月の満ち欠け★3(59点) | 田舎のインドアアラフィフの日々

田舎のインドアアラフィフの日々

AMAZONプライム映画が主体のレビュー。たまに例外はありますが、日記公開時、プライム会員が無料で観れる映画をチョイス。
できるだけ良い映画に出会いたいため、基本的にAmazon評価で★4以上が付いているものを選んで視聴した上、個人的な採点を実施しています。

■短評

SNOWMAN好きな奥さんが観たい!と。僕は途中ちょこっと他の用事してたりしたけど、それでも特に問題なく理解できました。

 

■あらすじ(アマプラ紹介文より)

仕事も家庭も順調だった小山内堅の日常は、愛する妻・梢と娘・瑠璃のふたりを不慮の事故で同時に失ったことで一変。深い悲しみに沈む小山内のもとに、三角哲彦と名乗る男が訪ねてくる。事故に遭った日、小山内の娘が面識のないはずの自分に会いに来ようとしていたこと、そして彼女は、かつて自分が狂おしいほどに愛した“瑠璃”という女性の生まれ変わりだったのではないか、と告げる。【愛し合っていた一組の夫婦】と、【許されざる恋に落ちた恋人たち】。全く関係がないように思われたふたつの物語が、数十年の時を経てつながっていく。それは「生まれ変わっても、あなたに逢いたい」という強い願いが起こした、あまりにも切なすぎる愛の奇跡だった——

 

■総評

大泉洋という俳優が、本作がただの気持ち悪くて不気味な映画になるところから救ってくれた気がする。

自分の子供が、他の大人に「お父さん!」と涙ながらに抱き付くなんて、どうかしてるぜ?今の親の立場は?

「僕は断じて認めない!」という、大泉洋演じるお父さんの常識ぶりが、何とかこの映画をクソ認定するところから救ってくれた。あと、愛や恋がその時の全てを支配しているようなお年頃なら、ひょっとして胸にジンと来るものもあるのかな?という客観的視点も入れて、★3で留まらせる。

僕も昔は毎月「月刊ムー」を愛読していたようなSF嗜好者であり、「生まれ変わり」についての理解もあるつもりなので、これに「愛や恋」を絡めると、なんとも安っぽいドラマに成り下がるもんだな、というのが正直な感想ではある。

前世のことは、「経験や知識として」ぼんやり受け継がれることはあったとしても、感情まで寸分たがわぬほど引き継いでしまうという設定は、やっぱ気持ち悪いし無理がある。

大体、「生まれ変わり」に主眼が行き過ぎて、「死」というものが非常に簡単で安直に扱われている気もする。「死んだってすぐに生まれ変わるから~♪」みたいな。「瑠璃」の2度の死にしたって、異常にマヌケすぎて展開上都合の良い死に方であり、二度目なんてお母さんは巻き添えも巻き添え。珍しく悪役の田中圭の行動も異常すぎて白ける。伊藤沙里母さんだって、いくら自分の娘は「瑠璃」の生まれ変わりと理解しているとはいえ、物理的には7歳の娘。人通りや車通りの多い街中を、一人で愛する中年に会いに行かせるとか、そこに「自分の子供に対しての愛や心配」はないんか?7歳の娘と恐らくアラフィフになるであろうおっさん(あきらくん)が結ばれることになってもええんか?それは一般常識的には小児性愛で一歩踏み出せば犯罪だが・・・。3代目瑠璃ちゃんが結婚できる年齢まで待つんか?あきらくんは還暦を余裕で過ぎると思うが・・・。

魂レベルの結びつきとか、とても綺麗な言葉ではあるが、実際は恋愛なんて当事者の年齢適正やルックスなどの好みも相当に影響するだろ。

仮定だがあきらくんと初代瑠璃ちゃんの出会いが20歳と小学生だったとして、恋愛に成就したと思いますか?

オタクみたいな話をすると、輪廻転生を考えたときに「初代瑠璃」として生まれる前の人生はどうだったの?とか考えちゃうし、オタクじゃなくても単純に日本で知り合いのとこばっかりに生まれ変わるの都合良すぎじゃない?とかは普通に思うんではなかろーか。ブラジル人に生まれることだって、人間どころかロブスターに生まれ変わることだってあるんじゃないのか?日本人は日本人に生まれ変わるルールとかあんのか?少なくとも、「ムー」にはそんなこと書いてなかった気がする。

原作小説(直木賞受賞)は未読のため、この映画化がどの程度成功しているのかは気になるところ。

まあ・・アラフィフの映画好き親父が、人に「良い映画だったよ」とは口が裂けてもお勧めできる一本ではありませんが、本作を救った大泉洋という俳優さんを改めて好きになれたこと、クライマックスの有森さんのランニングシーンで「ぽよんぽよん」を実感できたことは収穫です。