昨夜(3/17)放送されたNHKスペシャル「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国と卑弥呼の謎」。
邪馬台国関連をテーマにしたNHKの過去の番組から考えて多分近畿説が中心になるだろうとは予想してたけど、それにしても『三国志 魏志倭人伝』の記述をここまで無視するのかぁっ・・て感じ
番組終了後、勉強会の参加者から「生野先生が生きておられたら激怒ですね」ってメールが届きました。「全く同感です」
「倭人伝」には卑弥呼はほとんど人と会わず弟が補助していたと書かれているのに、シシドカフカさん演じる「卑弥呼」は会議(?)にも出席して論破する人物になっている
また、同時代にまちがいなく存在していた銅鐸については全く言及がなく、卑弥呼側の勢力から叩き壊されるシーンだけ(考古学者は銅鐸に冷たい
)
申し訳のように紹介された九州説のよりどころとしてか、最近新たな発掘調査で賑わっている吉野ケ里遺跡が紹介されたが、弥生時代前期(倭国大乱前から卑弥呼共立の頃まで)の王墓密集地である福岡県糸島周辺は全く無視
一番驚いたのは「狗奴国」のイメージ。近畿説にとって卑弥呼が敵対した「狗奴国」が近畿以東にあったとしたい気持ちはわかるけど、いきなり番組では「狗奴国」の位置を愛知県や福島県あたりを想定したような「前方後方墳」を紹介していた。しかも卑弥呼勢力圏と狗奴国の争乱の原因が気候変動による食糧事情によるものとか・・・そんなこと「倭人伝」にも他の中国史料には記載されていませんけど
邪馬台国にしても狗奴国にしても近畿や東日本地域にあったのなら、なぜ「倭人伝」にはそこまでの行程が記述されていないのか不明!
そもそも、「邪馬台国」も「卑弥呼」も日本の文献資料や考古学的出土品の中にも現時点ではその文字はなく、唯一、『三国志』や『後漢書』などのいくつかの中国の正史にしか記録されていない!
つまり、邪馬台国や卑弥呼を研究するスタート地点は『三国志 魏志倭人伝』の解読にあるはず。
このブログで生野先生が指摘されてきたことを何度も紹介していますが、わが国の古代史研究には重要な事なので、以下項目だけでも書きます。
1「倭人伝」は「伝」です。「条」ではありません。
著者の陳寿自身が「倭人伝(傳)」と書いています。因みに「東夷伝」は陳寿が読者のために「ここから東夷の国々の伝(傳)を書きますよ」って、付けた索引のようなものです。「東夷」なんて国はなく、ましてその国々がありもしない「東夷」なんて国の属国だったわけではありません。
こういった中国正史の編纂ルールに無頓着な解釈が、『日本紀』を「日本書紀」なんて誤った書名のまま現代まで残している一因だと思う。因みに中国史料の書名には編纂様式が明示されるので「書:紀伝体」と「紀:編年体」が一つの本の署名として合体して付けられることはありません。
2「倭人伝」には卑弥呼は「倭王」と記載されていて「邪馬台国女王」とは書かれていません。魏の明帝から下賜された印は「親魏倭王」です。
ひょっとして卑弥呼が倭王(やまとのおおきみ)に共立される前に「邪馬台国女王」の立場にいた可能性までは否定しませんが、残念ながら確認不可。
3「倭人伝」には、卑弥呼が倭王(やまとのおおきみ)に共立される以前(「世王有」※「世」は過去の意味)には周辺国にそれぞれ「王」がいたとし、共立後には各国ごとに官名が書かれていて倭王卑弥呼が統治する「倭国」が中央集権国家であることがわかります。あえて「邪馬台国連合」と言うのなら卑弥呼が倭王(やまとのおおきみ)に共立される前の30か国の状況です。
「狗奴国」だけは卑弥呼共立以前からその「邪馬台国連合(?)」とは対立していて男王が存在していたと書かれている。
4 番組では倭国の使者が魏の役人と通訳を介せず直接交渉していた場面が描かれていましたが、これは重大な誤りです。ドラマの構成上不要と思われたのなら、「倭人伝」の重要な示唆を見逃しています。
「倭人伝」によると列島には昔百余国の国があって当時の漢に朝貢していた国もあったが、今(三国時代)魏に通訳を介して朝貢してくるのは30か国だけだと記述されている。
つまり、倭王(やまとのおおきみ)卑弥呼の時代(3世紀前半)となる前からわが国には百余国の国があったが、「倭人伝」っていうか陳寿は朝貢してきた卑弥呼が統治する周辺国しか記述していない。朝貢してこないその他(70か国)については記録していない!
唯一、その存在と実年代らしきものが分かるのは、57年に後漢の光武帝から下賜された金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」に記された「奴国」だけです。
あぁ、疲れた
以前から近畿説が「邪馬台国」に異様なまでに拘るのが不思議だった。卑弥呼と同時代いやその前から列島各地にはそれぞれ勢力圏が存在したことは分かっている。
なぜ「銅鐸勢力圏」や「奴国」など考古学的出土品から存在が明らかなものを研究しないんだろう?
「邪馬台国」だけに固執すればわが国の古代史の史実は見えてこないんじゃないかと悲しい気分になります