こんばんはpocceです
記事関係ないけど神戸のスタバ
朝にアップした記事泣く・怒るというコミュニケーションの先の続きです。
相手がどうであれ、相手を愛することを貫く。
「嫌われる勇気」に続いて、こちらも読んでみました。
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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
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誰かから「愛されること」を求めるのではなく、誰に対しても無条件で「愛すること」を選択する。
それが真の自立であると書いてありました。
そう、そうなんです!
能動的に「愛する」んですよ。
私がブログで「在れ」と言っているのは正にそのことなんです。
相手がどういう状態であろうと、「私は○○で在る」をし続けるんです。
そう在れば
「もしこんなこと言って嫌われたらどうしよう」
などの心配は皆無になるんです。
私が「嫌われる勇気」という本のタイトルに違和感を感じたのは、そこですね。
「嫌われる」という受け身の発想すらなくなるはずなんです。
嫌うか嫌わないかは相手の問題であって、相手から「嫌われる」という概念が無い。
「私はあなたがどう思おうと、私はあなたを愛します」
という「愛する」姿勢しかない。
「嫌われる勇気」というタイトルなのできっとこういう誤解をしている方が多いんじゃないかと思います。
(タイトルだけ知っていて読んでいない人、特に)
嫌われてもいいから、自分の好きなことをしよう
人には段階があるので、ある段階の人にとってはそれは有効な考え方なんだと思います。
でも、能動的に「愛する」ことをしていれば、「嫌われてもいい」とすら思わなくなる。
そして必然的に自分を嫌う人は周りからいなくなる。
いなくなるというのは、物理的に存在しなくなる(別れ等)という意味だけではなく
相手の自分に対する接し方が「愛」に変わるから。
つまり
嫌われるどころか、愛されるのです。
愛したら、結果的に愛されるのです。
与えたものが自分に返ってくる。
引き寄せの法則そのものですね。
う~ん、まだまだアドラー心理学については書きたいことがあります
ではでは今日はこの辺で
pocce