「廃寺巡り? ふ―ん、面白そうじゃん。みんなで行こうよ」
ある飲み会でそんな話になりました。私の趣味である廃寺巡りについては、別に隠すつもりはないのですが、かといって他人に話して盛り上がるほどのことでもないので、積極的にしゃべるようなことは避けています。
しかし、その時はアルコールが入っていましたし、メンバーも気安い仲間だったので、ついつい調子に乗ってその楽しさについて熱く語ってしまったのです。
まあ自分で話をしながらも、予想される反応は「辛気くさ」「何が面白いのかわからん」「ハイジってアルプスの?」ぐらいだろうと思っていて、「ヘンな趣味」とその場限りの笑い話で終わるはずでした。
ところが、意外や意外、予想に反してみなさんの食いつきがよくて、多少なりとも関心を持ってもらえたようなのです。
「じゃあ、計画はまかせるから。よろしくね~」
ということで、図らずもグループで廃寺巡りをすることに。行き先はおまかせになりましたが、どうしましょうか。普段自分が行っているような、ほとんど何もない廃寺はさすがにはばかれる。連れて行ったらドン引きされるのは必至です。
飛鳥の檜隈寺跡。私は大コーフンですが、他人様にとって面白いとは限りません
理想としては、古代寺院跡であることがビジュアル的に分かり、かつ、それがコケたとしても別の訪問先でリカバーできる場所がいい....そんな都合のいい所があるものかと考えてみたら、ありましたよ!
斑鳩の中宮寺跡に、法隆寺などを組み合わせれば良いではないですか! これなら無敵の組み合わせ。「大人の修学旅行」感もあって、面白くなりそうです。
ククク....世界遺産の法隆寺で文句を言うヤツはさすがにいまいて
さっそく組み立てたプランをメンバーに送り、切符の手配も済ませ、あとは当日を待つばかり。やってきたその日は入梅後ながらも天候に恵まれ、格好の行楽日和です。ではレッツラゴー!
中宮寺跡(ちゅうぐうじあと)
国指定史跡 奈良県生駒郡斑鳩町
訪問オススメ度 ★★★★
起点は近鉄橿原線の筒井駅。ここから奈良バスに乗って「法起寺口」で下車。歩くこと数分で中宮寺跡です。
史跡公園として整備された中宮寺跡。写真は塔跡
「中宮寺」と言えば、法隆寺夢殿の隣にある、国宝木造菩薩半跏像で超有名なお寺ですが、こちらの「中宮寺跡」はその前身寺院と考えられている古代寺院の遺跡。
現在の法隆寺西院伽藍の前身とされる「若草伽藍」とほぼ同じ時期の飛鳥時代に創建されたと考えられ、若草伽藍(僧寺)とペアになる尼寺だったともされています。
私がはじめてここを訪れたときは、藪に覆われた土壇あとが残っているだけで、古代寺院跡とはわからないような状態でしたが、数度にわたる発掘調査の後に史跡公園として整備され、塔や金堂の基壇が復元されたほか、東屋や案内板などの設置もされています。
2007年当時の中宮寺跡。案内板が設置されていました
現在の中宮寺跡。中心伽藍の北西側から
中宮寺跡は塔と金堂が南北に配置される四天王寺式伽藍。
まず目を引くのが塔跡。法起寺や法輪寺と同じく三重塔だったと推定されています。
中宮寺の伽藍配置など。現地の案内板から
基壇前に設置されている塔心礎のレプリカや解説板をチェックしてから、塔跡の基壇上へ。手すり付きスロープが設けられているのにはちょっとびっくりしましたが、これも時代の流れなんでしょうね。
地下式塔心礎のレプリカ。舎利孔もなく、言われなければわかりません
金堂跡と塔跡の解説板。中宮寺跡では塔の心柱を据え付けるための柱穴が見つかったのが推し
復元された塔跡の礎石。手前の四角の穴の跡が「心柱を立てるための『足場』の柱穴」
続いて、金堂跡。7間×4間の標準的な柱割りですね。塔跡と同じく、礎石が復元配置されていました。
金堂跡を北側から。奥は塔跡
広大な中宮寺跡に設置されている東屋は、斑鳩三塔のビューポイントにもなっています。3箇所のうち一つは法隆寺、法起寺、法輪寺の三塔を同時に眺められる特上スポット。案内板の矢印の方向をじっと見つめて「あ、あった、あった!」「え?どこどこ?」などと言い合えるのもグループ旅行ならではです。いつものボッチ廃寺巡りでは無い光景。
四か国語対応の案内板
「堂宇が近すぎじゃないか問題」
さて、ハイジスト的に中宮寺跡で特筆されるべきは、塔と金堂の異様な近接。広大な寺域がありながら、塔と金堂がほとんど軒を重ねんばかりに隣り合っているのです。これは古代寺院にしばしば見られる「堂宇が近すぎじゃないか問題」の代表例とも言えます。
中宮寺の伽藍配置。現地の案内板より
わざわざ近接させて塔と金堂を配置したのは何か理由があってのことでしょうが、それがよくわからない。特に塔のような背の高い建築物に隣接させると、塔が避雷して炎上した場合に延焼してしまう可能性が高まるため、建物相互に一定の間隔をとって配置することが言わば常識。これは現在の建築基準法でも取り入れられている基本的な考え方です。
こちらは法隆寺式伽藍の海会寺跡(大阪府泉南市)。金堂「近い近い」
後代の伽藍では、塔はそれまでの中心的な役割から、装飾的なものに変質し、高層化とともに中心伽藍の外に建立されるように
なったのは、落雷による他の堂宇への延焼を防ぐためだったともされていますね。中宮寺跡のように我が国に仏塔が登場してから間もない時期は避雷に関する知見がまだ十分でなかったか、三重塔クラスの高さではそれほど気にする必要もなかったということなのでしようか。
逆に近接していることの利点を考えるに、私のアタマでは「降雨時に濡れずに移動できる」ことくらしか思いつきません(ほかに後から建築する堂塔の工事用の足場の代わりにするとか??)。これを検証するためには古代寺院における礼拝作法がどうだったのかが鍵となりますが、それはよくわかっていないようです。
回廊があれば、そこを時計回りに巡りながら礼拝したとの推測もあるようですが、記録もなく不明。中宮寺跡からは回廊跡は確認されていないようですが、回廊なしの礼拝作法があったのか....などと妄想を膨らませていると、ふと気付いたことが。
塔跡(奥)に比べると金堂跡(手前)の基壇の外周部分の幅は狭い
それは塔と金堂とでは、基壇の余白部分の幅に違いがあること。建物の外壁部分と基壇の端部との距離ですが、塔は広めであるにの対して、金堂の方はかなり狭い感じですね。塔は基壇上を回り、金堂は堂内を巡って礼拝したということなのでしょうか? うむ以外に面白い着眼点ではないか....何か手がかりになるかもしれないのですが、それ以上のことは思いつかず、これにて終了。
というようなマニアな話はもちろん皆さんには口にはせず、すべて私の脳内での妄想。まあ、中宮寺跡はそれなりに楽しんでもらえたようで、ほっとしましたよ。
(後篇)に続きます