柏原市のレンタサイクル
ママチャリ21号車で行ってくるぜ
しかもレンタサイクルは当日だけではなくて、翌日返却(料金300円)、1ヶ月貸し(同3,000円)もあって至れり尽くせり。正直、どのような需要層に応えようとしているのかよくわかりませんが、柏原市の力の入れようは伝わってきますね。
柏原市立歴史資料館で予習
自転車を借りてまず向かったのはすぐ近くにある柏原市歴史資料館。有名な古墳時代の横穴式墓群のある「史跡高井田横穴公園」の上にある施設です。古墳関係は今回はパスのつもりでしたが、せっかくなので、資料館の前に横穴式墓を見学。
高井田横穴公園入口のモニュメント(ガラス面が反射してわかりにくいが石室内の線刻画が描かれている)と3-24号横穴
見所は横穴石室内に描かれた線刻画のある3-5号横穴(第3支群第5号墳)でしょうか。入り口に線刻画のレプリカが展示されています。船に乗った人物などが描かれていますよ。
線刻画のレプリカ2枚。階段上が3-5号横穴
この公園には、古墳時代の遺構だけでなく、周辺の廃寺から集められた「礎石コーナー」がありました。これらをひととおり眺めてから、資料館へ。
公園の一角の礎石群。解説板によると「河内六寺」の一つ、大県廃寺(大里寺)のものだとか
柏原市立歴史資料館は入場無料。ありがたいことです。
展示室には横穴式墓群や古墳からの出土品が多く展示されていますが、廃寺関連のコーナーもあって、河内六寺をはじめ出土した軒瓦などが展示されています。
柏原市歴史資料館全景。公園の上の住宅街にある
資料館内の古代寺院関連の展示
この資料館は展示だけでなくて、出版物やネットへの記事掲載などにも力が入っていて、なかなか頑張っている感じがグッド。前回ご紹介した河内六寺の小冊子もこの資料館で購入しましたよ。廃寺関連の展示物については、それぞれの廃寺のところで触れることにして、先に進みましょう。
鳥坂寺跡(とさかでらあと)
国指定史跡 大阪府柏原市高井田
訪問オススメ度 ★★★
トップバッターは河内六寺の南端に位置する鳥坂寺跡。柏原市歴史資料館から自転車でほんの数分、歩いても5分ほどの丘陵地にあります。
河内六寺の中でどれか一つだけ訪れるとしたら、この烏坂寺跡が本格的な発掘調査により遺構が明らかになっていること、主要伽藍内には立ち入りができないものの空間的な広がりが把握できることなどから、近くの資料館とセットでここをオススメしたいと思います。
北東から見た鳥坂寺跡の全景。手前に広がるぶどう畑が講堂や金堂の主要伽藍。近鉄大阪線を挟んだ反対側が塔跡のある天田湯川神社
さて、烏坂寺跡は遺構が近鉄大阪線で東西で分断される格好になっていて、南西側の天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)内に塔跡、北東側に金堂をはじめとする中心伽藍があり、さらにその南東側、高井田第二公園となっている区域に僧房・食堂とみられる掘立式建物がありました。
講堂の東側の道路わきにある案内板
伽藍配置は、いわゆる国分寺式と呼ばれるもので、中門、金堂、講堂が一直線に並び、これらを囲む回廊の外に塔が配置されている。柏原市の『河内の古代寺院』では、四天王寺式の「多少変形」したものと書かれているが、そうなのかなあ? まあ、飛鳥時代や白鳳時代の創建だとすると、国分寺式とは言い難いからなんですかね。烏坂寺の場合、塔が南西側にあって、しかも中心伽藍からはやや距離があることが特徴といえるだろうか。
発掘調査により明らかとなった「鳥坂寺」の存在
昭和の初めに近鉄の前身である大軌(大阪電気軌道)が線路敷設のための掘割工事をした際に、大量の瓦と鴟尾が発見され、この場所に古代寺院があったことがわかりました。この鴟尾は東京国立博物館の所蔵品となっています。
この古代寺院跡は「河内六寺」の一つであろうとは推測されたものの確定はできず、かつては地名をとって「高井田廃寺」と呼ばれていました。
近鉄電車で遺構をぶった切る掘割を行く。左側が中心伽藍跡、右側が塔跡。正面は二上山
「高井田廃寺」は昭和36年以降、発掘調査が数回にわたって行われ、講堂と金堂、回廊の遺構が確認されたほか、昭和58年から翌年にかけての発掘で「鳥坂寺」と書かれた土器が出土したことで、ここが鳥坂寺であると確定したとの経緯があります。正史である続日本紀に記述された寺院が実際に遺構として特定できた貴重な事例なんだそうですよ。
「鳥坂寺」と書かれた土器(右)と鴟尾片(左)。柏原市歴史資料館の展示
出土物としては瓦や前述の̪鴟尾、墨書銘土器のほか、複数の鴟尾片、塼仏、扉の金具などがあります。
鳥坂寺出土の軒丸瓦。非カワラーにはよくわからんが半島系の文様なんだと
天湯川田神社内に残る塔跡
中心伽藍から塔跡のある天湯川田神社へは、丘陵地をいったん下り、近鉄線をくぐってから、丘の上にある社殿への階段を登って行かねばなりません。
天湯川田神社への参道
天湯川田神社は古事記などの「くぐい(白鳥)伝説」にゆかりがあるとのことで、参道入り口にも大きな看板が。丘の上にある社殿をめざして歩いて行くと、道の脇などにちらほらと布目瓦らしき破片が目に入る。
社殿にたどり着きましたが、ありゃ? 肝心の塔跡はどこだ?? 事前のリサーチ不足でしたが、塔跡も埋め戻されていて遺構は確認できず。社殿の反対側に案内板があるだけでした。ちなみに塔心礎の位置は社殿前の左側の狛犬の手前辺りです。
塔跡の案内板。左の手水鉢は心礎ではないですぞ
鳥坂寺の塔は大和川対岸の片山廃寺の塔跡と同じく丘陵上に位置するなど、立地環境が似ています。それに、こちらの塔は中心伽藍から少々離れていることや、平面上の軸線が中心伽藍とはずれていることを考えると、中心伽藍の構成要素というよりは、それからは独立した機能を持たせているようにも見受けられる。その機能とは、(その1)で推察したのと同じく、仏塔としてだけでなく、大和川の監視塔的な役割もあったのではないかということです。そう考えてみると、鳥坂寺と片山廃寺の塔は大和川を挟んだペアの監視塔ということになりますね。
鳥坂寺のそのほかの遺構としては、中心伽藍からは南東側に少し離れた場所で、僧坊や食堂などとおぼしき掘立式建物の跡があります。これも埋め戻されて現地で位置などはわかりませんが、児童公園(高井田第2号公園)として整備されていて、案内板が設置されています。
高井田第2号公園
公園に設置された案内板
史跡公園としての整備に期待
柏原市のホームページによると、同市では現在3地区に分散している鳥坂寺の遺構を一体化して史跡公園として整備する構想があるようです。
中心伽藍のうち、金堂や中門、回廊の一部は近鉄線でぶった切られているので、完全な形での伽藍跡を復元することはできませんが、講堂跡は全体が残っていますし、また基壇の1/4ほどが欠けてしまっているとはいえ、金堂跡の保存状態も良いというので、復元整備に期待したいところです。
市議会の議事録をみると、この整備構想に反対する議員さんもおられるようで、用地買収などもなかなか進まないようではありますが、観光資源としても期待できるのではないでしょうか。私はささやかながらこの整備構想の推進にエールを送りたいと思います。
安堂廃寺(あんどうはいじ)
柏原市安堂町
訪問オススメ度 ★
鳥坂寺跡から北に向かってペダルを漕ぐことわずか3分。歩いても10分ほどのところにあるのが、「河内六寺」のうち、家原寺(いえはらでら、または、えばらじ)に比定されている安堂廃寺です。
御覧のとおり現在は住宅地。画面右奥のトラックの止まっている反対側が安堂会館
安堂廃寺は近鉄大阪線安堂駅(あんどうえき)から東へ徒歩5分のところにある「安堂会館」のあたりにあったとされます。かつては、法起寺式の伽藍が考えられていたようですが、昭和59年に行われた発掘調査で、近世に造られた池の跡が発見され、護岸用に礎石が転用されていることが判明したものの、堂塔の遺構までは確認できなかったようです。
右の建物が安堂会館
安堂会館に設置された案内板
出土した礎石の一つは高井田横穴公園の「礎石コーナー」に展示されているとのことですが、礎石に個別の寺院名称までは説明がなかった(と思う)ので、どれなのかはよくわかりませんでした。
おそらく中央の白っぽいのが安堂廃寺のものと思われるのですが....
また、現在の安藤会館の西隣の道路際からかつて塔心礎が掘り出され、現在は京都の碧雲荘に持ち込まれているとの話もあるようです。
(その3)に続きます。