIに限らず羽生結弦を押し出して、

この時代の子、歴史の宝を重用することは

決して誤った贔屓とか特別扱いでは

ないと思います。

 

田中刑事の羽生結弦に対する素直な称賛と

信頼は他のスケーターも同様でしょう。

フィギュアスケートを愛すればこそ、

そしてその道を極めた方々だからこそ。

 

羽生結弦もそれに自分も応えたいという内容の

発言を以前から言及していますし

私たち羽生結弦と共にある人々もそうでしょう。

 

これからのフィギュアスケートのためにも、

羽生結弦をもっともっと大事に、大切に。

FaOIに限らずスケートの興行を運営する側に

願いたいと思う次第です。

凄すぎるからバランスを、

というのはアマチュアの考えだと思います。

プロは凄すぎるほど重用するものです。

興行ですからね。

 

一部メディアも含め日本が一番

羽生結弦という存在を大事にしてないなんて

ことになったらそれこそ世界の、

いや歴史の笑い者ですから。

 

日野百草

キラとアスランの絆と苦悩

その二人が羽生結弦を通して見えてくる

っていうか羽生結弦、もうキラでアスランでしょ。

 

ということでFantasy on Ice 2024幕張公演初日、

参りました。

商業原稿発表まで我慢出来ないのでブログで書きます。

 

 

Fantasy on Iceってフィギュアスケートのお祭りだからね、

もうぶっちゃけて、はっちゃけていいと思うんだ。

ここはブログなんで、好き勝手に

ぶっちゃけて、はっちゃけて書きますよ。

それくらいのお祭りだったんだ、Fantasy on Ice 2024。

 

「羽生結弦は大丈夫だ」

今回もこれ、使いたいですね。

大丈夫ですよ。みんながいるもの。

「羽生結弦と共にある人々」より

今回は「みんな」だな、

だってこんなに応援してる。

 

もちろん羽生結弦はFaOI

一(いち)演者。

それは当然だけど、

それでもみんなわかってたと思うんだ。

怪我とか、それ以上に大変だったこと

ずっとそうだったこと。

それでもみんながいるってこと。

 

もう書きたいことだらけで

あの「ダニー・ボーイ」再臨とか

美しすぎて

あとフィナーレの衣装とかもう、

書きたいことだらけって

表現重複しちゃうくらいなんだけど、

やっぱり

『機動戦士ガンダムSEED』でしょう!

 

第1部「FREEDOM」の熱唱に集う群舞、

ここでもう胸熱!

私、ガンダムSEEDは媒体で少し関わった(無印のみ)

ことがあったんで思い入れ深いんです。

 

で、第2部でついに羽生結弦が「Meteor」を演舞、

これもうどうしていいかわかんなくなっちゃって

キラとアスランが見えるってばよ!

友情と愛憎と

私はガンダムSEEDってキラとアスランの物語だと

思っているんで

(まあ本編中でも兵器としてのミーティアはそうだし)

本編の話はともかくね

そういうことじゃなくて

とにかく羽生結弦はキラでアスランだったってこと!

私の中だけかもしれないけど!

 

以上、羽生結弦は大丈夫なこと

美しいダニー・ボーイの再臨、そして

キラでアスランな羽生結弦(最強)がいたってことでした!

 

 

日野百草

 

 

 

今年もまた「約束の地」宮城

セキスイスーパーアリーナに星々が集います。

 

私もご縁をいただけたので

8日当日から現地入りします。

 

下記に直前稿として綴りました。

 

後編は8日公開になるようです。

 

私は羽生結弦という存在が好きです。

その人物と同時代を生きている、という

歴史のダイナミズムにも惹かれますが、

同時に「羽生結弦と共にある人々」の

存在もまた好きです。

ですから現地だけでなく、ライブビューイング会場や、

現地に行けない人々=星々にとっての

「羽生結弦と共に」もまた

ルポルタージュとして綴ってきました。

 

星々が集う

とてもあたたかくなる。

 

ライブ・ビューイングで全国各地の映画館に集う星々、

Huluの独占配信で集う星々、

そして当日観ることは叶わなくとも仕事で、

家事で、育児で、介護で、

自分の人生と真正面から向き合い続ける星々、

そうした星々すべてが「約束の地」に集います。

 

本当に、たくさんの人が死んだ。

本当にたくさんの人が悲しんだ。

本当にたくさんの人の運命が変わった。

 

3月11日のあの日、苦しみの中でも生きた、

もしくは生きられなかった大勢の星々もまた

「約束の地」に集います。

 

いわば『notte stellata』は

「神事」なのでしょう。

 

「忘れてほしくない」

背負い続ける羽生結弦と共に、

私たちも人間として、あの日を背負う。

 

3.11を、みんなで背負う。

羽生結弦と背負う、その矜持こそ。

 

さあ『notte stellata』

みんなの心を「約束の地」へ。

 

 

日野百草

 

羽生結弦論、みんかぶマガジンで連載中。

 

久しぶりにブログで書きます。

「RE_PRAY」ツアーのエッセイ全3回の

公開が配信社のスケジュールで

来週になる、とのことなので。

(私は著者でしかなく運営面はわかりません)

 

●千秋楽「RE_PRAY」横浜にて。筆者撮影。

 

思えば、2023年11月4日の

さいたまスーパーアリーナの初演から数えて、

年を挟んで3ヶ月以上のツアー。

 

フィギュアスケートの歴史として

「ありえない」成功のように思います。

 

ありえないことは「神話」になります。

それを成し遂げる羽生結弦という存在、

そして共にある人々、

みな神話の世界を生きていのでしょう。

 

懲りもせずに無関係のプライベートを

いまだあれこれ詮索している輩もおりますが、

しょせん神話にそうした者は残りません。

 

これだけの規模のツアー、

それも単独といえば、そうですね、

冬季五輪三連覇の「神話」

ソニア・ヘニーの世界公演などは、

その時々でメンバーが加わることもあったとはいえ

「単独」と言って差し支えないでしょう。

 

●1931年、ソニア・ヘニー(1912 - 1969)

※Public Domain.

 

もっとも半世紀以上どころか

第二次世界大戦前後の話です。

 

●1933年、ソニア・ヘニーによる公演。

オーエン・シュタディオン(ノルウェー、トロンハイム)にて。

※Public Domain.

 

テレビ放送はBBCによる世界初の開局(定期放送)が1936年ですから、

イギリスはもとよりアメリカすら一般家庭の普及は大戦後の

1950年代となります。ですからソニア・ヘニーは興行と同時に

多くの映画出演でエンタメとしてのプロ・フィギュアスケートを

確立して行きました。

 

●1936年上映『One in a Million』。

日本では『銀盤の女王』の邦題で上映されました。

※Public Domain.

 

彼女のバックに『市民ケーン』のモデルにもなった

歴史的なメディア王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが

ついていたのも大きかったのでしょう。

 

●ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863-1951)

※Public Domain.

 

以降も多くのプロによるフィギュアスケート・ショウが

催されてきましたが、ソニア・ヘニーほど歴史に残る成功、

そして長きにわたる公演活動を続けたスケーターとなると

難しい、と古く海外の識者も記しています。

 

もちろん、いまとなっては20世紀、

「羽生結弦以前」の話となります。

 

実際、羽生結弦のような公演を成し遂げ続ける人物は

現代史において、少なくともこの国にはいませんでした。

誰と比較するでなく、これは史実として確かなことです。

 

私たちはソニア・ヘニーの時代そのものを生きていない。

その時代の息吹を知らない。

馬車が自動車に。

人類が有人飛行で空へ。

映像に声が。

そうした未来と希望の20世紀とソニア・ヘニーという存在は

時代にリンクしたのでしょう。

第二次世界大戦の戦禍とナチズムもまた、

彼女を時代の子にしました。

 

●1936年、ソニア・ヘニーとアドルフ・ヒトラー。

彼女の母国ノルウェーはのちにドイツ占領下となりました。

※Public Domain.

 

でも私たちは、羽生結弦という時代にあります。

これは本当に「僥倖」としか言いようがありません。

私たちもまた羽生結弦という神話の世界を生き、

神話を共に創り、そして神話を残すことができる僥倖。

私たちはその価値もまた、よく知っています。

「RE_PRAY」ツアーはその「神話」を

確たるものとしました。

 

そもそもニジンスキーだ、バレエ・リュスだ、

ソニア・ヘニーだを持ち出さないといけない時点で

ありえない存在、まさしく羽生結弦という現代の

「神話」なのですが。

 

羽生結弦という存在は

フィギュアスケートで人類の文化史を創る、

神話の可能性を秘めている、

いや、それを成し遂げるのではないか。

 

私は埼玉、佐賀、横浜とご縁に恵まれましたが

その一連の観劇の中で、そう確信しました。

大げさ、いやそんなことない。

それこそとんでもない歴史の瞬間を、

時代を私たちは目撃し、それと共に歩んでいる。

そう思うのです。

 

「アイスストーリー」と銘打つように

多種多様の技術と創造性、そして演出によるプログラムの数々。

それを単独で滑る、回る、跳ぶ、そして演じる。

これを遂げる「魂」は、

過去と比較するでない「唯一」のものです。

とくに佐賀公演は思い出深く、

佐賀平野の空はまさしく、羽生結弦の空でした。

 

●「RE_PRAY」佐賀にて。筆者撮影。

 

「RE_PRAY」ツアー成功。

そして私たちは羽生結弦と共に、斯く戦えり。

といったところでしょうか。

興行もまた「戦い」です。

余計な「戦い」もありました。

勝ち負けが野暮なことは承知ですが、

やはり羽生結弦は負けん気の強い男の子、

私たちもまたいっしょに戦うやんちゃくれ。

みんながみんな阿修羅ちゃんで、鶏と蛇と豚で、

クジャ様なんですから。

羽生結弦なめんな、って感じです。

 

とりとめもなく書きましたが、

配信前にあんまり書くと掲載媒体のご迷惑なので

このあたりまでとしますが、

「私たちは勝った」

まずそう言いたくて、筆をとった次第です。

 

最後に羽生結弦さん並びに共にあるみなさん。

歴史に残る「RE_PRAY」ツアー成功、

おめでとうございます。

 

次は3月、約束の日、約束の地、

『notte stellata 2024』でお会いしましょう。

 

日野百草

 

●「RE_PRAY」さいたまスーパーアリーナにて。筆者撮影。

 

羽生結弦論、みんかぶマガジンで連載中。

 

拙筆『ドミノ・ピザが謝罪 問題動画の店舗を即日営業停止、

生地は全廃棄…バイトテロに企業は屈するしかないのか

「シンプルに食品衛生法の問題」』が配信各社より

公開され、ヤフーニュース経済ランキング1位となりました。

 

 

 

総合でもトップ10入りとなりました。

多くの私も含めた消費者から注目される

事案であることを改めて感じました。

 

 

外食産業いずれも起こり得る自体、そして

すべてに社会倫理を説くことは不可能でしょう。

そこに悪はなく、ただ普遍的な「道理」のあるだけです。

英米法は宗教的な背景もあり、

懲罰的損害賠償を取り入れていますが、

文化的背景は置いて、

この国でも更なる議論の余地はあると考えています。

 

日野百草

拙筆『ついに経済産業省が指定メディアから除外

「フロッピーという時代」が終わろうとしている』が

配信各社より公開され、楽天Infoseekニュース

経済ランキング1位となりました。

 

 

またzakzak by 夕刊フジでも

総合ランキングで3位となりました。

 

 

 

文中にも書いていますが、

「電磁的記録媒体」と表記改正されるだけで

即「フロッピーは禁止」というわけではありません。

 

それでも、現実問題として、名実ともに

「フロッピーの時代は終わり」は確かでしょう。

 

私たちと共にあった

「フロッピーという時代」という記憶とともに。

 

日野百草

拙筆『ダイハツ全車種出荷停止

買い換えを決めていた主婦

「納車か、キャンセルか」と言われ困惑』が

配信各社で公開され、

ヤフーニュース経済2位、

zakzak by 夕刊フジでも総合3位となりました。

 

 

 

 

親会社がトヨタとはいえ

ダイハツ、売るもののない状態が続く

存亡の危機と言っても過言ではないように思います。

 

正規非正規問わず、現場工場の

労働者やその家族には何の罪もない、

いかに経営者の責任が重いかを

改めて実感させられます。

 

日野百草

 

 

 

拙筆『そしてメガトン増税へ…鬼の岸田総理「ボーナス36万円」に

「返せばいいんだろ」自民からも批判”田舎じゃボーナスが36万円”』が

配信各社から公開され、ヤフーニュース総合1位となりました。

 

 

 

お手盛りで自分たちで何もかも決められる立場だからこそ、

「倫理」という矜持が必要です。

それがあまりにも蔑ろにされる

この国の政治の中で、

私たちも図太く生きねばならない必要性に

迫られているように思うのです。

 

「金だけ今だけ自分だけ」

 

左右でなく上下の問題、

こうした流れはこれから先、

さらに強まるのでしょう。

 

これからも社会倫理に根ざした

指摘を書いていこうと思います。

 

日野百草