「1000歩分の価値」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

 

 

少し前のものではあるが、ようやく「ロープ高所作業による外壁打診」の様子を動画でアップすることが出来た。

 

今まで何度かトライしたものの上手く行かず、半ば動画のアップを諦めかけていた私だが、本日無事にこうして載せることが出来た。

あまりにも面倒なので多分最初で最後になると思われる。

 

とは言えこのロープ作業、やはり写真と文章だけでは伝えきれない部分があり、何とか自身の作業の様子を動画で伝えられればと考えていた。

以前とある現場で建築士の方が撮影してくれたものだが、私自身、大分降下作業に慣れてきた頃のものである。

 

このロープ高所作業、一見して「非常に危険」と思われる方も多いと思うが、しかし事前のセッティングが確かであれば実は非常に安全性の高い作業であると言える。

 

しかし一方、そのセッティングをするのはあくまでも自分であり、果たして自身の手順が「確かなのか?」については当然ながら保障など無い。

要するに「自分を信じるしかない」ということになる。

 

例えば一種の「遊び」として行われるバンジージャンプも、では「セッティングも自分自身で」となれば殆ど方が「なら出来ない」となるだろう。

「事前にプロがセッティングしてくれる」という安心感があればこそ出来ることである。

そうなるとこのロープ作業、「どこまで自分自身を信じられるか?」が全てと言って良い。

 

私自身、確かに20代の一時期、地元の窓ガラス清掃の会社で働いていたことがあり、その際に僅かながらロープによる降下は経験済みである。

 

ただ当時は「ブランコ」と呼ばれる工法で、手順も、そして使用する道具類も今のそれと比べると機能面でも安全面でもかなり劣るものであった。

加えて作業を行う上で特別に資格が求められるわけでもなく、その手法も会社ごとに異なっていた。

 

今でこそ技術的に体系化されてきた部分はあるが、当時はそれこそ「上の者から学んだことが全て」と言っても良く、その安全性には疑問符が付くものであったと言わざるを得ない。

ロープ作業先進国とも言うべきヨーロッパでは早くから技術的に体系化されていたようだが、日本はどうにも「高所危険作業」に対する理解と扱いは低い。

 

これはあくまでも私の私見だが、多分この国ではそうした危険作業は「学の無い者たちが従事する仕事」という意識が少なからずあったからだと考えている。

学のある者はそうした者たちに指示を与える立場であり、危険作業を実施する人間自体は「地位が低い」と歴史的に見做されていた部分があるのではと。

 

現在は特別教育という扱いながら一応は資格化もされ、昔に比べ多少は社会的な理解も広まったものと思うが、とは言え所詮は特別教育。

 

日本にも消防のレスキュー隊など極めて高度なロープ技術を持った人たちは存在するが、しかし現場作業として行われる「産業ロープ」の分野はまだまだ一般化しているとは言い難い。

ただヨーロッパの技術を積極的に取り入れる会社も増え、将来的な伸びしろは多い業界であると言えよう。

 

 

さて話を戻そう。

確かに20代の一時期ロープ技術に束の間ながら触れた私だが、ただ当時は上の者がセッティングをしてくれ、ただそれを降りたに過ぎない。

まさに前述した「バンジージャンプの客」と同じである。

 

だが当時と今とでは状況が大きく異なる。

今は身近に教えてくれる人などおらず、全てを自分自身でやるしかない。

「自分のセッティングは正しい」と信じるしかないのだ。

だが今にして思うと作業初日の私はかなり危ういやり方をしていたと思う。

 

こんなことを書くとロープ作業に普段から従事されている方々から「こいつアホか…」と思われしまいそうであるが、作業初日の私は下降機(CAMP社のGiant)にロープをセットする際、わざわざカラビナから一旦下降機を取り外していた。

 

「カラビナに付けたまま下降機が開ける」ということすらよく分かっていなかったのだ。

それゆえ屋上を囲う金網の外で、下降機も落下防止装置も一切付けていないという時間が少なからずあった。

 

改めて思い返すと、もはや悪寒さえ感じる。

またロープも吊元に繋げるのみで、途中に「安全対策として2点目の接続」などもしておらず、到底「安全に配慮したセッティング」とは言い難いものであった。

 

しかし日々ガラス清掃の方々の動画などを視聴しつつ、最近では概ね「十分な安全対策」と呼べるだけのものは取れていると思う。

 

この作業は「恐怖感、安堵感、充実感」が絶え間なく繰り替えされる。

人により多少やり方も異なる部分はあると思うが、降下の直前、屋上のパラペット(屋上の端の低い壁上の部分。画像参照)に一旦跨る(またがる)ような姿勢になる。

 

(この部分がパラペット。降下直前ここに「跨る」様な姿勢になる。その時が最も恐怖を感じる)

 

この時が高所の恐怖と最も対峙する時間と言える。

そしてその後、意を決して外壁側に身を乗り出すのだが、私の場合、毎回その瞬間は「死」を少し意識する。

 

と言うのも、自身のセッティングに何か大きな「抜け」があり、そのまま落下してしまうのではないかと考えてしまうからだ。

だが直後、無事に身体が宙吊りになった際の安堵感。

そして更にその壁面の作業を終えた時の充実感。

 

こればかりはやった者だけが経験出来るものである。

そしてそこには他の作業では得られない確かな満足感さえも存在している。

とは言え私のロープ技術などまだまだ保育園児レベル。

 

この先目指すべき場所は遠過ぎる程に遠い。

しかしこうして現実に歩み出したこの一歩は自身の中で「1000歩分の価値がある」と考えている。

 

誰もが出来るものではないことに挑戦し、そこで勝ち得た一歩なのだ。

まだ20代であったガラス清掃員時代の私なんぞ、ただ上に頼るばかりで何も出来ない人間であった。

 

だがその後、やりたかった消防設備士の仕事に就き、そして今日に至るまでの設備士としての見識と誇りが、今こうして新たなことに挑戦出来るだけの心を養ってくれた。

「唯一無二」を語る以上、全ての恐怖感を「抱き締める」くらいの覚悟を持たなければならない。

 

消防設備士となって19年、そして独立から早10年。

今が一番日々の仕事にやり甲斐を感じている。

そう思える毎日が実りある幸せの蓄積でもある。

 

「あと10歳若ければ…」などと思ったりもするのだけど。

 

 

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