集合論的塔心礎の謎を解け!~芥川廃寺 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

真の継体天皇陵とされる今城塚古墳のある大阪府高槻市───その古墳の東側にある嶋上郡衙跡(しまがみぐんがあと)は古代の役所の跡で、郡衙や郡寺、倉庫群から構成される一大遺跡群です。

その構成要素となっている郡寺が芥川廃寺。今回の主役です。

 

墳丘長190メートルはこの古墳が造られた6世紀前半では最大級なんだとか

 

最寄りのバス停「清福寺」の付近の案内板

 

今回はJR京都線高槻駅からバスを利用して「清福寺」で下車。通ってきた府道6号線の東側に郡衙跡、西側に群寺である芥川廃寺があります。郡衙跡はパスして、廃寺跡である素盞嗚尊神社を目指してレッツラゴー!

 

 

  芥川廃寺(あくたがわはいじ)

国指定史跡(嶋上郡衙跡附寺跡) 大阪府高槻市郡家新町

訪問オススメ度 ★★


素戔嗚尊神社へはバス停からはほんの2分ほど

 

芥川廃寺は素盞嗚尊神社とその南方の一帯が寺域と考えられています。後述するように発掘調査で回廊跡が確認されていますが、そのほかの堂宇は未確認で伽藍配置などは不明。郡衙と群寺の復元想像図では、四天王寺式伽藍になっていますね。

 

図の右上の三重塔がある一帯が芥川廃寺(右が北側)。その手前が嶋上郡衙。中央奥には今城塚古墳

 

 

二つの心柱穴のある塔心礎

 

素盞嗚尊神社の境内には古代寺院の礎石と思しきものが点在していますが、注目すべきはこれ! 手水鉢として転用されている塔心礎です。

 

素盞嗚尊神社の手水鉢。神社の南の水田から出土したという塔心礎です

 

塔心礎のアップ。わかりづらいですが、円孔が二つあります

 

邪魔なものを取り除くとこんな感じ(高槻市立今城塚古代歴史館の展示パネル)

 

この塔心礎の二つの円孔は何なのでしょう? 集合論で使うベン図のようですね。写真パネルを見ると、左側は仕上げも粗いですが、右側は丁寧に整えられています。

 

話はそれますが、「ベン図(ヴェン図)」って「Venn diagram」の訳なんですね。私はてっきり「便利な図」「便宜上の図」で「便図」なんだと思っていました。いやあ、知らなかったなあ(恥)

 

閑話休題。『律令時代の摂津 嶋上郡』(平成27年 高槻市立今城塚古代歴史館)によると、左側の円が直径58センチ・深さ3センチ、右側が直径56センチ・深さ11センチで、直径はほぼ同じで深さが異なっています。左側が先に彫られたもののようですね。

 

 

二つの円孔の理由は?

 

素盞嗚尊神社に設置された案内板には「三重ないし五重の塔の心柱を建てた穴がふたつ彫られており、一度建て替えられたとみられます」とあります。建て替えの際に円孔を彫り直したということのようです。でもそうでしょうか? 再利用するとしても、既存の穴をそのまま使えばよいわけで(深さが足りないなら、既存の穴を深く彫り直せばよい)、今一つ釈然としません。

 

ここでいつもの妄想を膨らませてみましょう。

 

【仮説1】再建に伴い彫り直した

前述した素盞嗚尊神社に設置された案内板での説。同じ場所に再建するなら心柱の位置をずらす必要はないと思うが、再建時に何らかの理由で位置を少しだけずらす必要が生じたのかもしれない。

 

【仮説2】2本で一つの心柱だった

心柱の周囲に3つか4つの添え柱を持つものがあるが(橘寺や尼寺廃寺など)、その2本版。円孔の直径はほぼ同じなので、添え柱というよりも2本で一つの心柱だったのか。片方の穴が深いことの説明は困難。

 

【仮説3】舎利孔を横出しした

心礎に舎利孔を設ける場合は同心円状に深く彫り込むが、それを横に出したのではないか。通常は心柱でおおわれてしまう舎利荘厳具の置場を別に設けたことになる。はたして塔の完成後も目に触れる必要があったのか。

 

【仮説4】手水鉢転用の際に付け足した

この塔心礎が出土した時の状況がリサーチできていないが、手水鉢にする際に、元の円孔では深さが足りないので脇に深い円孔を付け足したのではないか。深い方の円孔の仕上げがきれいなのもそのため。

 

いかがでしょうか? どの説もしっくりきませんね。身も蓋もありませんが私は【仮説4】に一票です。ちなみに前述の『律令時代の摂津 嶋上郡』には、そのあたりの言及はありませんでした。結局のところ、よくわからないということなのでしょう。

 

 

発見された回廊跡と出土品

 

平成3年、素盞嗚尊神社の南側で掘立式の回廊跡が発見され、伽藍の規模が東西約54メートル、南北約108メートルと推定されるに至りました。伽藍が南北に長く、仏像の断片が採取された神社周辺が金堂や講堂と想定され、その南方で塔心礎が発見されたことから、堂塔が一直線にならぶ四天王寺式伽藍と推定されたようです。

 

素盞嗚尊神社の南側の道路脇に設置された案内板

 

南方向からの芥川廃寺全景。中央の森が素盞嗚尊神社

 

発掘された瓦は高槻市立今城塚古代歴史館に展示されていました。

 

手前右側が芥川廃寺出土の瓦。左は同じ高槻市内の梶原寺跡の出土瓦

 

高槻市立今城塚古代歴史館は、もちろん今城塚古墳関連の出土品がメインですが、古代寺院関連の展示もあって、高槻市の古代史を学ぶには絶好の施設です。入館料も(原則)無料なのでおススメですよ!

 

高槻市立今城塚古代歴史館のエントランス

 

バリエーションにとんだ家形はにわの展示は圧巻!

 

古代寺院関連の展示

 

今回の記事は以上です。

 

[訪問日]2023.4.9