こんばんはpocceです
最近は、有名無名関わらず、一切のブログを拝見しておりません。
もちろん仲良くさせていただいていた方も含まれます。
読む期と読まん期があるのです。
なんだそれ
今は読まん期なのです。
で、今までブログを読んでいた時間を使って、読書やドラマ観賞をしていました。
↓ずっと前から気になっていたこの本
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
1,620円
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やっと読んでみましたよ~
(今まで読まなかったのは、タイトルがなんていうか…)
これ読んでわかりました。
私がずっと語りたかったのは、スピリチュアルというか哲学だったんだと。
人生とは何だとか、
幸せとは何だとか、
答えのないものについてひたすら考える。
ゴールなんて無くて、
考えることそのものが目的。
アドラーさんが健在ならば、私は彼と哲学を語り合いたい。
私は哲学や心理学について勉強はしたことはありませんが、経験から学んで、自分で答えを出してきました。
(もちろん色んな本は参考にしつつ)
「嫌われる勇気」を読んで驚いたのは、私が出した答えとアドラー心理学がかなり近かったこと。
私はアドラー心理学について完全に理解しているわけではないのであくまで”かなり”です。
アドラー心理学では「課題の分離」という概念があるんですが、私が人間関係で「人との距離感」を意識していたのは、そういうことだったのか!と腑に落ちました。
まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。
(「嫌われる勇気」より引用)
親をはじめ、「介入」してくる人って結構多いですからね。
わかりやすく言えば、「余計なお世話」「おせっかい」。
裏のメッセージは「あなたのこと信頼していないので私の言うことを聞きなさい」です。
自分の不安を相手をコントロールすることによって解消しようとする。
私も親になって、ふと気が付くと「これは介入だ」と思う事がまあまああります。
ふと気が付けるだけまだいいんですが、これを無意識で、しかも「親切心」でやっている人も結構多いと思います。
私は自分が小さかった頃に考えていたことをよく覚えているので、親に言われたら嫌な事、嬉しい事がわかります。
ちょっとしたことですが…
小学校の頃、炊き立てのご飯をかき混ぜるお手伝いをしたことがあったんです。
その時、私は人生で初めて、炊き立てのご飯をかき混ぜる、ということをしました。
かき混ぜ方なんて知りません。
良かれと思って、かき混ぜてから、表面を平らにギュってならしたんですよ。
見た目キレイと思って。
そしたら母に
「なにやってんの!」
と怒られたんですよ
炊き立てのご飯をかき混ぜる時はこうこうこうやって…というのを、イライラしている母から教わって。
私は心の中で
知らなかったからやっただけなのに、なんで怒るの?
説明すればいいだけじゃない?
わざわざ怒って教えるの何なの?
もうお手伝いなんかしてやんない。
と、お手伝いをやりたくてやったのに母に言われた一言で「もう二度とお手伝いするもんか」と思ってしまったことがあります。
子供のやる気をシャットダウンさせるなんて簡単なんです。
子供を侮ってはいけません。
ぜ~んぶ、お見通しです。
コントロールしようとすると、子供は逃げます。
やっぱり大事なのは、信頼、ですね。
子供は信頼されていると実感できていれば心を開くし、コントロールしようとしてくる人の言うことは聞きたくないけど信頼してくれている人の言うことなら聞いてみようかな、と思えるもの。
子供に言うこと聞いてほしかったら、
「ほっとけ」「口出すな」「手出すな」
そして
「見守れ」
ですね。
そして、子供が言うことを聞くかどうかは
「知らん」
です
アドラー心理学についてはまだ書きたいことがあるので記事にしたいと思います
ではでは。
pocce