カーサの滝には不思議な性質があります。

 

 トラブルになった相手と必ずその後滝で遭遇することになるのです。

 

 私の場合、例えばこういうことがありました。

 

 カーサのメインホールには「撮影禁止」の張り紙が張ってあります。しかし、その真意は巡礼者のプライバシー保護のためです。セッションのある水曜日から金曜の午後にかけて巡礼者を映すことがNGというのが正しい解釈。空っぽのメインホールを撮影することには何ら問題はないのです。

 

 これがカレントルームや滝であれば話は別ですよ。カレントルームやブレッングルームなどは完全に撮影禁止です。これはエンチダージが決めた厳格なルールです。滝もそうです。滝へ行く小道も含めて(展望台等から撮影た写真に写り込む分には大丈夫ですが)撮影は許されません。

 

 ところが、メインホールでの張り紙には水曜日から金曜日とは書いていないため、何も知らない巡礼者はそれをそのまま信じてしまうのです。

 

 ある時、私は手持ちの写真にメインホールの写真で使えるものが少ないと思い、土日の誰もいない時間を狙ってメインホールを撮影しようとしました。するとそこへドイツ人巡礼者が私のカメラを手で押さえ、張り紙を指さしたのです。「撮影禁止ですよ!」と。私は「これは水曜日から金曜日にかけてっていう意味ですよ」と教えてあげましたが、このドイツ人は「ルールやマナーを守らない東洋人めが!」といった上から目線でクビを左右にふり、そのままメインホールに鎮座して私を監視するのでした。

 

 私は仕事で写真が必要なので非常に困りました。カーサのスタッフを呼んできて彼に説明をしてもらおうかと思いましたが、それも面倒なので諦めざるをえませんでした。

 

 この彼とその後すぐに滝の門の前で遭遇したのです。先ほどとは表情が違うので、「あれっ?さっきのイジワルなドイツ人かな?」と思いましたが、私はいつもそうするように女性たちが門から出て行ったあと、その場に居合わせた全ての男性に声をかけて門の中へと案内し、私が最後に門を閉めたのです。

 

 私のそうした様子を見ていたそのドイツ人は「こいつ、思ったよりちゃんとしてるじゃないか」といった表情で私を一瞥し、去っていかれました。彼の中で私に対するイメージが何か変わったんでしょうね。

 

 こうしたことはしょっちゅうありまして、森先生とフランス人蛇女がバトった時も滝で遭遇しましたし、私と森先生が2017年5月の滞在で大喧嘩した時も、お互いに避けていたにも関わらず滝で偶然出会ってしまって気まずい思いをしたりしたこともありました。

 

 ちなみに、3秒ルールを作ったジェシカと滝で遭遇したこともありました。私とジェシカとは犬猿の仲といいますか、彼女の心のブラックリストに私が載せられているといったところなのですが(笑)、ま、とにかく彼女の中で私は相当に印象が悪いのです。

 

 ※ジェシカについてはこちら↓

 

 

 

 

 あるとき私がJ氏を担いで滝の門まで降りてきたところをジェシカに遭遇しました。ジェシカは大勢の自分のツアー客を連れてきていましたが、私に対して同情した様子を見せ、私とJ氏が入滝する間自分のツアー客たちを先に帰らせて一人待っていてくれたのです。

 

 そして、

 

 「あなたも滝に入りたいなら彼女のことをここで見ていてあげるから他の男性たちと行っておいで」

 

 という優しい言葉をかけてくれたのです。でも私はその時いい機会だと思って、

 

 「いいえ、私は一人で滝に行く許可と3秒以上 水浴びする許可をエンチダージから頂いております。もっと人が少なくなるのを待ってから一人でゆっくり入ります。」

 

 と答えたのです。

 

 ジェシカはあからさまに嫌な顔をしてチッと舌打ちして去っていきました。

 

 私もちょっと大人気(おとなげ)なかったかなとは思いましたけれど、ジェシカの自分本位な思いやりや優しさの押し付けには協力したくないなっていう思いが先に立ったんですよね。ジェシカのおかげでエンチダージから特別な許可を頂いたことは間違いないわけですけれど、私のような例(エンチダージから特別な許可をもらっているということ)もあるのだということをジェシカにも知って頂きたかったのです。

 

 滝には人の誤解を解くとか、人の多面性を知るとか、そういう役割があるように思います。そしてトラブルの相手と必ず滝で出会うようになっているのは、その人を一面的に捉えるのではなく、その出会いからもう一歩先へ踏み込んで何かを学びなさいというエンチダージの計らいではないかと思うのです。

 

 これは私が最近口を酸っぱくして言っている「天と地と人と」というカーサでのヒーリングの原則に沿ったものであり、ここで出会う人は皆お互いに学び合うための重要な役割を担うものなのだということです。

 

 思えば3年前、私が心理学を勉強するきっかけとなったのが、この滝で出会ったある巡礼者の発する「パラノイア」という言葉を聞いたことでした。そしてその後、他者との出会いから何も学ぼうとしなかった赤松瞳氏はこの滝へ来る途中で命を落としたのです。

 

 こうした3年前の一連の出来事は、カーサの滝というものが何なのかについて、非常に示唆的だったんだなぁーと思います。

 

(続く)