久しぶりにブログで書きます。

「RE_PRAY」ツアーのエッセイ全3回の

公開が配信社のスケジュールで

来週になる、とのことなので。

(私は著者でしかなく運営面はわかりません)

 

●千秋楽「RE_PRAY」横浜にて。筆者撮影。

 

思えば、2023年11月4日の

さいたまスーパーアリーナの初演から数えて、

年を挟んで3ヶ月以上のツアー。

 

フィギュアスケートの歴史として

「ありえない」成功のように思います。

 

ありえないことは「神話」になります。

それを成し遂げる羽生結弦という存在、

そして共にある人々、

みな神話の世界を生きていのでしょう。

 

懲りもせずに無関係のプライベートを

いまだあれこれ詮索している輩もおりますが、

しょせん神話にそうした者は残りません。

 

これだけの規模のツアー、

それも単独といえば、そうですね、

冬季五輪三連覇の「神話」

ソニア・ヘニーの世界公演などは、

その時々でメンバーが加わることもあったとはいえ

「単独」と言って差し支えないでしょう。

 

●1931年、ソニア・ヘニー(1912 - 1969)

※Public Domain.

 

もっとも半世紀以上どころか

第二次世界大戦前後の話です。

 

●1933年、ソニア・ヘニーによる公演。

オーエン・シュタディオン(ノルウェー、トロンハイム)にて。

※Public Domain.

 

テレビ放送はBBCによる世界初の開局(定期放送)が1936年ですから、

イギリスはもとよりアメリカすら一般家庭の普及は大戦後の

1950年代となります。ですからソニア・ヘニーは興行と同時に

多くの映画出演でエンタメとしてのプロ・フィギュアスケートを

確立して行きました。

 

●1936年上映『One in a Million』。

日本では『銀盤の女王』の邦題で上映されました。

※Public Domain.

 

彼女のバックに『市民ケーン』のモデルにもなった

歴史的なメディア王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが

ついていたのも大きかったのでしょう。

 

●ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863-1951)

※Public Domain.

 

以降も多くのプロによるフィギュアスケート・ショウが

催されてきましたが、ソニア・ヘニーほど歴史に残る成功、

そして長きにわたる公演活動を続けたスケーターとなると

難しい、と古く海外の識者も記しています。

 

もちろん、いまとなっては20世紀、

「羽生結弦以前」の話となります。

 

実際、羽生結弦のような公演を成し遂げ続ける人物は

現代史において、少なくともこの国にはいませんでした。

誰と比較するでなく、これは史実として確かなことです。

 

私たちはソニア・ヘニーの時代そのものを生きていない。

その時代の息吹を知らない。

馬車が自動車に。

人類が有人飛行で空へ。

映像に声が。

そうした未来と希望の20世紀とソニア・ヘニーという存在は

時代にリンクしたのでしょう。

第二次世界大戦の戦禍とナチズムもまた、

彼女を時代の子にしました。

 

●1936年、ソニア・ヘニーとアドルフ・ヒトラー。

彼女の母国ノルウェーはのちにドイツ占領下となりました。

※Public Domain.

 

でも私たちは、羽生結弦という時代にあります。

これは本当に「僥倖」としか言いようがありません。

私たちもまた羽生結弦という神話の世界を生き、

神話を共に創り、そして神話を残すことができる僥倖。

私たちはその価値もまた、よく知っています。

「RE_PRAY」ツアーはその「神話」を

確たるものとしました。

 

そもそもニジンスキーだ、バレエ・リュスだ、

ソニア・ヘニーだを持ち出さないといけない時点で

ありえない存在、まさしく羽生結弦という現代の

「神話」なのですが。

 

羽生結弦という存在は

フィギュアスケートで人類の文化史を創る、

神話の可能性を秘めている、

いや、それを成し遂げるのではないか。

 

私は埼玉、佐賀、横浜とご縁に恵まれましたが

その一連の観劇の中で、そう確信しました。

大げさ、いやそんなことない。

それこそとんでもない歴史の瞬間を、

時代を私たちは目撃し、それと共に歩んでいる。

そう思うのです。

 

「アイスストーリー」と銘打つように

多種多様の技術と創造性、そして演出によるプログラムの数々。

それを単独で滑る、回る、跳ぶ、そして演じる。

これを遂げる「魂」は、

過去と比較するでない「唯一」のものです。

とくに佐賀公演は思い出深く、

佐賀平野の空はまさしく、羽生結弦の空でした。

 

●「RE_PRAY」佐賀にて。筆者撮影。

 

「RE_PRAY」ツアー成功。

そして私たちは羽生結弦と共に、斯く戦えり。

といったところでしょうか。

興行もまた「戦い」です。

余計な「戦い」もありました。

勝ち負けが野暮なことは承知ですが、

やはり羽生結弦は負けん気の強い男の子、

私たちもまたいっしょに戦うやんちゃくれ。

みんながみんな阿修羅ちゃんで、鶏と蛇と豚で、

クジャ様なんですから。

羽生結弦なめんな、って感じです。

 

とりとめもなく書きましたが、

配信前にあんまり書くと掲載媒体のご迷惑なので

このあたりまでとしますが、

「私たちは勝った」

まずそう言いたくて、筆をとった次第です。

 

最後に羽生結弦さん並びに共にあるみなさん。

歴史に残る「RE_PRAY」ツアー成功、

おめでとうございます。

 

次は3月、約束の日、約束の地、

『notte stellata 2024』でお会いしましょう。

 

日野百草

 

●「RE_PRAY」さいたまスーパーアリーナにて。筆者撮影。

 

羽生結弦論、みんかぶマガジンで連載中。