北勢地区の廃寺を巡る(その3)~桑名市篇 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

三重県北勢地区の廃寺巡り、最終回の(その3)は桑名市です。ではレッツラゴー!
 

 

  額田廃寺(ぬかたはいじ)

三重県桑名市大字額田

訪問オススメ度

 

額田廃寺は三岐鉄道北勢線在良(ありよし)星川(ほしかわ)の中間あたりの員弁川を南に望む高台に立地していました。北勢地区では、四日市市の智積廃寺、朝日町の縄生廃寺と並んでよく知られた古代寺院跡です。古くは「浄蓮寺」と呼ばれていたとの言い伝えもあるのだとか。

 

北勢線のミニ電車。三岐鉄道カラーが鮮やかだ

 

北勢線のすぐ北側の丘陵地。写真中央の高台に額田廃寺の中心伽藍があった

 

ここは宅地開発により一帯がすっかり住宅地になってしまっていて、古代寺院の痕跡はまったく残っていないが、開発区域の北側の児童公園の一角に立派な石碑が建立されている。もっともこの石碑がある場所は中心伽藍のあった位置とは少々離れていて、塔や金堂跡はもう少し南側にありました。

 

児童公園内の「額田廃寺跡」の石碑

 

どうせなら、伽藍の遺構を一部でも取り込む形で公園を整備してくれたらなどとも思うのだが、古代寺院にとって良い場所は現在の住宅地でも良い場所ということ。当時は開発の反対運動などもあったが、石碑を造ってくれただけでも良しとしましょうか。
 

石碑の裏側。少しばかり読みにくいぜ

この地は古くから地方文化政治の中心として開け特に額田廃寺は奈良時代(七世紀後半)にこの地の豪族が中央文化に参与した優秀な工匠を招き建立した寺で三重県における最古の寺院・遺跡であります

寺院配置については現在の法隆寺式伽藍と推定され地方文化並びに寺院建築発展の歴史を知る上からも貴重な資料として知られ県史跡に指定されています

昭和四十三年十月 建設 三交不動産株式会社

題字並跋文 桑名市長 水谷昇 書

 

読みづらいので碑文を書いておきました(違っていたらごめんなさい)。一応ツッコミを入れておくと最後に「県史跡に指定されています」とありますが(昭和16年に指定)、遺構は破壊されたので昭和58年に指定も解除されています。

 

 

発掘で明らかになった法隆寺式の伽藍

 

額田廃寺は昭和39年に2回にわたり行われた発掘調査により伽藍配置が明らかとなった、地方寺院では珍しい事例の一つだ。確認された法隆寺式伽藍の遺構は、金堂、塔、講堂、僧坊、門で、発掘調査報告書の図面によると、現状の住宅地の中央南部分の三叉路に塔跡があり、その右(東)側に金堂跡があったようだ。

 

写真右の住宅地内に小規模な中門、左奥に伸びる区画道路が折れ曲がる辺りに塔があった


現地に標柱などの設置があれば見当もつきやすいのだが、どの場所に堂字があったのかを確かめようとするなら、発掘調査報告書の図面とにらめっこしなければわからない。

 

発掘調査では山田寺式や川原寺式の瓦が出土している。上の碑文で「中央文化に参与した優秀な工匠」云々は、こうした瓦の出土が根拠となっているようだ。

 

額田廃寺からは江戸期に塼仏や小仏像などが出土していますが、個人所有のものもあるようで、これらを常設で展示する施設はなくちょっと残念。

 

 

  西方廃寺(にしかたはいじ)

三重県桑名市大字西方

訪問オススメ度


西方廃寺ではちょっと面白い出来事がありました。

 

西方廃寺へは北勢線で西桑名の隣の馬道(うまみち)駅で下車して少々距離はあるが歩いて行く。日も傾きつつあるなか、まず観音菩薩を祀る海善寺(かいぜんじ)に到着。西方廃寺のかつての寺号との言い伝えが残る小堂です。

 

東明山海善寺の小堂

 

 

海善寺脇の道路沿いに掲げられた案内板。観音様はユニークなお顔立ちですね

 

地元で製作したとみられる案内板があり、この南に西方廃寺があるという。廃寺跡に行く前に別の関連遺跡である瓦窯があったという笹山溜池に立ち寄ってみる。この池の北にある幼稚園から瓦窯跡がみつかっているそうだが、こちらには案内板等はなく、池をひとまわりして西方廃寺に向かいます。

 

池の向こうのマリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内で瓦窯が発見されたという

 

西方廃寺は先ほどの案内板に書かれていたので、行けばすぐに見つかると高をくくっていた。ところが、この廃寺がどこにあるのかがよくわからない

 

事前に桑名市教育委員会の遺跡包蔵地で西方廃寺のリサーチはしていたものの、図示された遺構は広範だったので、どこに古代寺院の痕跡が残っているのかは現地で確認するつもりでした。ネットに掲載されていた昔の写真では標柱があったようなのだが、寺院跡とわかるものはないかと同じ所を行ったり来たり。

 

薄暗くなってきて、諦めて切り上げようかと思い始めたときに、何か見覚えのある光景。おお、これは西方廃寺のネット紹介記事で見たことがある今どきの木製電柱ではないですか!

 

孤高の木製電柱

 

ということはこのあたりに廃寺跡が....と思ってその周囲の畑を見やると、あった、あった! 布目瓦の破片!! まるで埋蔵金でも掘り当てたような喜びとコーフンに包まれて、夢中になって写真を撮る。ここにあったんだなあと、感慨に浸ることしばし。
 

私には小判の山に見えましたよ

 

 

住民の方に声をかけられた!


布目瓦をお探しですか?」不意に声をかけられた。

 

あ! これはよそ者が他人の畑の写真をばちばち撮っているザ・不審者の図。あちゃ―、言い訳しないと....ん? 布目瓦?「布目瓦」を御存じなのか....? 頭をかきながら声をかけてきた方に話をする。

 

「いやあ、この辺りに古代寺院の跡があると聞いて....」

「ここですよ。布目瓦の欠片がたくさん落ちているでしょう。学校の先生ですか?」

「いえ、単に古代史が好きなだけで、廃寺巡りをしているんです」

「ここには時々学校の先生がお見えになるんですよ」

 

声かけされた方は近くにお住まいの方のようで、外出先から戻ってきたばかりという。古代寺院の専門家のようには見えなかったが、地元柄、瓦について否応なく見聞きされているようだ。せっかくなのでいろいろ尋ねてみる。

 

「以前はここに西方廃寺の標柱があったのですよね?」

「ああ、ありましたよ。電柱の脇にね。でもボロボロになって今はもうないですね」

やっぱリネットで見た場所はここで間違いないようである。
 

 

出土した軒丸瓦を拝見


瓦の話になった。

「私も瓦を2つほど持っていましたけどね。専門の先生が言うには、一つは火を入れたもの。もう一つは火を入れていないものなんだそうです」

 

火を入れていない?  火災痕のことかな? そのときはよくわからなかったのだが、どうやら焼成までした瓦と、焼成せずに乾燥させただけの瓦のことだと後でわかった。

 

「火を入れたものはここに来た先生が持って行きましてね。手元に残っているのは火の入れていない方なんです」

「どんな瓦なんですか?」

「良かったらご覧に入れますよ。ちょっと待っててください」

 

これは意外な展開になった。怒られずとも不審人物として怪訝そうに扱われるかと思いきや、お持ちの瓦をわざわざ見せていただけるという。

しばらくしてご自宅から軒丸瓦を持って来てくださった。

 

「これが火を入れていない方の瓦です」

 

なるほど、確かに自っぼくて焼成していないように見える。

「写真を撮ってもいいですか?」

「もちろん、どうぞ」

 

西方廃寺出土の軒丸瓦

 

桑名市のホームページで見ていた西方廃寺出土の蓮華文様の立派な軒丸瓦に比べると、ずいぶんと素朴な感じだ。

 

中央部に黒っぽい小石が混じっている。形成中に混入しているのに気付かなかったのか、意図的に入れたのかわからないが、あまり見たことのない事例だ。

 

思いがけない出来事にすっかり満足してお礼を述べてその場を辞すことにした。

廃寺巡りはいろいろとしてきたけど、こんなケースは初めてだなあ....と満足感に浸りつつ、帰路についたのでした。

 

余談ですが、本ブログの見習い瓦工人伊良火さんの話は、この出来事にインスパイア(?)されたものです。

 

 

 

 

 

  南小山廃寺(みなみおやまはいじ)

三重県桑名市多度町小山

訪問オススメ度


場所が変わって旧多度町の古代寺院跡です。北小山廃寺というのもあって、名称だけを見ると、僧寺と尼寺のような形でペアになっている感じですが、場所は少々離れていて両者の関係も不明。

 

南小山廃寺全景。奥に続くバイパス部分で発掘調査が行われた

 

南小山廃寺はバイパスの建設に先立ち、昭和60年に発掘調査が行われているが、戦前から礎石や鴟尾の破片が出土したことなどで、古代寺院跡として認識されていたようである。

 

小山神社側から見た南小山廃寺。神社内にも特に遺構らしきものは見当たりません

 

発掘調査はバイパスのルートとなった区域で行われ、掘立て柱の跡などが確認されて、寺院の東限らしいことがわかったとのこと。ということは、バイパスの西側で現在果樹園などとなっている区域に中心伽藍があったとのことになるのだが詳細は不明。

 

バイパス西側の丘陵地の様子。やはり遺構らしきものは見当たらず

 

現地に行ってみても古代寺院の痕跡らしきものはありませんが、桑名市のホームページで、南小山廃寺の鴟尾の破片や出土した瓦の写真が掲載されています。

 

 

 

 

  北小山廃寺(きたおやまはいじ)

三重県桑名市多度町小山

訪問オススメ度

 

北小山廃寺は、桑名市教育委員会の遺跡包蔵地の情報を見ると、養老鉄道多度駅の東側の一帯が区域指定されていますが、瓦が数枚出土したのみで、古代寺院だったどうかも確認できていません。今後の調査の機会を首を長くして待つことになりそうです。

 

高台にあっていかにも古代寺院が立地しそうな場所ではあります

 

養老鉄道多度駅ホームから

 

多度町は上げ馬神事で知られる多度大社があり、古代から栄えた場所だったようです。養老鉄道田戸駅前のロータリーの案内板にもあるとおり、この一帯は天王平(てんのうびら)と呼ばれ、駅の西側のさらなる高台にある多度中学校の付近は、奈良時代から平安時代を中心とした集落跡である「天王平遺跡」として、多度地区では最大規模の遺跡として知られています。

ロータリーの案内板。土馬ちゃんも出土していたのですね

 

 

桑名市内の壬申の乱の旧跡


桑名は「七里の渡し」でよく知られた港町。宿場町、城下町でもあり、江戸期の名残が市内各地にありますが、古代史ファン的には壬申の乱の旧跡巡りの場所です。

 

大海人一行がたどり着いたという桑名郡家がどこにあったのかは、諸説あってよくわかっていないようですが、市内には「天武天皇社」や「持統天皇御舊跡」があって、いにしえの出来事を偲ぶ一助になるでしょう。

 

天武天皇社。天武天皇を祀る全国で唯一の神社です

 

こちらは持統天皇御舊跡(北桑名神社)

 

桑名市には、四日市の「くるべ古代歴史館」や、朝日町の歴史博物館のように、古代寺院関連の展示を常設で行っている施設はありません。昭和の公共建築感満開の市立博物館があり、展覧会のテーマによっては市内の古代寺院の瓦などの展示がされることもあるようです。直近では2022年の夏に「壬申の乱と桑名」展が開催されていました。

 

桑名市博物館。古代寺院関連の展示が常設でないのが惜しい

 

対して市立図書館の入るKML(くわなメディアライブ)は2004年にオープンした「今風」の施設です。「歴史の倉」という一室もありますが(利用には手続きが必要)、額田廃寺や南小山廃寺の発掘調査報告書は、一般の開架図書として自由に閲覧できるようになっているのがグッド。

 

KML(くわなメディアライブ)。3階と4階が市立中央図書館

 

 

パン屋「いちばんがま」の「カルボ」


廃寺とは関係ありませんが、桑名市篇の最後は個人的な思い出から。桑名市役所南にあるパン屋「いちばんがま」は、かつて近鉄名古屋駅の3番線の端っこのブースに出店していて、私は名古屋での仕事を終えて近鉄特急で帰るときに、この店の「カルボ」を買うのが習慣になっていました。

 

カルボは、フランスパンにソーセージとタマネギの薄切りを添えたホワイトソースを塗って、こんがり焼き上げた一品。これは酒のつまみに最適で、こいつをかじってから9%のストロング缶で胃に流し込むのはもう最高! 仕事の疲れも吹っ飛ぶようなひとときです。

 

数年前に出店が終わってしまって、残念に思っていましたが、今回桑名市にやってきたので、久々にこのゴールデンコンビを楽しんでみました

 

うまいっ! うますぎるっ! また名古屋駅に出店してくれないかなあ~などと思うことしきり。ただこのカルボ、調子に乗って2つ食べると油で胃がもたれるのでご用心。おいしくても一つだけにしておきましょう。

 

本人の証言による再現。笑

 

これで「北勢地区の廃寺を巡る」シリーズはおしまいです。お付き合い有難うございました。