私の青空(MY BLUE HEAVEN)~せまいながらも、楽しい我が家

私の青空(MY BLUE HEAVEN)~せまいながらも、楽しい我が家

暮らしの中で、気づいたことや思ったことを綴った日記です。

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「1970年代はどういう時代だったのか?」
と云うことを色々な角度から検証してみたい!と思います。
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前回はテレビ番組から考えてみました。
(いかがだったでしょうか?)

歌謡曲全盛時代のあの当時、ヒット曲を連発していた数多い歌手の中で
今改めて聴いて「いいなぁ~!」と思ったのは【郷ひろみ】でした。

1972年、郷さんのデビュー当時(72年8月レコードデビュー)の僕の音楽的趣味・志向はロックミュージックや洋楽が中心でした。歌謡曲や日本のアイドル歌謡は商業主義的な音楽という先入観から、ラジオやテレビ番組で聴いたり観たりする程度できちんと聴くということはありませんでした(ですが、正直、初期の郷ひろみの作品は気に入っていました!これはGSの場合も同様で、男性イケメン・アイドルについての「ねたみ」、だったのかもね)



【小さな体験】(72・11月発売 オリコン最高位4位)

郷ひろみの、1972年のデビューから1980年代あたりまでの活躍とヒット曲を振り返ると、群雄割拠的な時代だったことがわかります。
(まさしく歌謡曲全盛時代で、御三家と呼ばれた彼以外の歌手や天地真理などに代表されるアイドル女性歌手がヒット曲を連発していた時代でしたから)
特に、初期のデビューから1972年から10枚目のシングルで大ヒット曲「よろしく哀愁」(74)あたりまでは、サウンド的な見地からロックミュージックファンであった僕の耳でも、「かっこいい」と思える仕上がりの曲が多かったように思います。



【魅力のマーチ】(73・9月発売 オリコン最高位2位)

モータウンに代表されるようなソウルっぽいギターや、ロック的なフレーズを弾くギターサウンドには当時正直ちょっとびっくりしました。クラビネットやブラスやストリングスを挿入した大胆なアレンジも従来の歌謡曲にはない新鮮な響きを感じました。
作詞:岩谷時子 作曲:筒美京平コンビによる一連のヒット曲は特に。
代表的には「小さな体験」(72・11)や「魅力のマーチ」(73・9)、「裸のビーナス」(73・6)など。



【君は特別】(74・6月発売 オリコン最高位6位)



【花とみつばち】(74・3月発売 オリコン最高位3位 デビュー曲の「男の子女の子」を彷彿するこれぞアイドル系の楽曲!、と云う感じにに仕上がっています。太川陽介の「ルイルイ」にも共通した雰囲気がありましたね!)

但し、残念なことに同時代は彼の作品をしのぐビッグヒット曲が数多くあって、なかなかナンバーワンヒットにならなかったのでした(涙)。



【よろしく哀愁】(74・9月発売 作詞:安井かずみ 作曲:筒美京平 オリコンで彼自身初の最高位第一位 ジャニーズ事務所としても初のオリコン一位になった曲)

因みに、それら代表曲を列挙すると以下のようになります。
小柳ルミ子「私の城下町」(72)やぴんから兄弟「女のみち」(72)、天地真理「ひとりじゃないの」(72)・「虹をわたって」(72)、吉田拓郎「旅の宿」(72)、GARO「学生街の喫茶店」(73)かぐや姫「神田川」(73)、フィンガーファイブ「個人授業」(73)など。
厳密にいえばこの当時、数年間を通じて年間売り上げなどによるオリコンチャート上位は、ぴんから兄弟や殿様キングスなどの演歌系が上位を占めていたことがわかります。
それ以外ではフォーク系やニューミュージック系ミュージシャンやバンドの活躍がありました。従来のポップス系のシンガーは沢田研二ら数人が頑張って上位に食い込んでいたのが実情でした。ただ現在振り返って思うことはテレビ、雑誌などのメディアの露出度でアイドル系歌手の印象が強かったことです。(例えば、麻丘めぐみ、浅田美代子、アグネスチャンなど)




【ひとりじゃないの】(天地真理 72年5月発売 オリコン6週第一位)

これらヒット曲から当時を回想すと、個人的には、天地真理、小柳ルミ子、アグネスチャンなどの女性アイドル歌手の活躍が印象的でした。
(特に天地真理はチャート的にもメディア的にも特筆すべき、当時を代表するアイドル女性歌手でした)

又この時代から、従来の歌謡曲ファン層に女性歌手を積極的に応援する男性ファン(親衛隊のような存在)が現れて、ファン気質が変化したように感じられます。
そして、この時代以降さまざま女性アイドル歌手がデビューして、歌謡曲の中心は女性歌手やグループになっていったように思います。
(山口百恵や桜田淳子ら、キャンディーズやピンクレデイなどのように)

話を【郷ひろみ】に戻すと、彼の作品は男性アイドルであるのと同時に、前述のようにサウンド的に明らかに先進的でした(他の歌手の作品と比較して)。
「恋の弱み」(76)などはその後にヒットした「セクシーユー(モンローウォーク)」(作曲:南佳孝)(80)を彷彿するシティポップスに仕上がっていることを今更ながら感じます。



【恋の弱味】(76・2月発売 オリコン最高位4位)

今回このブログを書くために少し彼のバイオグラフィやディスコグラフィを確認しました。
(長年にわたる彼のヒットした楽曲の多さにびっくりします)
彼のシンガーとしてのヒット曲の多さにも驚きますが、日本のポップス歌謡の流れをつくった作曲家・筒美京平のヒットメーカーとしての凄さに敬服しました。
プロの作曲家として、僕自身が個人的に敬愛する浜口庫之助、いずみたく、中村八大さんら巨匠に匹敵するような作品を、また、諸先生方の仕事を引継ぎ、作り続けたことの偉業について再評価したいと感じました。(大野雄二、山下毅雄、村井邦彦、鈴木邦彦さんらも好きな作曲家です!)現在、J-POPのミュージックシーンを見渡すと彼らのような優れたプロの作曲は不在のように思います。
1970年代は(昭和歌謡という名称は嫌いな表現ですが)、筒美京平のようなプロの作曲家による優れた作品が多数ヒットした良い時代だったのかもしれません。

作曲のノウハウ、演奏テクニックのノウハウ、録音技術のノウハウ、さまざまなノウハウが明らかにされて誰でも作曲が出来、演奏が簡単できて、録音できるようになった現在。要するに物質文化は豊かになったのですが、音楽の質は低下したように思ってしまいます。J-POPなどの楽曲の多くはサウンド重視やリズム中心に偏重された結果、そこに作り手の心や思いが感じられないように思います。

現在の日本のポップミュージックシーンは、ジャニーズ事務所関連のアーティストを筆頭に活躍が目立っているようですが、前述のような過剰なサウンド志向が気になる印象をもちました。AKBなどの女性アイドルについても同様の感想をもっています。
(ただ、これら作品をきちんと聴いたことがないので、このような発言をする資格は僕にはないのでが・・・)

最後にこれは音楽を離れた話で芸能ゴシップ的なことで恐縮なのですが・・・。
郷さんの今までのプライベートな側面を眺めると、アイドルとは異質な行動や発言がありました。
(数回の離婚騒動などの一連の発言などで。非難する意味で言っているのではありません。誤解のないように)
やはりスーパースターの彼は、一般庶民には理解不能なのでしょうね(笑)。
(蛇足ながら、僕は彼と同年齢です)(笑)。

ついでに付け加えるならば、作家・小林信彦氏が自著で云われていたことを思い出しましたので、ちょっとここで紹介させていただきます。

その内容は簡単には以下の通りです。
「お笑い芸人は傍目には人当たりがよさそうに見えても、その実はやっかいで、難しい人物が多いので、舞台や映像で観るのがいいのです。ファンだからといって、現実に実際にお付き合い出来るようなものではない」といった内容の文章をお書きになっておられました。
(ご承知のように、小林氏は著書「日本の喜劇人」などで、森繁、渥美清、藤山寛美などのエッセイをお書きになっています)
郷さんは勿論、お笑い芸人ではありませんが、芸能人というのは多かれ少なかれ一般庶民とは一線を画すものと云う意味で、私は同義なのでは?と思います。

散漫な文章で終始してしまって恐縮ですが、今回のパート2はこの辺で。

ではまた、いつの日かお会いしましょう!
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40年以上前の昔の、自分自身の記憶はかなり不鮮明になっています。

テレビ全盛期の1970年代の番組をBSやCSで観ているうち、忘れている昔の、今と比べると不便だった時代のことを改めてどんな時代だったのか?考えてみたいと思うようになりました。



TBSテレビで放映されていたホームドラマ「時間ですよ」(出演:森光子、堺正章他 放映開始1970年から)は懐かしさと共に、当時の世相や自分自身の身の回りのことを思い出します。

風呂屋が舞台のこの番組ですが、東京を含めて、私の子供時代は風呂屋はどこの町にも当たり前のようにあったように思います。

スマホやパソコンなどの通信網はなかった時代です。

「昔は、良かった」というような思いは多少ありますが、果たしそうだったのでしょうか?現代社会は、格段に便利になって暮らしやすい社会になったように思います。当時、子供だった私ですが、不満や嫌なこともたくさんあったことを覚えています。「早く大きくなって、自分で何でも思うように行動したい」と思ったことを忘れていません。


2013年現在、物質文化は豊かになりました。家風呂が当たり前のようになり、車も、クーラーも、電話も、当たり前のように各家々で所有できるようになりました。一個人が、暮らしていくためには男であろうが、女であろうが、ある程度平等に暮らしていける社会になっているように思います。表面的には。

反面、現在は人間関係が希薄になった社会のように思います。

(豊かな物質文化は)家電やIT等の技術革新による利便性の向上等の影響で、人間同士の共存共栄、相互扶助、と云うような意識や考え方を失ってしまったように思います。(貧しかった昔はお互いが助け合いながらの生活が残っていました。着る物は家庭内などで共有していたり、ツギハギをしていたり。なんと、トイレットペーパーではなく、新聞紙を使っていた時代もあったのですから。1980年代は、1960年代~1970年代高度成長当時即ち、少し貧しかった時代の、村社会=共同体が崩壊し、現代社会に移行していく黎明期だったのかもしれません)
又、その原因には、個人主義、自分優先の考え方、自分と云う個人を過剰に考えることや、他人との競争によって価値が創造されるという考え方などによる影響も強いと思います。(このような概念がギスギスした、ドライな社会を創造したような気がしてます)

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SNS等による人的交流が増えた現在ですが、本来の、心のつながりのある人間関係は希薄・ドライになっている印象がどうしてもあります。
(SNSの交流は、すでに形骸化しているという印象があります)
今後どのような展開がネット上であるのかわかりませんが、大切にしたい人間同士の、心のつながりはネットつながりであれ、どのような形であっても持ち続けたいものです。



趣味でも、仕事でも選択肢の多い現在の社会というのは一面的には健全な良い社会だと思います。

1970年代は大ヒットレコードや大ヒット商品が数多くあったように記憶しています。
(インフレ経済だったことにも起因しているのでしょうが)
近年来の経済情勢はデフレで消費が硬直化していることと、一般庶民に必要とされる商品の需要が以前よりも大幅に減少して、70年代当時のような消費には程遠い状況です。

日本経済は小泉政権以降、ご承知のように賃金や福祉などについては格差が増大されています。

過去から現在に至る必然性、なるべくしてなった現在ではないでしょうか。
よいことも、悪いことも含めて。
勿論さまざまな偶然の要因にもよりますが。
(ワールドワイド、グローバル化など、不確定要素のなかで)

「全ての人々が満足する社会などない」と云うのは人間の業の深さを
考えてみるとわかることです。

経済優先の社会、効率や合理性を重要に考える社会、個人主義を主張する人々の多い社会。
考え方を見直して、過去の古い村社会に戻るのではなく、物質文化やお金中心の価値観から脱却して、こだわりのない「ゆるやかな」社会、或いは生き方ができればと思います。
「やっぱり、お金が大事。云うことは簡単ですが、現実はなかなか難しい」
と、おっしゃるご同輩が多いでしょうが。
ですが、それは個人の気持ち次第ではないでしょうか?


最後に、今回の僕のつたないブログにお付き合いいただきありがとうございました。

(追伸)1970年代や1980年代など、激動の時代を生きてこれたことに
僕の周りの全ての人に感謝したいと改めて思いました。

では、またいつかどこかで。

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やはり劇場で観る映画と自宅のテレビで、DVDで観る映画は別物だと思います
暗がりの劇場でスクリーンにむかってひとり神経を集中して見るのですから
当然感じ方も違います。
感動の度合いも違いますよね。

鑑賞後の率直な感想です。
この映画に登場している主人公の老夫婦や家族は世間的には幸せな方たちではないか?
ということです。
人間にとって死は誰にでも平等に訪れる絶対的なものです。その意味においては幸福な人
であろうが、不幸せな貧しい人であろうが、死を前にすれば平等です。
「こういう死に方をしたい」とか思っても思うようにならないのが人生です。
この映画に登場する母親は理想的な死に方をしたと思います。
家族にみとられ、それほど苦しみもせずに・・・。欲を言えばきりがありません。
欲深いのは人間の業とはいえ。
現実の社会、どんな家庭にも日常には色々な厄介なこともあり、
ひとつひとつそうした厄介な問題をクリアーしていかなければなりません。
そうした毎日の日々を淡々と描いた近年にない名作だと思います。
演出と脚本、演じている俳優さんたち。
映像化した監督をはじめスタッフの皆さん。
なるほどと思うシーンの数々にただ納得するばかりでした。


山田洋次監督がどのようなテーマでこの作品を作ったのかは分かりませんが、
寅さん映画と同様のあるテーマを感じました。
僕のブログで、寅さんシリーズの映画の大きなテーマについて触れたことがあります。
(『寅次郎 忘れな草』マドンナ役:浅丘ルリ子1973年公開ーを紹介した時に)
それはどういうことかといえば「日常の平凡な暮らしがどんなに大事なものか」
ということです。同じような毎日の暮らしが僕等人間にとってかけがえがない
ものであるということ。その大切さをつい忘れがちです。
個人的なことで申し訳ありませんが、僕自身が人間の死について考えるような
年齢になっているので(残されている時間が少ない現実を感じ始めているので)余計にそうした
日常的な行為、例えば衣食住や眠ることや歩くことや汚いことですが排泄できることさえも
(多少の不自由はあっても)出来ることの素晴らしさを感謝しなければ、と思うようになりました。

この映画を観ることになったのは正直偶然でした。
それと、公開前の先入観ですが過小評価をしていました。
(観る前なのに・・・)

冒頭の話題に戻りますが、「やはり映画は劇場で観るべきです!」。

以下は
出演されている俳優さんたちの
話や劇中の気になったシーンについて。

主人公の老夫婦よりも僕は家族を演じていた俳優さんたちの演技が気になりました。
といのは、演技という言葉が適切でないほど、妻夫木さんをはじめ俳優さんたちは
本当の家族のように自然に役を演じていたからです。
例えば、こんな印象でした。
1)妻夫木・蒼井優のカップルのしなやかさ。
~舞台美術のアルバイトという設定もいい。
2)中島・正蔵師匠の身近に居そうなカップルの仲むつまじさ。
(現実に、本当にこういうカップルいそうだから・・・)
~髪結いの亭主的な正蔵師匠と中島さんの関係もいい。
3)西村・夏川の熟年カップルの頼もしさ
~西村さんは長男役を落ち着いた演技で、夏川さんのお母さん役も
茶目っ気たっぷりの可愛さでいい。
等々。

気になった、というよりも好きなシーン。
①正蔵師匠が食事のシーンで
納豆を食べる場面。
~辛子を大量に入れて食べるところ。
②蒼井さんが妻夫木さんの実家に葬儀のため戻って
島の中の道路を少女と一緒に歩いているところを
通りがかった少女の学校の先生と遭遇する。少女が蒼井さんを紹介する場面。
~自転車に乗っていた先生が道路わきのドブ(?)に落ちる。
(喜劇的、寅さん映画を彷彿させてくれるように感じたので)
等々

その他、小林稔侍、風吹ジュンさんたちの出演シーンも見所でした。
詳細はもう一度劇場鑑賞してから改めてブログにアップしたいと思います。
まずは、この映画の素晴らしさを書き記したいと思いました。