3.まえをむくちから
書類選考で不採用が続くとオバさんでも心折れかけるわけで(しっかり折れるわけではない)出来れば定年と言われる年頃まで転職・就職活動をしなくて良いように、って思っちゃう。正社員・契約社員だけを狙うより、派遣就業も視野にいれてストライクゾーンを広げたのは、10月に入ってからでした。からのつづきです。有休消化に忙しくなった8月と、10月の初めに10年来のママ友や、新卒入社同期の友人、違うママ友2人とランチをしました。どの友人たちとも日頃の身の回りのことや他愛のない話、昔の記憶を辿りつつ思い出話など、泣くほど笑いながらお互いの話をしました。10年来のママ友とランチした時期はまだまだ就活なんて先の話…というか、退職についてのモヤモヤがたっぷりあった時期。ほぼほぼ愚痴だったと思うけど、笑って受け応えてくれて、少しだけ次にやりたい仕事が見えた気がしました。同期の友人とランチをした日は、退職後1週間目だったので、ネットで探したり、自ら希望したネット申込が断られた頃。少し心が折れかけていたところでしたが、昔の彼女からは想像できないことにチャレンジしている姿をみて、終わったことや、もう戻れないことばかりに目を向けていた自分に気づかせてもらいました。ママ友2人と3人でランチをした日は、一人のママ友は営業職に就いたのがコロナ禍前で、ランチはそれ以来。会えなかった3年の間に離婚をし、2人の子供を養っていると話してくれました。離婚に至る話は都度聞いたことはあったけど、本当に離婚するとは思ってなかったので驚かされました。いつも穏やかに話してくれていたけど、彼女の心の奥までは知り得なかったなぁと思いつつ、今自分の足で立ち、働いている彼女はとても芯が強い、思慮深い人で輝いて見えました。もう一人のママ友はいつもと変わりなく、楽しく明るく、子供3人と旦那さんに愛されるお母さん(対旦那にのみ塩対応)。"変わりなく"っていうのも大切だなぁと思いました。(変わりなく見せてるだけかも知れないけど、それにしたって日々努力は計り知れないです。)友人たちと様々話していく中で、意識的にも無意識的にも私に向いている仕事は前職だけだったとそう思い込みたかったのかもしれないと気づきました。前職場では仕事を介して知り合った人たちだったので、そりゃあ仕事の話に比重はあるし、仕事場でしか顔を合わせないもんだから“この仕事、合ってるよね”的な事ばかり言われてました。そりゃそうだ。日常のほとんどの時間を一緒に過ごす同僚とはいえ、私は仕事場の顔しか見せていなかったのだろうと思います。新卒の頃からの知り合いは結婚前、出産前の私を知ってるし、ママ友は仕事を始める前の私を知る。職場で知り合った人は職場での私を見てくれていた。その全てをひっくるめて私、なのだけれど、今までの自分を全部連れて新しい仕事を探すのは難しいのではないかと思えてきたりもして。自分のやれる仕事、自分のやりたい仕事、自分に向いてる仕事。どれにも合致する仕事に巡り会うのは相当難しい。それに加えて、採用する企業側の事を思うと、私が採用したくなるような魅力を持つ人であることも必要で。でも、これから先その仕事に就いて、日々生活をしていくのは誰でもないこの私。悔いの残らないよう、しっかりと前を見て就職先を探さなくてはという強い気持ちをこの友人たちにもらいました。本当に感謝しています。(あまり本人たちには言った事ないけど)感謝のしるしと言ってはなんですが、友人たちとあって話をした日は、何かしらの求職活動を進めている自分がいました。当初想定よりだいぶ時間や日数をかけて前へ向く力を蓄える必要があったのだと、今なら思えます。10年来のママ友と食べたお気に入りのラーメン。嗚呼、また食べたい。