光の声が天(そら)高く ~世界共有幻想を超えて  -3ページ目

光の声が天(そら)高く ~世界共有幻想を超えて 

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この世界は夢。共有している幻想を超えて源へ——

ACIM(A Course in Miracles)を生きていく中で
心の底から湧き出してきたものをここでシェアします

 過活動期?に入ったようで、いろいろなアイデアがどんどん湧いてくる。

エネルギーも溢れているので、普段なら先延ばしするようなこともささっとやれる。

そして、やれてしまうからこそ、何に力を注ぐのか取捨選択することが大事になる。

 

これは本当にしたいこと?

これは本当にありたい姿?

 

割と枝葉末節にこだわるタイプなので(まあこれは今の仕事におそらく役立っている傾向だけど)、気をつけていないと いつの間にか変なところにエネルギーを注いでいることがあるから。

 

常に立ち戻る中心軸をしっかりと据えて、大切なのはここでしょ!と自分に突っ込みつつ…

立ち戻るところは常にACIM(A Course in Miracles)。

判断を聖霊にゆだねる。

 

 

そして切り替えの波がやってきている。

 

数年に一度、内面の整理から始まって こんなふうに いろいろなものを一新する時期が来るように思う。前回の大きな波は確か2015年の春だった。

 

調べてみたらやっぱりそう。その時期の記事↓

      周りの風景が一瞬で変わっていく (2015年4月10日)

生まれ変わりの季節 (2015年4月11日)

 神は細部に宿りたまう (2015年4月16日)

 暮らしごこち向上計画 (2015年4月30日)

 

 

スピリチュアルにのめり込む前、何がマイブームだったかというと「シンプルライフ」だった。

こんなにミニマリズムが流行るずーっと前。

 

きっかけは『素敵な暮らしのダイエット−シンプルライフのすすめ』という本。さらに『ガラクタ捨てれば自分が見える』で「スペースクリアリング」に勤しみ、2004年〜2006年は 捨てる女! というブログを愛読していた。

やましたひでこさんの「2days断捨離セミナー」に参加したことも(確認したら2010年のことだった!)。

 

で、今回はこんまりさんの「ときめき」手法で片づけ祭りを開催中!

「断捨離」を修行系とすると「ときめき」は何だろう、乙女系?

 

この祭りのあと

清々しくスッキリとした心と空間に何が湧き出てくるのだろう?

 

近所の花壇で見つけた!

 

 

2月の半ばから夫が仕事を休んでいる。

 

ここ4年ほどは職場のひとたちとの関係も良好で、 

多少の波はあるものの、まあまあ元気に仕事へ行っていたのだが…。

 

このまま休めるのは5月の半ばまで。

そのあとも出勤できない状態なら、改めて手続をして休職することになる。

 

しかし夫は「休職しないで職場に戻りたい」と切望している。

なぜなら、仕事の最繁忙期が5月下旬〜6月初旬だから。

 

曰く

  4月の異動でかなり人が入れ替わったから、例年以上にてんてこ舞いのはず

  それに

  2月から処理方法が変わったから、熟練者でも昨年より時間がかかるはず

  だから

  自分が出勤することでそれを少しでも緩和したい

曰く  

  今回は休み始めてまだ日が浅いから、今なら復帰しやすいはず

  逆にここで長期的な休みに入ると、気持ち的にめげてしまいそう

  それに

  休職は手続が面倒だから、なんとかここで戻りたい

 

なるほど。なるほど。

気持ちは よ〜〜〜くわかる。

とりわけ士気を大切にするタイプだし。

人の役に立つことで自分の存在価値を認めるタイプだし。

 

が、もう少し休みが必要な状態に見えた。

希死念慮に襲われてるし(積極的なものではないにしろ…)

通っている鍼灸の先生と「ノープランで」と話しているにもかかわらず、

毎日「明日は〜〜をやりたい、やれたらいいなぁ」とプランを立てては

結局できずに「何もしていない(>_<)」と自分を責めているし。

(まあ、そういう状態だから療養しているのだ)

「元気になってくれば自然に体も動きだす、活動できる」ということを

本人も重々知っているのだけれど。

 

なので…

 

たしかに今の状態なら、気合を入れればおそらく復帰できるだろうし、

短期間なら頑張れるだろう。

けれど、繁忙期が終わったあと反動で倒れる可能性が大。

ここで無理して少しだけ出勤して その後また休むのは、

夫にとっても職場にとってもマイナスだと思う。

 

ということを伝えた。

 

夜中の1時過ぎである(眠い!)

そして翌日も私は仕事がある。

が、互いの意見は平行線…

 

何度か同じようなやり取りをしているうちに

パーーーーンと何かが突き抜けた。

 

 

 

おおお!

なんということ!

 

夫の気持ちにぜんぜん寄り添ってなかったーー!!

 

いいじゃん、いいじゃん、短期間 活動して倒れたって。

短期間でもいいから活躍したいんだもん、本人が。

それに、もしかして倒れないかもしれないし。

 

いいじゃん、いいじゃん、職場のほうだってなんとかなるさ。

現に今 休んでいて なんとかなってるわけだし。

忙しい時期、仕事に精通している人が助っ人として戻って来れば、

単純に喜ばれるだろう。

たとえ短期間でも、その分 職場のひとたちは手元の仕事に集中できるから。

 

100メートル走が得意な人にマラソンをやらせようとしていたよ。

「マラソンランナーであるべき」という固定観念。価値判断。

これを押し付けているということに気づいてなかったよ…。

 

ごめん、ごめんよ〜!

何が「気持ちは よ〜〜〜くわかる」だ。

ぜんぜんわかってないじゃん。

ただ私が

「倒れて落ち込んでいる夫の姿を見たくない」だけだったーー!

 

クローバークローバークローバー

 

こうやって一つひとつ、

自分では気づいていない思い込みが明るみに出る。

 

思い込みは思い込みとして認識されることで

思い込みではなくなる。

 

それはまるで透明な氷の壁。

 

硬く、冷たく、そこに屹立し、

見られないままに行く手を阻み、軌道を修正させる。

そして

陽光に晒されると きらめきながら溶解し

いずれ跡形もなく消える。

 

こうやって少しずつ身軽になっていくのだろう。

 

 

坂爪圭吾さんという人がいる。

 

初めて知ったのは数年前、おそらくツイッターでだろうと思う。

 

その頃、坂爪さんは家のない生活をしていた。

身一つと言っていいくらいの軽装で

泊めてくれる人(知人・友人とは限らない)がいれば

日本中、そしてやがては世界中を渡り歩き、

感じたことをブログやSNSで発信していた。

 

ブログいばや通信を読むうちに、坂爪さんのピュアさにシビれた。

 

正直な人だと思った。

自分の心に素直。

変なところで折り合いをつけようとしない。

自分が嫌だと感じたことを曖昧にしない。

居心地の悪いところからは立ち去って、居心地のいいところへ向かう。

 

とてつもなく自由で軽やかな感じがして、おおお!と思った。

「軽やか」は最近の私のテーマの一つだ。

”かくありたい”と強く思う。

 

 

↓最近のいばや通信の記事(一部)

 

カラフルでご機嫌な世界を生きるために。

 

人生とは、純度の勝負である。

 

仕事なんてしている場合じゃない、遊べ!

 

無難な道を選んではいないか。こころの底から「これは最高だ!」と思えてはいるか。

 

一夫多妻制を凌駕するネオ概念「一夫八百万妻制(通称『やおよろぷ』)とは何か。

 

 

 

私がしばらくネットから離れていた間に進化していて、

今は貰った熱海の家を拠点に

循環型食堂(0円食堂)や循環型図書館をはじめ、いろいろと楽しいことをやっている。

わたり食堂・わたり文庫

 

 

坂爪さんが公開中のクラウドファンディング。おもしろそうなので私も支援。

    ↓

ごちゃまぜの家をつくりたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー) 図書館みたいな、無料の喫茶店&託児所&宿泊施設も兼ねる「ごちゃまぜの家」の第一弾を東京に!!基本的な使用料金は完全に無料で、珈琲もタダ、料理もタダ、欲しい本があればあげるし、なんなら泊まってくれたひとに百円あげちゃう(未定)くらいの場所を作りたいです。有志を集めたら、実現できるものなのでしょうか!! camp-fire.jp       

 

 

 近所の桜。出勤前に満喫。

 

 

仕事のうち、毎月チームで行う定型業務がある。

今年度、この業務の世話役の一人となった。

 

この業務、作業自体は簡単。それだけに、緊張感を持ってあたらないとミスしてしまう。

そのミスに気づかないまま完了させると、対外的な大問題に発展する可能性もある。

一見 簡単そうで、意外と気を使う業務。

そして、毎年4月はこの業務が一大イベントとなる(他の月と比べて突出して量が多いから)

 

事前準備も万端に、先週、いつもの倍の人数で作業を開始した。2日間の予定で。

 

1日目は予定どおり完了してスッキリ。

2日目も順調に進んでいたが、夕方、まとめの段階でミスに気づき、少し手戻りすることに。

結果、予定の2日間では作業が終わらず、来週に持ち越しとなった。

 

幸いなことに深刻なミスではなく、あと少しで完了できそうだし、こうした事態に備えて予備日も設けてある。週明けに作業する場所も確保できた。

 

にもかかわらず、すっかり意気消沈して帰路につく。

前日のスッキリ感と比べてなんと「どんより」していることか。

 

あーあ、今日終わらせたかったなぁ。

気持ち良く週末に入りたかったなぁ。

そして、気持ち良く週末を過ごしたかったなぁ。

 

ここで、ふと気づいた。

 

…あ、今から気持ち良く週末を過ごせばいいんだ。

「どんより」していたのは、

計画どおりに終わらなかったのが気に入らなかったからだ。

 

しかも「ノープラン」は、最近のウチでの流行り言葉なのに!

(ACIMのワークブックで次の文章を読んですぐにシンクロがあって…。このあたりのことも記事にするかも)

……自分ひとりで立てる計画がどれも防衛にほかならないと知覚することは、

容易ではないだろう。

   W-pⅠ.135.14:1 中央アート出版社『奇跡講座』より引用。

 

 

 

今回の「スッキリ」と「どんより」で思い出した。

感情は、自分の気づいていない信念や思い込みを探るのに有効なフックとして機能する。

感情は、隠された思いを見つけるツールにもなるということ。

 

仕事のことになると、ついつい深刻になってしまうなぁ。

軽やかに行こう!

 

今週末 東京は雨。散っちゃったかな…。

 

 

 

実に一年ぶりの更新。

 

この一年、昼は仕事、夜は『奇跡講座』を読んで静けさに浸っていた。

休日も外出せず、ネットにもほとんど接続せず。

自分の内側へ内側へと向かっていたように思う。

 

そして先日、ちょうど一年ぶりに もりGさんに会ってきた。

ジーニーさんが もりGさんになってから初めてだった。

再会だけど、新しい出会い。

 

それは呼称の問題ではなくて。

 

ACIM(A Coures in Miracles)を胸に

聖霊に導かれながら

手を取りあって ともに神のもとへ還っていく きょうだいとして

もりGさんと再会できた ——

 

それが本当に、とてもとても嬉しくて。

 

 

かつて私は

ジーニー時代のジーニーさんを「稀有なスゴイひと」に奉り上げていた。

とても尊敬していたけれど、その分 距離も感じていた。

「ジーニーさんのように なりたい」「なれるわけない」「なれるはず」—— 

ACIMでいうところの「special relationships(特別な関係)」にしてしまっていた。

 

 

もりGさんを 尊敬している。

けれどそこに かつてのようなモヤモヤした気持ちはない。

感じていた距離も感じない。

 

むしろ よりいっそう親しく身近な存在として、慕わしく感じる。

ともに励ましあい学び合いながら同じ道を歩む、きょうだいとして。

そして駆け出しの神の教師としても。

 

 

呼び方は「ジーニーさん」と呼ぶのに慣れすぎていて、

「もりGさん」と呼びかける声が小さくなっちゃうのだけど。

 

そしてこれを書いていて思いついた。

私にとって

「もりGさん」は「G兄さん」だ〜! J兄さんのように。

(『神の使者』の中でマスターたちがイエスのことを「J」と呼んでいるのに倣って、

私もイエスのことを「J」とか「J兄さん」と呼んでいる。)

 

「もりG兄さん」

わお、すごくいい気がする。これなら普通に呼べるかも。

 

 

毎朝、通勤時に挨拶している花々。スノーポール?