週刊 姫路モノレール -352ページ目

軍艦アパート


どうもです。


思い返せばものすごく久しぶりの増刊号です。

今号は姫路モノレール跡とも、そして他の廃線モノレール跡からも

少し離れて違った事を書いてみます。

廃線モノレール跡のネタ切れ? まぁ、そんなとこです。

日本に残っているモノレール跡は少ないですから小出しにしないと。


では本題。


今回はいつもの 「高尾アパート」 ではなくて 「軍艦アパート」 です。

自分は少し知っているという程度なので、ここに詳しく書けませんが

検索してみると 「軍艦アパート」 単体で写真集も出版されているし

グーグルでの検索数を見ても姫路モノレールよりもずっと多いので

姫路モノレール跡よりは全国的に知られているかと思われます。


とりあえず 「軍艦アパート」 について簡単に書いてみます。

「軍艦アパート」 は昭和初期に建てられた大阪初の鉄筋公営住宅で

3階建ての建物が8棟集まり、部屋数は250以上あったそうです。


建物の特徴として 「軍艦アパート」 の名前の由来にもなったとされる

各部屋のかまど用煙突をまとめた共用の煙突と 「出屋 (でや)」 と

呼ばれる部屋を拡張するために勝手?に増築された所でしょうか。


太平洋戦争の空襲の被害がほとんどなかった 「軍艦アパート」 に

戦争で被災した人々が押し寄せたため、住人さんの苦肉の策として

建物から外へと張り出した 「出屋」 という形の増築がされたそうです。

空襲から残り、建物の煙突からモクモクと吐き出される炊事の煙から

「不沈艦」 とも言われ、いつしか 「軍艦アパート」 と呼ばれるように。


その 「軍艦アパート」 は大阪市浪速区下寺町、わかりやすく書けば

大阪の電気街、「日本橋 でんでんタウン」 のすぐ東側にありました。

「ありました。」 と過去形で書いたのは、実は今はもうないからです。

アパートの解体のため、2006年2月末まで住んでいた住人さんらも

全員が出て行き、その翌月3月から解体工事が始まったようでした。


てなわけで今回の写真は 解体前の 「軍艦アパート」 。

撮影日はちょうど4年前の 2006年 10月15日。


週刊 姫路モノレール

外周はバリケードで囲まれ、1階の窓と出入り口は板を打ち付けられ

塞がれてはいましたが、本格的な解体はまだでした。


週刊 姫路モノレール

この建物から出っ張っているのが 「出屋」 と呼ばれている増築。


週刊 姫路モノレール

建物の周りはバリケードと防護壁でほとんど見えませんでしたが

ここから少し内部が覗けました。


週刊 姫路モノレール

1階には店舗もあったり


週刊 姫路モノレール

すぐ横には高層マンションが。


ブログに書いた自分も2006年に見たアパート解体のニュースで

初めて 「軍艦アパート」 の事を知って、そして初撮影に行ったのが

それから何ヵ月もたった 2006年 10月15日。

次に (何月?) 見に行くと高い防護壁に囲まれて一切中は見えず

その次に行った時は更地となっており、結局撮影したのは1回のみ。


それまでも日本橋の電気街には何度も行った事があったというのに

もっと早く 「軍艦アパート」 の存在を知っていればと悔やまれました。


それではまた。