奴国王家の存在証明:平成30年12月勉強会② | 生野眞好の日本古代史研究会記録

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在野の古代史研究家 生野眞好(しょうのまさよし)先生の勉強会や月刊誌フォーネットに連載中の記事の概要などを紹介しています。
「魏志倭人伝」や「記紀」などの文献史料を中心に邪馬台国の位置、ヤマト王朝と先興の奴国王家との攻防(宗教対立)と共存などの検証です。

12月勉強会概要の続き②です!
  
<物部氏に関する疑問>
 1 なぜ、物部は神武の近畿東征に従軍していないのか?
 2 なぜ、「物部」なのか?
 3 なぜ、古代において物部氏の総本社である石上神宮が、伊勢神宮と同じ「神宮」なのか?
 
 この3点の疑問から見えてきた物部氏の正体は、
 ①物部の宗家は、ヤマト王朝に先興する奴国王家であり、卑弥呼・臺与の頃から銅鐸祭祀の奴国本家とは別に鏡を祭祀とするヤマト側につく一派がいた。
 ②「奴国王家」は「大物」であり、その御名代が「物」だった。
 (同じでも「部曲」ではなく、王家直属の「御名代部」)

・・・と、ここまでが10月の勉強会をもとにした前回(12/24)の概要でした(やれやれ笑い泣き
 
ヤマト王家と奴国家の系譜
 記紀は、「物部」の遠祖を「饒速日命」とし、神武と同じ天孫と書いているが、その出自や系譜については何も示していない!
 しかし、9世紀になって「物部」氏によって編纂された可能性が高い「先代旧事本紀」と「記紀」の記事を比較すると、「饒速日命」と「瓊瓊杵尊」が「忍穂耳尊」を父とする兄弟だったことがわかる。
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 つまり、神武は伯父である最後の奴国王だった饒速日命(大物主」をやっつけて即位し、ヤマト王朝を樹立!

<奴国王家の存在証明>
 ◆前方後円墳の変化
いわゆる前方後円墳「鏡鐸共生墳」って名前にしたい!の形の変化をみると、神武が全国平定した頃(4世紀初頭)は、円形の部分(鏡)が大きく方墳(鐸)に被さり鐸の舌が作られている。例:箸墓古墳

 しかし、4世紀中葉以降、ヤマトと奴国の両家が一体化した頃から円(鏡)と方(鐸)の大きさのバランスが取れ(円=鏡が小さくなった)、舌に代って鐸の耳の部分で(造り出し)が見えてきた。例:大仙陵古墳
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 ※おまけ!
  西日本新聞3月13日夕刊の記事(象徴考❸陵に吹く風)によると、現在神武天皇陵に比定されている陵は「円墳」で、その比定はそこに「神武田(じぶでん)」という地名があることで、明治初期に孝明天皇の助言によって決まったらしい。
⇒この記事の内容が正しいとすると・・・
 勝者のヤマト王家(神武・綏靖のころまで)の墓は、「鏡」だけを象った「円墳」で、敗者の奴国王家の墓には、鏡(円墳)を鐸(方墳)にかぶせたような形「ヤマト(鏡)+ネコ(鐸)」の形(前方後円墳)にさせたのではないか!!
って、先生の新しい視点発見キョロキョロ!?


◆魏志倭人伝の中の奴国
 「倭人伝」には、卑弥呼が統治した30か国の中に「奴国」が2か国あったと書いている。
 二つ目の「奴国」は出雲国ことで、新興のヤマトから糸島平野の国都「葦原中国」を追われた「大己貴命(大国主)」が「少名彦那神」と共に新たな国造り(銅鐸祭祀圏の再構築)を始めたものと推察される。 
 また、この「奴国」は、倭人伝の30番目に登場し、「女王の境界の尽きる所」と書かれている。
 稗田阿礼がその境界を古事記の神話で「黄泉の国との境界」とし、「出雲の黄泉比良坂」と示唆している。
 それは、その東に在った「奴国」の存在を暗示したもので「大和王朝万世一系」に書き換える中でも、史実を後世に伝えようとする姿が見える。

◆「倭種」の「種」とは?
 「倭人伝」は、
 ①旧百余国、今使訳通じる所「三十国」。
 ②女王国の東、海を渡ること千余里、復国有り。皆倭種
という記載がある。
 ①の表現は、「使訳の通じない国が70国あることを示唆している。
 ②の「皆倭種」は、同族の別国(奴国)があることを示唆しているのではないか?
 では、「種」とは何か?
 三国志の「韓伝」は、「韓」には馬韓・辰韓・弁韓の三有り、と記載している。なぜ、この三韓を「三国」と書かず、「三種」と書いているのか?
 その理由が解るようなエピソードが同じ「韓伝」の記事にある。
 本来「種」だったものを「国」と誤訳して、帯方郡と楽浪郡が争った結果「韓」が滅びる羽目になった。同族を意味する「種」であれば問題なかったことが、独立した「国」と判断されたことによるものでる。

 つまり、倭人伝において「皆倭種」と書かれていることは、もと百余国あって、今は卑弥呼の30か国と、外交の無い70か国に分かれているけどこの二つは同族の「倭」だと示唆していると考えられる。

 勉強会では、なぜ、「和」を「ナ」と訓むのか?「倭」の漢字表記を絡めての考察について紹介がありましが、続きはまた後日!