なかなかブログを書く時間が取れないですが……
今のことと、これまでのことを、並行して少しずつ書いていこうと思います
以前の日記に少し書きかけた、
他の避難者と出会うきっかけとなった、最初の日のことです。
実は、
福島原発に関心のある方なら一度は名前を見たことがあるだろう、
小出裕章京都大学原子炉実験所助教授の講演会が、なんと尾道で開催されたんです。
たまたまそれを知った私は、
講演会実行委員長であるオバサマOさんに電話でチケット購入申し込みをしました。
そのときに、埼玉から避難している自分の現状を伝えることとなりました。
……こういった経緯でつながった人の多いこと。
チケット購入の電話でそこまで話を引き出し、次につなげることができるとは……Oさんには本当に感謝です
思えば、ひなの会の影の創設者ですね。
そして後日、そのOさんからお電話があり、
「信恵さんという男性が、関東からの避難者とつながっていて、
交流会をするということなんだけど、来れませんか?」
とのお話。
私は、
たまたまネットからつながった、東京から避難している友人と一緒に、
その交流会へ参加しました。
『交流会』といっても、会場はゆうこさん宅。
ここへ、避難者数名、尾道地元ママ数名、新聞社の方、のぶえさん、と、
たくさんの人が集まったのですが、
一体どういう形でやるのやら……実は、私もゆうこさんもよくわからないまま、会はスタートしました(笑)
でも、
みんなすぐに打ち解け、話題は尽きることなかったです。
これは、現在の定期交流会『長江のおうち』でもそうなんですが、
やはり、同じことを気にして同じ行動を取ろうという人達ですから、
初対面でもすぐに気が合ったり、共通点を見つけたりするんですよね
それまで、ゆうこさんは、
娘さんと2人でひっそりと生活していけばいいと、思っていたそうです。
でもこの日、
同じ境遇のみんなでいろいろな話をし、
放射能のことを気兼ねなく話し、
それは、予想以上に気持ちが晴れ、楽しい時間だったそうです。
これは、今でも痛切に感じていることです。
物質的支援より何より、
避難者・避難希望者の気持ちに寄り添うこと、
同じ境遇の人同士で交流すること、
これはとても大事だと感じています。
その後、ゆうこさんは、
毎週みんなが集まれるよう、自宅を開放してくれることになりました
これが後に、
『長江のおうち』と名付けられます。
長江のおうちブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/nagaenoouchi
一方、私は。
その日集まった避難者は、関東女性5名+子どもたち。
実は、尾道が出身・実家という人は、私だけでした。
それは私にとって、衝撃的でした。
出身であり実家のある町へ長期避難するのでさえ、
悩みぬいて、いろんなものを捨てて、実行した私です。
みんなの苦労はいかばかりだろう。
まずは、私が動かねば。
そして、mixiにコミュニティを立ち上げました
「尾道(広島県)へ疎開・避難」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5713885
mixiをやっている方は、ぜひ覗いてみてください。
これまでの経緯が、すべて詰まっています。
尾道の方も、避難希望の方も、たくさん参加してくださっています
mixi未経験の方は、
mixiトップページから登録すれば見れますので、
良かったらこの機会に始めてみてください
……以上が、7月後半に起こった、
ひなの会
の始まりでした。
『ひなの会』という名前が決定するのは、
その後、10月の出来事です。
考えてみれば、まだ4ヶ月しか経ってないんだなぁ
濃い時間だった。
そして、その間に本当にたくさんの方と知り合えました。
原発事故が無かったら、出会わなかっただろう人達。
私にとって、かけがえのない宝物です。
ミユキ
今のことと、これまでのことを、並行して少しずつ書いていこうと思います

以前の日記に少し書きかけた、
他の避難者と出会うきっかけとなった、最初の日のことです。
実は、
福島原発に関心のある方なら一度は名前を見たことがあるだろう、
小出裕章京都大学原子炉実験所助教授の講演会が、なんと尾道で開催されたんです。
たまたまそれを知った私は、
講演会実行委員長であるオバサマOさんに電話でチケット購入申し込みをしました。
そのときに、埼玉から避難している自分の現状を伝えることとなりました。
……こういった経緯でつながった人の多いこと。
チケット購入の電話でそこまで話を引き出し、次につなげることができるとは……Oさんには本当に感謝です

思えば、ひなの会の影の創設者ですね。
そして後日、そのOさんからお電話があり、
「信恵さんという男性が、関東からの避難者とつながっていて、
交流会をするということなんだけど、来れませんか?」
とのお話。
私は、
たまたまネットからつながった、東京から避難している友人と一緒に、
その交流会へ参加しました。
『交流会』といっても、会場はゆうこさん宅。
ここへ、避難者数名、尾道地元ママ数名、新聞社の方、のぶえさん、と、
たくさんの人が集まったのですが、
一体どういう形でやるのやら……実は、私もゆうこさんもよくわからないまま、会はスタートしました(笑)
でも、
みんなすぐに打ち解け、話題は尽きることなかったです。
これは、現在の定期交流会『長江のおうち』でもそうなんですが、
やはり、同じことを気にして同じ行動を取ろうという人達ですから、
初対面でもすぐに気が合ったり、共通点を見つけたりするんですよね

それまで、ゆうこさんは、
娘さんと2人でひっそりと生活していけばいいと、思っていたそうです。
でもこの日、
同じ境遇のみんなでいろいろな話をし、
放射能のことを気兼ねなく話し、
それは、予想以上に気持ちが晴れ、楽しい時間だったそうです。
これは、今でも痛切に感じていることです。
物質的支援より何より、
避難者・避難希望者の気持ちに寄り添うこと、
同じ境遇の人同士で交流すること、
これはとても大事だと感じています。
その後、ゆうこさんは、
毎週みんなが集まれるよう、自宅を開放してくれることになりました

これが後に、
『長江のおうち』と名付けられます。
長江のおうちブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/nagaenoouchi
一方、私は。
その日集まった避難者は、関東女性5名+子どもたち。
実は、尾道が出身・実家という人は、私だけでした。
それは私にとって、衝撃的でした。
出身であり実家のある町へ長期避難するのでさえ、
悩みぬいて、いろんなものを捨てて、実行した私です。
みんなの苦労はいかばかりだろう。
まずは、私が動かねば。
そして、mixiにコミュニティを立ち上げました

「尾道(広島県)へ疎開・避難」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5713885
mixiをやっている方は、ぜひ覗いてみてください。
これまでの経緯が、すべて詰まっています。
尾道の方も、避難希望の方も、たくさん参加してくださっています

mixi未経験の方は、
mixiトップページから登録すれば見れますので、
良かったらこの機会に始めてみてください

……以上が、7月後半に起こった、


『ひなの会』という名前が決定するのは、
その後、10月の出来事です。
考えてみれば、まだ4ヶ月しか経ってないんだなぁ

濃い時間だった。
そして、その間に本当にたくさんの方と知り合えました。
原発事故が無かったら、出会わなかっただろう人達。
私にとって、かけがえのない宝物です。

