『幸福の王子』の話は現代につながる! | 動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

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動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ。痛みやむくみなど身体の不調改善の対処療法ではなく根本解消を考えるサロンオーナーのブログ。東京都調布市で筋膜リリースを主体としたメディセルミニ・ハイブリットを使用したオイルケアをしています。

アイルランド出身の詩人

オスカー・ワイルドの書いた童話

【幸福の王子】というお話です。

 

昔、ある町に王子の像が立っていました。

身体は金箔に覆われ、
両目の瞳はサファイヤ、
腰の剣の装飾には
真っ赤なルビーが輝き、
心臓は鉛でつくられた美しい像です。 


そこへエジプトへ渡る最中の
一羽のツバメが、
寝床を探して像のところまで
やってきました。


ツバメが
王子の像の足元で寝ようとすると、
頭上から大粒の涙が降って来ます。


見ると金箔の王子の像が泣いていました。 


王子の像は、
その視界に入ってくる
貧しい人達の生活ぶりを見て、
悲しんでいたのでした。 


そして王子の像はツバメに
「貧しい人達に自分の身体に
付いている宝石を分け与えてくれ」と
頼みます。 


ツバメは願いを聞き入れ、
病気に苦しむ
子供のいる家族にルビーを届けます。 


願いを聞き遂げ、
出発しようとしていたツバメでしたが、
その翌日、王子の像は
「まだ飢えに苦しんでいる人達がいる、
もう一日だけ待っておくれ」願います。 


早く出立したかったツバメですが、
王子の切なる願いを聞き入れ、
目のサファイアを貧しい劇作家に配ります。 


いよいよ出立しないと
間に合わなくなったツバメは、
ついに王子の像に別れを告げようとします。 


しかし王子の像の嘆きは収まりません。
王子の像は
また「あと一日待っておくれ」と願い、
もう一つの瞳のサファイアを
マッチ売りの少女に渡してくれるよう頼むのでした。 


ツバメは
「そんなことをしたら目が見えなくなる」と
心配しましたが、
「貧しい人が救われるなら」と
王子の像は考えを変えません。 


その優しい心に触れたツバメは、
エジプトへ渡ることを諦め、
最後まで王子の像の願いを
聞き遂げる決意をしました。


ツバメは
視力を失った王子の像のため、
町の様子を彼に伝えるようになりました。 


王子の像は
自分の身体の金箔を
配るよう願いましたが、
配れば配るほど王子の像は
どんどん見すぼらしい姿に変わり果てて行きました。 


そして王子の像から
かつての綺羅びやかな様子が消えた頃、
町は冬を迎えます。 


寒さに耐えられないツバメは
身体がすっかり弱ってしまっていました。 


死期を悟ったツバメは、
最期に王子の願いが聞けて
幸せだったことを告げ
最後の力で飛び上がり
王子の像にキスをすると
ついに力尽きてしまいました。 


それを聞いた王子の像は、
ツバメが死んでしまったことに
大きなショックを受け
ついに鉛の心臓が割れてしまいました。 


二人が動かなくなった翌朝、
町の人々は
「いつの間にか
美しく無くなってしまった。
溶かしてしまう」と、王子の像を
溶鉱炉にかけてしまいました。 


しかし鉛の心臓だけは
溶けなかったので、
ツバメの死体と一緒に
ゴミ置き場に捨てられてしまいました。 


その頃、
神様が天使と一緒に
この町へやってきました。


神様が天使に
「この町で一番美しいものを
持って来なさい」と命じました。 


天使は、割れた鉛の心臓と、
ツバメの屍を持って来ました。


神様は
「確かに、これぞこの町で
一番美しいものだ。
二人は天国に連れて行ってやろう」 


こうして王子の像とツバメは、
天国で幸せに暮すのでした。 

引用元ピグシブ百科事典

 

 

小さいころ、このお話を聞いて

心がモヤモヤしてました。

 

 

モヤモヤしない?

 

 

じゃあ、まず

この中に出てくる登場人物を

答えましょう、と

言われたら誰と答えますか?

 

 

幸福の王子

ツバメ

だけでしょうか?

 

 

伏線になっている『町の人々』

 

 

そして、幸福の王子の

カラダの一部をもらった

貧しい人々もいますよね。

 

 

その登場人物を踏まえた上で

私のモヤモヤポイントを書いてみます。

 

 

幸福の王子が

自分の目的達成のため

ツバメを犠牲にしたこと。

 

 

(ただそれは意図したものじゃなく

自分が頼れるのがツバメで

ツバメの状態まで考えてあげられる

心の状態ではなかったことが推察されます)

 

 

そこにまずモヤモヤ。

 

 

そしてそれに

従順に答えてしまったツバメにも

モヤモヤします。

 

 

(幸福の王子の優しさに心打たれ

彼のために今自分ができることを

遂行したに過ぎない)

 

 

幸福の王子は

貧しい人々に施しをすること、

お金があることで幸せになると

信じていることにもモヤモヤ。

 

 

最後あたりまで

町の人々は出てきませんが

ちょっと見方を変えてみましょう。

 

 

町の人々は貧しい人々に対して

協力的だったり

笑顔のある状況だったら

幸福の王子は施しをしようと

思ったかしら?

 

 

幸福の王子の

鉛の心臓が割れてしまったあと

「いつの間にか美しく無くなってしまった。
溶かしてしまう」と言い放った町の人々。

 

 

昔は私

そんな町の人々にも

モヤモヤしてました。

冷たい!何にも知らなかったくせに!と。

 

 

でもね、大人になって思うんです。

 

 

この物語のとらえ方は

読んだ人たちの主観が大きく

左右するって。

 

 

幸福の王子が一番願っていた

施しを受けた貧しい人々は

幸せになったのだろうか。

 

 

そう思ったあなた!

 

 

よく読んでくださいね!

飢えに苦しんでいる人に施したんですよ。

 

 

ってことは普通の生活をしている人に

施したわけではないので

食費にしかならないかもしれません。

 

 

もし施された宝石を売りに行って

いやらしいブローカーだったら・・・

施された宝石を「偽物だ!」と言い

取り上げられてたら?

 

 

など、ネガティブに考えたらキリがありません。

 

 

そしてこの話

幸福の王子は『偽善者』って

そんな話さえあるんですよ!

 

 

偽善者・・・

偽善者とは、自分の気持ちはどうでも

外面は善い行いをしているように

装ってる人のこと。

 

 

幸福の王子は施すとき

善い行いをしようとはしていなかったと

思うんです。

 

 

『幸せになってほしい』

ただそれだけ。

 

 

それを偽善者という人たちが

いることにも実はびっくりしたのだけど。

 

 

ただ・・・

偽善者が偽善の行為をしたことで

幸せになる人が増えたなら

それはそれで良いんじゃないかと

思うのは間違いなんだろうか。

 

 

偽りにしても善の行為。

 

 

思ってもないくせに!と言われながらでも

文句言って何もしてない人より

すごく善人じゃないかしら?

 

 

この物語は反面教師で

みんなが幸せになれる方法も

示唆している気がしませんか?

 

 

もしも、幸福の王子が町の人々に

 

 

「ボクは貧しい人々に

自分のカラダに付いている

お金になりそうなものを施します!」

・・・と、声を出せて言えたなら?

(別な物語になっちゃうあせる

 

 

幸福の王子ほどの施しは無理でも

町の人々の中に

貧しい人たちが飢えに苦しまず

食べられる仕組みはないのか?

 

 

ツバメだけががんばるのではなく

周りの人たちも協力してくれる

そんなやり方はなかったのか?

 

 

不思議不思議。

これって、現代社会にも通じる話だったんですね~。

 

 

日本でも海外でも著名人たちが

困っている国や、被災地、、被災者・・・

協力を必要としている人たちに

金銭やボランティアを協力することが増えてきている。

 

 

その人たちのネームバリューで

ニュースなどを見ない人たちが

「そんなことがあったんだ!」と

事件や状況を知ることもある。

 

 

そのひとつの例が杉本彩さんが

おこなっているペットの保護活動。

命の大切さ、人間の愚かさにも

書かせていただきました。

 

 

著名人がやるからこそ広がることもある。

それを一国民が誰にも知られずやったって

感謝をされても微々たるもの。

 

 

ツバメのように一羽でがんばるのではなく

協力者を求める。

 

 

そして受け取った人たちが幸せと感じたら

今度はその人たちが別の人たちに

幸せのバトンを渡していく。

 

 

もし押し付けがいやだったり

その後問題が発生したら

それはその時に考えればいいこと。

 

 

やってみないとわからないこと

たくさんあるもんね!