週刊 姫路モノレール -172ページ目

いつか姫路モノレール跡がなくなる時


どうもです。


ここ最近はブログに書こうと思うようなネタがなく、ブログを見返してみれば

前ブログ を更新してから、もう1ヶ月が経とうとしていました。

これだけブログの更新期間が長く開いてしまうと、当ブログのアクセス数も

どんどん少なくなってくるのですが、時にはアクセス数が増えたりもします。


そんな時は、ツイッターやグーグル等で 「姫路モノレール」 と検索してみて

「○月○日の○○新聞に姫路モノレールが掲載されたのが原因か。」 とか

「○日にwebニュースで取り上げられたのか。」 とか、増加の原因を調べて

それがわかったりするのも、自分にとっては楽しみのひとつです。


グーグルで 「姫路モノレール」 と検索すると、「麗しの姫路モノレール 」 様

「手柄山交流ステーション」 の他にも、新聞に掲載されたwebニュースや

個人ブログでの単発廃線跡訪問記事に書かれたりとたくさんあります。


しかしながら、これが 「姫路モノレール専門」 となると、当ブログ以外には

上記の 「麗しの姫路モノレール」 様か、「モノレールのしおり」 様くらいしか

見当たらなく、それが姫路モノレールの不人気さの証だったりします。

あと確か、「mixi」 にもコミュニティがひとつだけあったのかな。


でも残念な事に、上記のおふたつのHPもここ数年は更新がないようです。

というか、「モノレールのしおり」 様は、10年前に自分が初めて見た時より

更新されておられるのかな?ほとんど変わりがないようにも見えます。

mixiのコミュニティも、2011年 「手柄山交流ステーション」 オープン時に

書き込みがあったきり、それ以降の書き込みはありません。


「麗しの姫路モノレール」 様の管理人さんは、「手柄山駅舎跡」 が改装され

「手柄山交流ステーション モノレール展示室」 が オープンした2011年

一時はHPの閉鎖も考えられて、その時のHPの閉鎖は見送られたものの

「今後姫路モノレールとは一旦距離をおく事にします。」 と話していましたし

言葉通りそれ以降、警告文以外 と2012年に1度更新されただけです。


とは言え更新されなくなっても、両HPとも姫路モノレールの歴史を紹介した

貴重なHPですから、この先もずっと残しておいてほしいものですね。


ところで、「姫路モノレールの歴史」 といえば、5月22日付けのブログ でも

簡単な年表にして書いた事がありましたが、姫路モノレールの歴史の長さ


「姫路モノレールの歴史は48年、計画から建造期間を入れれば半世紀。」


人によっては、「姫路モノレールの歴史なんて、1979年で終わってるよ。」

と考える人もおられるとは思いますが、姫路に姫路モノレール跡がある限り

姫路モノレールの歴史は、まだ続いているものだと自分は思っています。

「手柄山駅舎跡」 が 「手柄山交流ステーション」 へと改装されたといっても

姫路の街中には姫路モノレール跡が、距離にして半分以上残っています。


モノレール跡が撤去されていくのも、姫路モノレールの歴史と考えるならば

自分にとって姫路モノレールの歴史の終わりは、たとえば姫路の街中から

姫路モノレール跡のすべてが撤去されてなくなった時、でしょうか。

「高尾アパート」 の解体はもちろん、建物の上から突き出ている橋脚跡と

「船場川」 沿いに残っていますモノレール跡が跡形もなくなくなった時。


でも考えてみると、「手柄山駅舎跡」 だった 「手柄山交流ステーション」 は

モノレール展示室や水族館が閉館されない限り、これからも残りますよね。

それなら、いつ姫路モノレールの歴史に終わりがやってくるのでしょうか?


個人的な考えとして、「手柄山駅舎跡」 が交流ステーションへなった時点で

「手柄山駅舎跡」 の歴史は終わっているのかな、と自分は思っています。


2013年12月31日付けのブログ にて、それとなく書いた事もありましたが

今の 「手柄山交流ステーション」 は、「手柄山駅舎跡」 とまったくの別モノ。

なので、「手柄山交流ステーション」 がいつまであろうが関係なしかなと。


しかしながら、「手柄山駅舎跡 交流ステーション」 の開口部へと繋がります

通路下に切り株のようなモノレールの 橋脚跡が2本 残っているのです。

あれがなくならない限り、自分にとって姫路モノレールは終わらないのかも。


あの水族館通路下に切り株のように残っています橋脚跡がなくなる時こそ

「手柄山交流ステーション」 と水族館がなくなる時かもしれませんが…。


それではまた。