はじめまして。
ブログのお手伝いをすることになりました、しょうこと申します音譜

まずは自己紹介から。

10月に夫、1才の子供と尾道に引越してきました。
東京からの避難です。

といっても、東京に住んでいたのは夫だけでそれも昨年12月に関西から転勤したばかり、私と子供は追いかけて引っ越そうとしたときに地震、原発事故で結局行けずでした。

関西からいつ東京に行けるか、最初は希望的観測で様子を見てたんですが、調べれば調べるほど事故の深刻さや汚染の酷さが明らかになり、これから歩きだす幼子を連れては行けないと思い6月の終わりごろに夫婦で話し合って移住を決断しました。

最低関西、出来ればより西に、と希望していた夫の転職先も幸い決まり引越して今に至ります。

関西出身の私と夫にとっては、とくに関西をはじめて出た私にとっては尾道での暮らしはドキドキかおでしたが、2ヶ月たって少し慣れてきました。

11月に入ってはじめて長江のおうちを訪ね、ゆうこさん、ミユキさん他避難されている方々と出会い放射能のことについて話ができて安心しました。

関西では、私の周りでは意識の高い人は少なかったです。

移住に関しても、反対こそされなかったけど、ほとんどの人がそこまでするんか・・・という感じでした。

高濃度汚染地から離れたとはいえ、これからは一生、何世代先まで?放射能汚染と暮らしていくわけだから、
私なりにしていること、移住者からみた尾道での暮らしなどお伝えできたらなぁと思います。

よろしくお願いしますニコニコ

しょうこ
なかなかブログを書く時間が取れないですが……
今のことと、これまでのことを、並行して少しずつ書いていこうと思いますグッド!



以前の日記に少し書きかけた、
他の避難者と出会うきっかけとなった、最初の日のことです。


実は、
福島原発に関心のある方なら一度は名前を見たことがあるだろう、
小出裕章京都大学原子炉実験所助教授の講演会が、なんと尾道で開催されたんです。

たまたまそれを知った私は、
講演会実行委員長であるオバサマOさんに電話でチケット購入申し込みをしました。

そのときに、埼玉から避難している自分の現状を伝えることとなりました。

……こういった経緯でつながった人の多いこと。
チケット購入の電話でそこまで話を引き出し、次につなげることができるとは……Oさんには本当に感謝ですキラキラ
思えば、ひなの会の影の創設者ですね。


そして後日、そのOさんからお電話があり、
「信恵さんという男性が、関東からの避難者とつながっていて、
 交流会をするということなんだけど、来れませんか?」
とのお話。

私は、
たまたまネットからつながった、東京から避難している友人と一緒に、
その交流会へ参加しました。


『交流会』といっても、会場はゆうこさん宅。
ここへ、避難者数名、尾道地元ママ数名、新聞社の方、のぶえさん、と、
たくさんの人が集まったのですが、
一体どういう形でやるのやら……実は、私もゆうこさんもよくわからないまま、会はスタートしました(笑)


でも、
みんなすぐに打ち解け、話題は尽きることなかったです。
これは、現在の定期交流会『長江のおうち』でもそうなんですが、
やはり、同じことを気にして同じ行動を取ろうという人達ですから、
初対面でもすぐに気が合ったり、共通点を見つけたりするんですよねラブラブ



それまで、ゆうこさんは、
娘さんと2人でひっそりと生活していけばいいと、思っていたそうです。

でもこの日、
同じ境遇のみんなでいろいろな話をし、
放射能のことを気兼ねなく話し、
それは、予想以上に気持ちが晴れ、楽しい時間だったそうです。

これは、今でも痛切に感じていることです。
物質的支援より何より、
避難者・避難希望者の気持ちに寄り添うこと、
同じ境遇の人同士で交流すること、
これはとても大事だと感じています。


その後、ゆうこさんは、
毎週みんなが集まれるよう、自宅を開放してくれることになりました家

これが後に、
『長江のおうち』と名付けられます。

長江のおうちブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/nagaenoouchi



一方、私は。


その日集まった避難者は、関東女性5名+子どもたち。
実は、尾道が出身・実家という人は、私だけでした。
それは私にとって、衝撃的でした。

出身であり実家のある町へ長期避難するのでさえ、
悩みぬいて、いろんなものを捨てて、実行した私です。
みんなの苦労はいかばかりだろう。

まずは、私が動かねば。


そして、mixiにコミュニティを立ち上げましたダウン
尾道(広島県)へ疎開・避難
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5713885


mixiをやっている方は、ぜひ覗いてみてください。
これまでの経緯が、すべて詰まっています。
尾道の方も、避難希望の方も、たくさん参加してくださっていますラブラブ

mixi未経験の方は、
mixiトップページから登録すれば見れますので、
良かったらこの機会に始めてみてください音譜



……以上が、7月後半に起こった、
ヒヨコひなの会ヒヨコの始まりでした。

『ひなの会』という名前が決定するのは、
その後、10月の出来事です。



考えてみれば、まだ4ヶ月しか経ってないんだなぁ汗

濃い時間だった。

そして、その間に本当にたくさんの方と知り合えました。
原発事故が無かったら、出会わなかっただろう人達。

私にとって、かけがえのない宝物です。



黄色い花ミユキ黄色い花
木曜日の祭日、
ベッチャー祭に行ってきましたキラキラ

$ひなの会-ベッチャー1

$ひなの会-ベッチャー2


東京で一人暮らし、埼玉で結婚生活を送っていた私は、
ベッチャーなんて何十年ぶり?

尾道は、お祭りが多いそうです。
私は尾道で育ったので、そんなものだと思ってましたが、
確かに、夏には小さくてよく知らないようなものからたくさんお祭りがあって、
こんな秋にも大きなお祭りがある地域は、あまり無いのかもしれませんね。


ベッチャーに頭を小突かれると、
健康に過ごせるんですグッド!

ということで親はみな、
自分の子どもの頭を差し出します。
そして、頭を叩かれた子どもは泣く。
これが、ベッチャーの定番風景です(笑)

そのベッチャーはダウンコチラ

$ひなの会-ベッチャー3

わかります?汗
赤い服が、赤い顔のベッチャーで、
もう1人は、白い顔のベッチャー。
あと1人いるはずだけど、遭遇できず。

頭を叩かれたい人がベッチャーの周りに殺到するので、
これでも、ここまで近距離写真が撮れたことに感動した私でした(笑)


意外に、本通りに店がたくさん出ていて、
綿菓子を食べた息子は大満足でした音譜

せっかくの避難生活、
それはそれで、楽しみもありますよねチョキ


黄色い花ミユキ黄色い花