【ウメのひとりごと。】 ま、そんなワケで。 -4ページ目

【ウメのひとりごと。】 ま、そんなワケで。

齢39にして16年9ヶ月勤めた会社を退き大冒険を始めました。
どうなるか分かりません。
日記のつもりで。

意識がもどると、まず病院生活でのルールの説明を受けた。


まだベッドから降りない事。 

トイレに行きたい時はナースコールを押して看護師さんを呼ぶ事。

間違って一人でベッドから降りようものなら、

すぐに看護師さんが飛んでくる。

ベッド下にはマットが敷いてあって、センサーが通っているので

起き上った事がバレバレなのである。

監視体制は大したものだ。まるで映画の『ミッション・インポッシブル』並みだ。


色々な検査を受けた後、リハビリが必要だと判断された。

運動療法と、言語療法。意識は戻ったけど、

上手く喋れなかったのでそのリハビリというワケだ。


看護師さんは3人ほどで日替わりで専属の人が着いてくれる。

その中でも田中さんは非常に優しくしてくれた。

若い人でそこそこフランクに話も出来たので、

初めての入院には心強い存在だった。

リハビリは違うフロアで行われるので、そこまで付き添ってくれる。


「大丈夫ですかー?」


2・3日もすると立ち上がれるようになったけど、足元はおぼつかない。

田中さんはオレが倒れないように背中を支えてくれた。

よちよち歩きだけど、何んとか歩く。


「こんなに歩けるなんて。運ばれてきたときなんて、

ホント大丈夫なのって思ったんだから」


後になって聞くと運ばれた時はホントにヤバかったみたい。

憶えて無いけどね。

入院して3日目くらいからリハビリが始まったんだけど、

その模様はまたつづきで。

本日は一時帰宅なので、また病院にもどります。にひひ


ま、そんなワケで、つづくのでした。





これまで入院なんかした事なかった。

健康優良児だったんだよね。そこそこ。

そもそも病院嫌いだし、余程の事がなければ通院すらしなかった。

それでいけてたんだよね。

それがある日気が付くと病院のベッドに寝かされていて、声が出ない。

なんでここにいるのか、理解が出来なかった。


「昨日、オレ何してたっけ?」


憶えて無いんです。何がどうしたのかサッパリわからない。

自分の身体を確認してみると、手も動く。足も動く。

耳も聴こえるけど、喋ろうとするとウマいこと声が出ないんだな。

支えられながら起き上ろうとするけど、全身に力が入らない。


トイレに行って用を足すのすら、看護師さんの手を借りないと出来ない。

立ち上がれないからね。

そうなるともう赤ちゃんと一緒。身体を抱えられながら用を足すんだから

40手前の大の大人の威厳もクソもない。

入院して暫くの数日間は大人用の紙おむつを履かされてた。

思い出したくもないけど。

仕方ないじゃん、何も出来ねえんだもの。


立てないことを認識して、

はじめて 「オレやばいかも」 と思い始めた。

ついこの前再就職したばかりなのに、何てこった。

この先どうなるんだろうと不安にかられつつ、

ナースコールを押す夜を迎えていたのでした。


つづく。





まあ色々ありまして・・・。


入院したワケです、生まれて初めて。

気が付いた時には病院のベッドの中なワケです。


初めは何がなんだか事情がわかりません。


『何?なんだ?どこ?なんなのさ?一体?』てなカンジ。

気が付いたら病院のベッドの中。ま、そこが病院だって気が付くのに

暫く時間が掛ったけれど。


なんだ?なんだ?


お袋や親父がオレの顔を覗き込む。

看護士さん達がオレを取り囲む。

ここが病院だって気が付くのにちょっとどころか、

2・3日の時間を必要とするのです。

「ここどこよ?オレどうしたの?」

喋ろうにも声が出ない。耳は聞こえるけど喋れない。


どうやらここは病院みたいだ・・・。看護婦さんいっぱいだし

て、認識できたのは2日後位いだったけど。


そうかあ・・・、オレ 入院してるんだ・・・。


そんなカンジで生まれて初めてのポンコツ入院生活が始まったのでした。



し振りに書きます。 


日記のつもりだったんだけど、ここ数か月結構バタバタして、

ブログを書く余裕がなくなってました。

時間的にも、気持ち的にも。


職探しは山あり谷ありで、やっぱり年齢と「何が出来るか」って事が引っ掛って。

そこそこ長いこと前の職場にいたから、その手の仕事の知識や経験はあるけど、

じゃあ何か資格はと問われれば、何もなく。


『やれる事』と『やりたい事』で考えてみた。


時間のある中で、無い脳みそで考えてみてみる。


そうするとね、

出来れば自分が関わった仕事で、誰かが喜んでくれて、

笑ってる顔を見る事の出来る仕事がいいな、

という事に辿りついたワケです。


ガキの頃、駄菓子屋で水風船や 水鉄砲買って遊んだり

ガチャガチャなんかで一喜一憂したりしてたの思い出して

オモチャ屋さんに勤めて企画の仕事したいっ! と思ったりもして。


絵本の出版の企画とかでもイイんだけど、

とにかく自分の下仕事に対しての 「笑顔」 が欲しかったんだよね。



『出来る事』 『やりたい事』



色々考えて今は 『出来る事』 の職場にいます。


大なり小なりカルチャーショックはあるけれど

今んトコ 「正解なんじゃねえかなあ」 と思っています。



、そんなワケで。




「なに食べようか?」と聞かれて最初に思いつくのは洋食。

ハンバーグライス。ポークソテー。エビフライとかね。

なんでかね。そんな好みの味付けで育ったんだな。


でも、年がら年中洋食が食べたいワケじゃない。

旅先で朝起きて、ひとっ風呂浴びた後にハンバーグライスはない。

やっぱり、土鍋で炊いたごはんに 味噌汁。

焼き魚と目玉焼きとお新香。


空気なんだな。その場の。


たまに無性に食べたくなるのは、赤坂にある『ねぎ』のまぐろ照り焼き定食。

それと、『新蔵』の肉豆腐。

ウマいんだよねえ。


以前アシスタントに「ウメさんは米食いですね」と言われたことがある。


洋食も和食もなんでも好きだけど、要は美味しくお米が食べたいんだなあ。


さ、なに食べようか?


にひひ


最近よく、

子供の頃を思い出す。

何でなのか考えてみると、どうも季節のせいみたい。


幼稚園から通ったスイミングスクールのおかげで、水泳だけは大得意だった。

今でも人に教えられる唯一のスポーツだ。

区大会の選抜にもなった事がある。


親父の田舎が海水浴場から歩いて30秒程の所だったし、

毎年夏には泳ぎに行っていた。

中学に入って色気づいてスクールは辞めてしまったけど、

バカみたいに毎年夏には海に行っていた。


親父の実家は元々民宿で、「梅屋」の看板があった。

午前中から軒先で浮き輪やら、ボートやらをぶら下げて商売してた。


泳ぎ疲れたらキンキンに冷えたスイカ食って、

夜には家族でバケツ持って、砂浜で花火して、

遊び疲れて蚊取り線香の香りを嗅ぎながら蚊帳の中で寝た。


冬の生まれだけど、どうも夏が好きみたい。


楽しい記憶は いつも夏にある。



にひひ

【人生という名の列車】

作曲:馬場俊英
作詞:馬場俊英



Take The Train! 風に乗ろう 時を行く列車に乗ろう 
いつまでも どこまでも 走り出そう

人生という名の列車が走る
時代という名のいくつもの街を行く
ヒロシは負け組で タカシは勝ち組
優子は負け犬で 直美は勝ち犬さ
ああ 雨の日も嵐も曇りもあるけれど
ああ ふぞろいの僕らはとにかく旅をした
とある病院の分娩室に 始発のベルが鳴り響き
列車が動き出した あれは 昭和42年

人生という名の列車が走り
ある土曜日の夜に辿り着いた街は ブラウン管の中に
改札を抜けると そこはお茶の間で
8時ちょうど 全員が集合 みんなでオイース!
「タライに気をつけろ!」 それがその街での教訓
歯も磨くよ 宿題もするよ 約束さ カトちゃん
笑い疲れて お茶の間のコタツで知らずに眠ってしまった
たとえばつまり そんな温もりに守られた時代だった 昭和48年

列車の旅は続き 次の街はというと
青い空に浮かぶ真っ白いボール そこはベースボール・パーク
中学の三年間をその街で 過ごした
僕のその頃の夢は帽子のYGマーク
日が暮れるまで泥だらけになりボールを追い掛けた
どんな夢も叶うとまっすぐに信じてた
バレーボール部の知子ちゃん 覚えてくれてますか あの頃の僕ら
風に立ち向かう勇敢な冒険者だった 昭和55年

思いがけずに 次の街はなんとなくクリスタルなムード
浅野さんとか浅野さんのラブストーリーにみんなで盛大にのぼせて
Yeah! 冬になったら私をスキーに連れてって
地球は女で回っていた あのトレンディな季節
居酒屋のトイレで 隠れてキスをして
ヘイ! 一気! 一気! 一気! ・・・ほんとうにバカだった
真夜中のモデルハウスで押し倒して マリちゃんを泣かせてしまった
オレはどこまで助平になるのかと本気で怖かった 昭和59年

せつなくもバカバカく愛しい季節がやがて過ぎた頃に
列車が着いたのは「旅立ち」という名のターミナル
大好きだった友達も恋人もここでさようなら
パパとママがくれた切符もここまでさ
アキラは北へ まさとは南へ 淳子は西へと向かった
僕はというと駅のベンチでまだ行き先を決めかねていた
なにをすればいいのか するべきなのか ろくに考えたこともなかった
旅立つ友達がみんな大人に見えたっけ あれは確か 平成の元年

それからの日々は必死だったので良く覚えていないけど
人生という名の列車は走った
同級生のジローがそのうち学校の先生になり
あいつなんかが先生でいいのかと 本気で思った
いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと
拝啓 先生 あの頃 あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと 
遅まきながら知った気がした あれは平成10年

旅はつづき 今度の街はとある郊外の私鉄沿線のベットタウン
僕は道の両側の無数の家々を眺めながら 歩いている
当たり前だけど どの家も誰かさんが建てた家で
世の中のお父さんは今日も頑張っているのだ
言い忘れたけど この旅の途中から僕にも
愛する人と二人のかわいい道連れがいて
僕はもう僕だけのものではなくなり
つまりこの人生の旅も もう僕だけのものじゃない
窓を眺めながらこぼれた この涙はなんだろう? 平成15年

ところでこの列車の行き先を決めるのは 一体何だろう
偶然か実力か運命か それとも神様の気まぐれか
地平線の向こうから吹き付ける風 水平線に朝の光
この戸惑いと不条理の世界 人間社会にようこそ
ウソつかず 誤魔化さず どんなときも人に優しく 決して腐らずに
わかってるし気をつけてるし頑張ってる でも出来ないよ カトちゃん
でもどんなときも信じる事 決してあきらめないで
向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい 平成17年

人生という名の列車が走る
時代という名のいくつもの街を行く
時代の風と空気を 胸にたっぷりと吸い込みながら
ふぞろいの心はとにかく旅をする
ユウジ ヒロシ 優子 東京育ちのまさとは今年39 おかしいね
ああ 僕らが再来年40になるなんて
このレールの向こうに広がる世界 さあ まさと旅をつづけよう
今また旅発ちのベルが街に鳴り響き 列車が動き出す

どんな時も向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい

Take The Train! 風に乗ろう 時を行く列車に乗ろう 
いつまでも どこまでも 走り出そう

作曲:馬場俊英
作詞:馬場俊英


この街のどこかに今も あの日の夢が眠らせてある
暗闇の向こう側から 少年の瞳が 僕を見つめている


もう10年以上前の汗が 染み込んだ古いグローブの
中で汗をかいた手のひらが 何かつかもうとしているんだ

市営グラウンドの駐車場の壁に思い切り投げつけた
ボールはまるで行き場所の無い 情熱の塊のように
跳ね返り 跳ね返り 跳ね返り
転がって 転がって 転がって また戻って来る

あの寝転がった草の匂い あの滑り込んだ土の匂い
息を呑み込んだ一瞬の静寂 見上げた空の色
あの青春の輝きが この頃は憎たらしかった
信じることから だから逃げながら

夕暮れ時と日曜日は ボールの音が響き渡る
汚れた壁はいくつもの 破れた夢と哀しみの跡
ひたすら壁にぶつけては ひたすらそれを受け止める
OH! ああ もう一度 もう一度 夢が欲しい

この街のどこかに今も あの日の夢が眠らせてある
手のひらの中にあるもの 少年の手が それを握り締める

<a href="http://jpop.yinyueabc.com/No+Plan/%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4/">君の中の少年 歌詞 <a>
<a href="http://www.yinyueabc.com">
音樂 ABC <a>



終電車の窓に映る 自分の顔を眺めてた
坂道の途中で立ち止まり 君が待つ部屋の明かり見つめた

ゲームセットのその前に スリーアウトのその前に
もう一度確かめてみたい もう一度 あの壁に向き合って
抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて
受け止めて 受け止めて 受け止めて 取り戻してみたい

あの土砂降りの雨の匂い 君を抱きしめた髪の匂い
息を止めて 全身で感じた 飛び出しそうな鼓動
あの青春の輝きに 追いつけなくて苦しかった
見つめることから だから逃げながら

ずっとずっとずっと前に 忘れかけていたスピードで
鼓動がリズムを刻み出す まだやれる 間に合うかもしれない
まだ 間に合うかもしれない まだ 間に合うかもしれない
グローブの中で汗ばんだ手が 今 何かつかもうとしている

ああ もう一度 もう一度 夢が欲しい

この街のどこかに今も あの日の夢が眠らせてある
暗闇の向こう側から 少年の瞳が 僕を見つめている


5月も過ぎ。


外を歩いていると初夏の香りがしてくる。

冬の月の生まれだけど、夏が大好き。


親父の生まれは茨城で海の近く。ゆるい坂を歩いて30秒程で海に出た。

毎年夏には行っていて、そこで海での泳ぎ方を覚えた。


そこは海水浴場で、夏の間は人がいっぱい。

たった30秒の距離だけど、その間にはお土産屋さんだったり、民宿だったりがあって、すごくワイワイしている。

軒先には売り物の浮き輪や水中メガネがいっぱいぶらさがってて、

いかにも夏の海水浴場ってカンジだった。


夏をカンジさせるアイテムはなんでも好き。


花火 団扇 焼きそば 砂浜 青空 雲 浴衣 水風船 蚊取り線香


昔、芝居を目指してた頃 よく文字を書いてた。稚拙だけど。

それは小説だったり 台本だったりするんだけど、

読み返してみると舞台はいつも夏なんだよね。 どれもこれも。


バカみたいに。にひひ


暑い季節はそれなりにドラマがあるんじゃないかと思ってたんだな。

実際、ないまんま来ちゃったけど。 あはは。


相変わらず夏が好きなのは変わりなく、今年こそ何かドラマがあるだろうと期待もしてます。


ま、そんなワケで。


『一年前より、少し暑い夏』 。 




小さい地元の駅の窓口で駅員さんに訊ねると 「ああ聞いてます」 とのお返事。

お兄さん、特急のチケットだけじゃなく、新幹線のチケットまで手配してくれていた。

相方と二人してビックリ。

お陰様で余裕を持って帰宅の途に着けた。


帰りの新幹線の中で、色々考えてた。


生きてるとホント分からない事があるなあ。

去年の震災もそうだし、オレだって一年前は 今、自分が会社辞めてるとは思ってなかった。

なんでなんだろ?と疑問に思う事は多々あって、咀嚼が困難な事もいっぱいある。


それでも 『一寸先は光』 であって欲しい。

だから今までよりも少し テンション上げていこうかな。


相方と上野で別れて、自宅に向かう。

もう、まともに歩けません。くるぶし痛くて。 かばう様にひょっこひょっこ。


この革靴、式典とかパーティーとか、冠婚葬祭用に買った物で、

年に何度も履かない革靴だから いつまでたっても足になじまない。

自宅に着いてようやくの思いで靴下脱いだら ベロッと皮がむけてた。

今日は歩いたもんなあ…。


次にこれを履くのはいつかな。

痛くても足取りが軽くなる出来事だったらいいな。



【おしまい】