広渡廃寺とその周辺の古代寺院跡(前篇) | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

兵庫県小野市にある国指定史跡の広渡廃寺(こうどはいじ)───全国に600箇所以上あるとも言われている古代寺院跡の中でも、魅力度の点でここはトップ3に入るレベルです。当プログでの訪問オススメ度文句なしの5つ!キラキラ 自称ハイジストのワタクシが言うのだから間違いないですよ!? 

 

創建時の広渡廃寺の姿を再現

 

何がスゴいのかは追々説明するとして、古代寺院のありようを偲ぶのであれば、ここ以上にふさわしい場所はないと言っても過言ではありません。また、広渡廃寺周辺には他にもいくつか古代寺院跡が点在しているのですね。今回は、広渡廃寺とその周辺の古代寺院跡を訪ねてみることにしましょう。ではレッツラゴー!

 

 

  広渡廃寺(こうどはいじ)

国指定史跡 兵庫県小野市広渡町

訪問オススメ度 ★★★★★

 

広渡廃寺は小野市役所の北1kmほどの位置にありますが、公共交通機関でのアクセスには難があるのが玉にキズ。広渡廃寺の近くにバス停はいくつかありますが、いずれも運行本数が少なく利用するのはかなり困難。結局、今回私は神戸電鉄粟生線(あおせん)小野駅からタクシーを使って向かうことにしました。

 

冒頭からマイナスイメージを与えてしまいましたが、アクセスに難があろうとも、そんなことは問題にならないほどの魅力がこの古代寺院跡にはありますよ! その魅力を3点挙げていきましょう。

 

 

広渡廃寺のココがスゴい!(その1)~ 伽藍全体の復元模型を屋外に展示

 

広渡廃寺といえば、何はさておきまずはコレ!  屋外に展示されている伽藍全体の復元模型です。この模型は小野市が「国指定広渡廃寺跡歴史公園」の整備に合わせて、同公園内に設置したもの。

 

広大な伽藍跡の一角に再現された精密模型

 

古代寺院の創建時の姿を復元した模型は、博物館や寺院の堂内に展示されているのはしばしば見かけますよね。しかし、広渡廃寺のものは、縮尺が20分の1と大きく、細部まで丁寧に造り込まれていること、発掘の成果に基づき伽藍全体の配置が正確に復元されていることといった点で、あまり類例をみないものです。

 

金堂(左)と両塔の様子。金堂の右の建物の用途は不明だが二層の高楼で再現

 

が! 驚くべきはこれが屋外展示されていることなのです!  創建時の華やかな色彩の施された堂塔を自然光のもとで眺めるのは、縮尺の大きさとも相まって、リアルさがケタ違いにアップ。実際、写真を上手に撮って知らない人に見せれば本物の寺院建築と間違えることもあるのでは? と思うほどです。

 

中門のアップ。行基葺きの瓦や風鐸、さらには軒丸瓦の文様も再現!壁の汚れ具合までリアル

 

このような精密模型を野ざらし雨ざらしにしてしまって劣化はしないのだろうか、と当然のことながら思いますが、この模型はなんとジュラルミンとセラミック製。もっとも近年は痛みが目立ってきたため、2019年に修復をしたのだとか。

 

この素晴らしい模型が作りっばなしではなく、きちんと手入れがされているのはうれしいことです。創建時のリアルな模型と古代寺院跡のスケール感を同じ場所で見比べ、感じ取ることができるのは、日本ではおそらくここだけ。他では得られない貴重な体験ができる場所で、超オススメです。

 

目線を模型の地盤面に持ってくるとリアル感がアップ!後ろのフェンスや樹木がなければ本物と間違えそう


 

広渡廃寺のここがスゴい!(その2)~ 発掘で全容が判明した薬師寺式伽藍

 

広渡廃寺は東西に塔を配した薬師寺式伽藍です。薬師寺式の伽藍自体が特段珍しいわけではありませんが、スゴいのはこの伽藍のほぼ全体が発掘調査により判明していることです。

 

広渡廃寺の伽藍配置。堂塔の軸線がビミョーにズレている古代寺院あるある

 

古代寺院跡でも伽藍全体が明らかにされているものは少数で、多くは後世に建てられた寺社などの建物にさえぎられて、部分的な発掘しかできなかったり、開墾や宅地化によって遺構自体が破壊されてしまったりしていることが多いのです。

 

西側の小山から望む広渡廃寺跡と復元伽藍の模型

 

その点、広渡廃寺は1973年以降に行われた発掘調査の結果、南大門のほか、中門、東西両塔、金堂、講堂、回廊といった主要施設の位置や規模がほぼ解明されています。

 

南大門跡から。以前は中門跡に木造のパーゴラが設けられていたが撤去された模様

 

東塔跡から左手に西塔跡、右手に金堂跡

 

それでわかった広渡廃寺の伽藍の特徴は、回廊で囲まれた中心伽藍の区域が南北方向に長いこと。その理由ははっきりしていません。回廊の北辺は講堂には取り付かず、その背後にまで伸びて北門が設けられる形で、両塔、金堂、講堂の中心的な施設は回廊に取り囲まれています。

 

伽藍模型を東側から。回廊に北門が設けられるのはレア度高し

 

さらに金堂の両脇に方形と長方形の建物跡が検出されています。鐘楼や蔵などの用途が考えられるとのことですが、「聖なる空間」である回廊内側には設けないのが一般的。はて、広渡廃寺のこうした建物の用途はいったい何だったのでしようか。

 

東塔の右にしれっと登場している長方形建物。こうした例も珍しい

 

 

広渡廃寺のここがスゴい!(その3)~ 歴史公園として整備されガイダンスホールも併設
 

 

広渡廃寺跡は小野市によって「国指定広渡廃寺跡歴史公園」として整備され、2000年にオープンしました。広大な公園は2ヘクタールほどにもなり、この中に中心伽藍跡がすっぽりと入っています。古代寺院跡は都市公園として整備されることが多く、広渡廃寺も主要施設の基壇が復元され、付属的な施設も縁石などでその位置がわかるようになっています。

 

回廊の外部の建物基壇跡

 

北東側は芝生広場になっていて、開放的な空間で遊んだりくつろいだりするには絶好の場所。一方、公園に併設のガイダンスホールは北西側の段丘下に設置されていて、その一室で広渡廃寺関連のパネルや出土品などを展示。

 

公園の石銘板とガイダンスホール

 

ガイダンスホール内部

 

最近は、ネットを使って現地でQRコードをスマホで読み込み、史跡の案内などが提供されるようなケースも出てきましたが、出土品の実物をじかに見ることができるのはやはり強み。わざわざ場所の離れた博物館などに出向かなくても、その場で必要な情報が現物で提供されているのはいいですね。
 

出土した瓦の展示

 

実物の瓦に触れることができる展示もあり

 

今回の(前篇)では、広渡廃寺の魅力を語ってきましたが、いかがだったでしょぅか?

 

遺構の全体像が明らかとなっており、伽藍全体が史跡公園として整備、創建時の姿を再現した精密模型の屋外展示、出土品などの展示施設の併設など、古代寺院跡の整備としてはこれ以上望めない、まさに理想的なものと言えるのではないでしょうか。

 

惜しむらくは一般の認知度がそれほど高くはなさそうなところ。立地場所的に少々不利であることは否めないとは思いますが、末永く維持・継続されていくことを期待したいと思います。

 

(せっかくの遺構や模型、写真がイマイチでした。また撮りなおしに行こう....)

 

 

(後篇)に続きます

 

[訪問日]2023.5.5(一部2007.3.10)