生野眞好の日本古代史研究会記録

生野眞好の日本古代史研究会記録

在野の古代史研究家 生野眞好(しょうのまさよし)先生の勉強会や月刊誌フォーネットに連載中の記事の概要などを紹介しています。
「魏志倭人伝」や「記紀」などの文献史料を中心に邪馬台国の位置、ヤマト王朝と先興の奴国王家との攻防(宗教対立)と共存などの検証です。

     <生野眞好先生の著書ご案内>

①「倭人伝を読む」 海鳥社 1999年5月10日発行
②「陳寿が記した邪馬台国」 海鳥社 2001年7月25日発行
③「魏志倭人伝解読」 愛育社 2007年12月5日発行
④「日本国成立の日」 スペースキューブ 2015年2月1日発行
⑤「神武天皇 その実在性と実年代の証明」 スペースキューブ 2017年8月15日発行
⑥「倭の女王 卑弥呼」櫂歌書房 2019年11月15日発行

⑦「聖徳太子の謎を解明する」(電子書籍) フォーNET社 2023年10月4日発行
  http://www.amazon.co.jp/dp/BOCKC85YGB

⑧「神功皇后の実在性と実年代」(電子書籍) フォーNET社 2023年10月6日発行
  http://www.amazon.co.jp/dp/BOCKJ7GGZB

⑨「前方後円墳の起源と歴史的意義 前編」(電子書籍) フォーNET社 2023年10月6日発行
  http://www.amazon.co.jp/dp/BOCKJ8R5WF

⑩「前方後円墳の起源と歴史的意義 後編」(電子書籍) フォーNET社 2023年10月6日発行
   http://www.amazon.co.jp/dp/BOCKJCCW5L

電子書籍のリンク先を記載しましたが、画面移動できませんm(_ _)m
「独り言」の2024年3月9日書き込み記事に記載しているリンク先をご参照ください。








 YouTubeやネット記事のコメントを見ていると、『三国志』東夷伝の「倭人伝」そのものを「文献に値しない」とか、「陳寿の創作した偽書」みたいに捉えている人も多いことに驚くガーン

 生野先生の著書『倭の女王 卑弥呼』の「はじめに」のなかで陳寿や「東夷伝」に関する考察内容が紹介してあります。(以下、概要)

 陳寿は当時の中国有識者から高く評価された人物で、その高い評価の一つが余計な説明がほとんど無い「簡潔な文章力」であった。

 つまり、『三国志』が当時の有識者間で共有していた共通認識やルール・法則の則って書かれているという事を意味している。

 『三国志』の簡潔さについて、陳寿没後137年目の元嘉六年(429年)に南宋の文帝があまりに簡潔すぎる点を裴松之に補わせた注釈本(百納本)が成立している。

 その注釈における裴松之の姿勢は現在でも高く評価されているが、元朝の1317年に成立した『文献通行(巻191)』によればその注釈の字数は陳寿の本文の数倍にも及ぶという。

 ところが、「東夷伝」に限ると陳寿の本文字数「6469字」に対して裴注(裴松之の注釈)の字数は「948字」でその比率は約14.7%となる。『三国志』全体の裴注が陳寿の数倍に及ぶの対して少ない比率は何を意味しているのか?

 ポイント!

 ①中国正史において「東夷伝」は初めて立てられた外国伝である。

 ②後漢時代頃まで朝鮮半島の大部分は漢王朝の領土であり、その中の諸民族は漢王朝統治下の異民族的な扱いだった。

 ③しかし、後漢末からそれらの諸民族が自立を始めた。(5か国)

 ④さらに、それに加えて三国魏朝がそれまで未知未踏の国だった挹婁国や列島の倭国へも初めて到達した!つまり、ここに初めて正史の『三国志』に外国伝としての「東夷七か国伝」が建てられることになった。

 ⑤その結果、「東夷伝」は5世紀の裴松之の注釈をほとんど必要としないほど陳寿によって詳細に書かれた。

 

 ここで注目が、「倭人伝」。

 「倭人伝」の全字数1984字に対して裴注の字数はわずか56字でその比率は6%しかない。

 しかも、その注釈は「倭人伝」に書かれた「邪馬台国までの行路記事」の中には全く無い!

 つまり、裴松之が「倭人伝」の行路記事に注釈を施さないでも当時の中国人有識者らの誰もが同じ方法で「倭人伝」読み、同一の理解のもと「邪馬台国の位置」を認識していたと考えられる!

 「倭人伝」は信用できます!

・・・・行路の途中、迷子になっているのは現代人が当時のルールを無視して「邪馬台国探し」をしているんですねぇチーン

 「東夷伝」にある3つの行路記述法国境記述式(地名→方向→距離)、直線式記述法(方向→距離→地名)、放射線式記述法(方向→地名→距離)」のルールに気が付けば、現代人の私たちも迷子にならず邪馬台国に辿り着けます!

 「ゆっくり解説(邪馬台国)」の中に「持衰(生野先生は「ちすい」と読んでありました)が朝貢の使者に同行して乗船していたとの解説を見ました。

 フォーネット2021年11月号に生野先生の「持衰」に関する考察内容が出ています。以前このブログの「フォーネット」でも2回に分けて記事の概要を紹介していますのでよかったら参照してください。

 フォーネット2021年11月号①:消された奇習「持衰」

 フォーネット2021年11月号②:「持衰」を担った氏族

 とりあえず、今回は自分の復習をかねて少しまとめてみました。

 1.「持衰」は朝貢使者には同行(乗船)していない。

  その根拠仮に渡航や帰国中に遭難した場合、その時点で使者らと運命(遭難死)を共にするはずで、また、渡航先で暴害に遭った場合も、持衰だけがわざわざ処刑の罰を受けるために帰還し復命(結果報告)するとは考えられない。

 2.「持衰」は、平民や奴婢ではなく有力氏族の長だった。

  その根拠→「使者が遭難したり任務が果たせなった場合の罰として「持衰」は殺されるわけだが、身分の低い奴婢などを殺しても社会的影響や効果はなく無意味。

  その根拠成功報酬に貰う「生口」とは奴婢ではなく、農民や職人などの「生民(平民)」だったと思われる。(領地民として活用できる人材?)

  その根拠③→「持衰」はそもそも「倭王」の身代わりの役目をもっていた。もし、朝貢が失敗すればそれは倭王の力の衰えと見なされ倭王は交代(暗殺?)させられるハメになる。倭王交代のコスト(後継者決定に伴う混乱など)を解消するために考え出された「責任回避システム」が「持衰」であると考えると、それなりの身分、権力者だったはず。

 3.「持衰」は、旧奴国王家の王族・氏族であった宗像氏や水間氏だった。

  その根拠『日本紀』の応神紀と雄略紀の記述は、使者が無事帰還する途中、筑紫の宗像氏と水間氏の所に立ち寄り、中国からの下賜品の一部や職女(兄媛)を分け与えたと書かれている。

 

 ちょっとだけまとめてみようと思ったのですが、長い滝汗

 ぜひ、フォーネット2021年11月号①『「消された奇習「持衰」』と、11月号②『「持衰」を担った氏族』を読んでみてくださいm(_ _)m

 

 今夜(9/2)放送された「Qさま」は47都道府県の有名人ランキングでした。

 驚いたことに奈良県の有名人に卑弥呼がランク入りポーン

 まぁ、1位の聖徳太子は納得ですが、卑弥呼に関するヒントを地元の人が「学校で先生が○○だとアピールしてた」とか「中学校のすぐ隣に古墳がある」とかコメントしていた。古墳はともかく学校の授業で卑弥呼を奈良県と決めつけるような雰囲気があるんだろうかと、一瞬モヤッとした気分になった。

 さすがにその後のランキング表の画面には「他の出身地説もあり」みたいな注釈がでていたけど・・・チーン

 因みに福岡県のランキング1位は黒田官兵衛、2位黒田長政・・・卑弥呼は出てきませんでしたショボーン

 

 

 

 

 YouTubeの「ゆっくり解説(邪馬台国)」で紹介されていた関川尚功さんの著書『考古学から見た邪馬台国大和説~畿内ではありえぬ邪馬台国』を読了!

 邪馬台国=近畿説が根強い考古学界にあってここまで詳細に考古学的証拠を積み上げて「邪馬台国は畿内ではありえない」と断定した著者に拍手喝采👏アップクラッカー

 邪馬台国に関する私の考古学的な関心は「古墳の形状や大きさ」、「銅鏡と銅鐸」くらいに限られていて「甕や壺」の研究からこんなに詳細な年代や地勢、交流実態が考察出来るなんて、感服しきりびっくり

 欲を言えば「銅鐸」に関しての考察も知りたいところ・・銅鐸を研究すれば銅鏡との相違点、つまり祭器を祀る為政者の姿に気が付くし、「奴国」と「ヤマト」の宗教対立の証拠も見えてくるはずだと思う。

 纒向遺跡と箸墓古墳の関しての考察は生野先生の勉強会資料や著書を読んでいるような錯覚に落ちる。

 著者の関川さんは、「魏志」に「邪馬台国7万余戸」と記述されている点を九州説の難点と指摘されている。

 しかし、それは「伊都国」を現在の糸島市全体と解釈しているせいで、「伊都国」は現在の糸島半島(旧志摩郡:黄色の部分)であり、その南、糸島平野(旧怡土郡:緑色の部分)に倭国の首都「邪馬台国」があったことを理解できれば問題ない。

 生野先生の著書『倭の女王 卑弥呼』のなかに、糸島半島(志摩郡)と糸島平野(怡土郡)の地力の差について、江戸時代の貝原益軒が書いた『筑前国続風土記』の記述に怡土郡は良田が多く筑前国の第一と評価されているとの説明があります。

 

・・・・と、まぁ考古学的が科学的に畿内説を否定したわけだし、あとは文献史学も生野先生が科学的に考察された「三国志東夷伝」に用いられている3種類の行路記述法(直線式・放射線式・国境記述式)が理解されるといいのだけど・・・

 

 

 

 ネットで『ゆっくり解説』という邪馬台国をテーマにしたYouTubeを発見びっくりびっくりマーク

 面白くて立て続けに10本2時間以上も視聴してしまったてへぺろ

 関川尚功氏の本を基本に、邪馬台国=糸島半島説を多角的に説明している。登場人物のアニメの少女3人(霧雨魔理沙・博麗霊夢・魂魄妖夢)がテンポよく説明やツッコミをしていて、地図だけでは単調でわかりにくい内容をうまく紹介してくれる。しかも、アニメ風のちょっと年配者には聞き取りにくい声(セリフ)がすべて字幕で表示されるのでありがたいニコニコグッド!

 同じ「邪馬台国=糸島」説でも細かな部分では生野先生のアプローチとは違っていて、ついつい先生の考察を口走ってしまうけど、全体としてお薦めの動画です!

 この動画の「うぷ様」が生野先生の著書を一読してくれたら、また興味深い視点で邪馬台国論が広がると思う・・・陳寿が東夷伝の行路記述を3つの記述法(直線式・放射線式・国境記述式)で書き分けている事とか、弥生の王墓が糸島に集中していることなんかもっと深堀してくれたら面白いけど・・・