こんばんはpocceです
引き続きアドラー心理学関連の記事です。
アドラー心理学関連記事
「愛する」ってつまりどういうことなのかという話をします。
それは、
相手をまるごと受け入れる
ということ。
相手が自分に好意があろうが無かろうが、誠実だろうが不誠実だろうが、なんでもいいんです。
どんな状態であろうと、それを受け入れ、相手のことを信じる。
嫌われたい人なんてこの世にはいないんです。
みんな、愛されたい、わかってほしい、認めてほしいと思っている。
表面上は「嫌われたくて〇〇をやっている」ように見えても、本当は愛されたいんです。
「オラオラ」している人も、「イライラ」している人も、「メソメソ」している人も
「愛されたいんでちゅ」
って言ってるだけ。
その、「本当は愛されたい」に、応えてあげるんです。
すると相手は
「私には価値がある」
と思うことができ、
その人らしく、他人と調和するような言動を取り始めるんです。自然と。
「能動的に愛する」をやっていると、
老若男女問わず
激モテになります
これマジです。
恋愛も一緒。
彼氏や旦那の浮気を心配している暇があったら「愛せ」としか言えない。
愛されることばかり求めている人に、愛はやってこない。
まずは自分から愛するのです。
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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
1,620円
Amazon |
Amazonのレビュー、人気の本は敢えて☆一つのレビューを読むと書きましたが、その理由。
アンチの人がどういう部分に「ひっかかる」のか知りたいからです。
批判はその人が「正しいと思っていること」の表明です。
「嫌われる勇気」のレビューには、アドラー心理学は「エビデンスが無いから信用するに値しない」というレビューがちらほらありました。
確かに学問においてはエビデンスは重要な事だろうと思います。
(医学は特に)
エビデンス(科学的な根拠)がなければ信じない
いかにもインテリで「わかってる風」に聞こえるセリフですが
その姿勢自体がアドラーの言う「依存」なんじゃないかと私は思うんです。
答えを外に求める姿勢。
そうじゃなくて、「何を信じたいのか?」が重要なんです。
「信じる」に根拠なんていらないんです。
根拠が必要だったら「愛すること」に条件が必要になってくる。
「愛すること」「幸せになること」には条件も根拠もいらない。
ただそう「在り続ける」という「決意(勇気)」が必要なだけ。
人間にはそうなれる理性と意志力が備わっている。
アドラーは人間の能力を全面的に信頼したんだな…と、アドラーの愛を感じました
他にもアドラー心理学について書かれた本を読んでみようと思います。
ではでは今日はこの辺で
pocce